マックス、旅立つ
クレリアの教皇庁では、宰相が、ポッペウスの影武者に仕立てられた男から、彼の手紙を受け取っていた。
「ほう……」
それは、予定よりも五日早く旅立つことを事後に告げる手紙だった。もちろん文官も侍従も置いてけぼりである。
「一人で抜け出すとは、なかなか勘のいい少年ですね」
御座艦を襲わせる予定の連中は、航路と船名、それに大まかな日時を連絡した後通信封鎖に入っている。
「仕方がありません。ここは、ノーライアに頑張ってもらいましょうか」
宰相は積み荷の情報を遺物に書き換えると、入り込んでいるイシュールの草がその情報を手に入れられるよう、さりげなく手配した。
考えてみれば訓練もされていない裏の連中より、こちらの方が確実かもしれなかった。
問題は、教皇自身を人質に取られる可能性だが、ノーライアも教皇を拉致したなどと公式に発表するはずがないし、最終的な取引はクレリオール家に任せればいい話だと、彼は割り切った。
仮に戻ってこられてたとしても、教皇としての自覚不足と糾弾して退位させればいいのだ。
「頼みますよ」
彼は空を見上げながら、そこにいるはずのノーライア帝国に向かって呟いた。
****
トゲトゲは、新しく提出したフライトプランに従って、宙港から出国許可を得ると、艦長の発進命令を待っていた。
だが、誰もその命令を下さなかったため、発進用に空けられた運航経路はいつまでもそのままだった。
「軍曹。艦長宛に管制から連絡が来ています」
「艦長宛?」
そう言えば、この船の持ち主はメルシー商会だが、艦長は一体誰なんだと、マックスは今更ながらに首を傾げた。
金を出したのはリンだし、改造したのもリンだし、ついでに言えば、ホムホムの主もリンだ。
「そういや、トゲトゲはリンの船だろ。艦長はやらないのか?」
「か、かんちょー? 私が? そ、それはぐんそーに任せるのだ」
「なんで?」
「わ、私がかんちょーなどできるわけがないのだ。そんな、ひ、卑猥な」
「待て、リン。お前何を考えている」
「何って、お尻じゃろ?」
「違うわっ!」
リンの時代に『艦長』などと言う職業はなかった。船自体はあったが、その責任者は『船長』だったのだ。
それを冷めた目で見ていたフェリシアが、ため息を一つ吐くと、有無を言わせず通信を接続した。管制を待たせるにも限度と言うものがあるのだ。
「繋ぎます」
『――こちら管制。何をしているC-CS-0238167-TOGE×2。さっさと発進して経路を空けろ!』
管制は、さっさとしないと許可を取り消すぞと叫んでいるし、リンはリンで、かんちょーなどいやじゃーと言いながら、未だにブリッジを走り回っていた。
「はぁ……仕方ない。トゲトゲ発進!」
「トゲトゲ発進、ヨーソロー」
この瞬間、トゲトゲにはマックスが艦長として認識され、登録されることになった。
「まったく、今の今まで艦長すら決まってなかったなんて、先が思いやられますね」
「そうは言ってもな、航宙士兼通信長兼機関長兼索敵員のカリーナ一等兵。訓練の時は別に何もしなくても、宇宙に出られてただろ?」
「あの時は、発進時に軍曹もリンちゃんもブリッジにいなかったからでしょう!」
カリーナは、緊急時でもないのに、発進時に責任者っぽい人間が誰もブリッジにいないなどと想像すらしていなかった。だから、訓練の時はやむを得ず先任の航宙士であるカリーナが船を発進させたのだ。
まさか、艦長が決まっていなかったなどと、誰も思ってもみなかっただろう。
「そうだったのか……そうだ、このさい、ついでに艦長も兼務するってのは――」
「お・こ・と・わ・り・です!」
とにもかくにも、こうしてマックス小隊の旅は始まったのだ。
「で、軍曹。このまま〈イザヤゲート〉へ向かうんですか?」
「なんだ、サージ。まだ訓練が足りないのか?」
確かに、予定よりは五日も早く飛び立つことになったため、どこかで五日間時間を潰す必要があるのは確かだった。さすがに国家間の会談のスケジュールを一方的な理由で直前に変更することなどできるはずがないからだ。
「いえ、もうあれは十分です」
「そいつは残念。んじゃ、サージ。もしも誰かが襲ってくるとしたらどこだと思う?」
マックスはブリッジのホロテーブルに、航路マップを表示しながらそう尋ねた。
それによると、ローズ星系までには、三つの大ゲートと、その間にある八つの小ゲートをくぐる必要があるようだ。
---- 主要星系およびゲート模式図
φ星系
〇惑星
□星間共有大ゲート
△星間共有小ゲート
φパラノシア星系
〇主星:テラバウム
□イザヤ
△ホセア
△ヨエル
△アモス
□エレミア ---- □エゼキエル ---- φポルケウス星系
△オバデヤ △ゼファニヤ 〇主星:テラリウム
△ヨナ △ハガイ
□バルクゲート △ゼカリア
△ミカ △マラキ
△ナホム □ダニエル
△ハバクク φカーストル星系
φローズ星系 〇主星:ノーライア
〇主星:クリムゾン
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「そうですねぇ……〈イザヤゲート〉までの間はまずないでしょう」
サージは、マップを指さしながらそう言った。
海賊行為は時間との戦いでもある。
惑星国家にしろ星間国家にしろ、近場の軍に急行された場合、よっぽど大きな組織か、強力な艦を持った賊でない限り殲滅されるのが関の山で、結果、軍の基地からなるべく離れた場所が、もっとも危険なポイントになるわけだ。
そして大ゲートには近隣諸国の艦隊が駐留しているため、その周辺で海賊行為を働くのは、よっぽどのバカか自信家以外いなかった。
「比較的距離が長く、近隣に惑星国家の存在しない〈ホセア〉と〈ヨエル〉の間が最も危険だと思います」
〈エレミアゲート〉より先は、カーマインの軍が哨戒している。
なぜなら、〈エレミアゲート〉がノーライアとの中継ゲートに当たるからだ。彼の国が攻めてくるとしたら、現在必ず〈エレミアゲート〉を通過する必要があるのだ。
都合賊に襲われる可能性が高いのは、〈エレミア〉と〈イザヤ〉の間と言うことになるが、辺境度合いと通過する船の数のバランスを考えると、〈ホセア〉と〈ヨエル〉の間が最も被害の出やすい場所だった。
もちろんそう言う場所にはパトロールも出張ってくるわけだが、そのルートが重要になる惑星はテラバウムのみだったため、パトロールに利用できる艦艇も他の星間国家に比べれば貧弱なもので、それほど頻繁と言う訳にはいかなかった。
「カリーナはどう思う?」
「サージ伍長と同感です」
カリーナはホロテーブルを見ながら頷いた。どうやらそれが常識的な判断と言うやつらしかった。
特に〈ホセア〉と〈ヨエル〉の間には小惑星帯が挟まっていて隠れるところも多く、一種の難所となっていた。
「んじゃま、それまでは気楽にやるか」
****
「ポッペウスが、カーマイン共和国へ向かった?」
「は。例の遺産と共にカーマインへ向かい、ノーライアに対抗する助力を得るのが目的だそうです」
「ふむ……」
イシュールの小ライアコラ宮の執務室では、ハノークがその報告を受けて頭をひねっていた。そんな重要な話が簡単に漏れてくるというのは、いかにも罠臭いからだ。
「ポッペウスの表向きの予定は?」
「40日間のうちに特別な外遊はありません。定例のミサと政務だけです」
「なら、そいつは影武者か? 小グループの謁見は中止されていないのか?」
教皇庁の謁見用広場で行われるクレリア教皇の謁見は、信徒が教皇を身近に見られる人気のある宗教的イベントだ。
「今のところ変更はないようです」
「ふーむ」
ポッペウスはほとんど暫定と言ってもいい教皇で、突然教皇にされた男だ。それはつまり、教皇としての影武者を用意することが難しかったことを意味していた。
仮に影武者がいたとしても、信徒との距離が、わずか数メートルになる広場での謁見をこなすことはなかなか難しいだろう。
「そうだとしたら、やはり罠か?」
「それは分かりません。クレリオール家として用意されていた影武者がいないとも限りませんので」
「十四でか?」
通常、影武者は、時間をかけて育成されるが、影武者になるための整形は、ある程度成長が止まってから行われる。そうしなければ整形したところで、成長していく過程で違う顔になってしまうからだ。
いかに現代の技術でも、成長期に合わせて整形を繰り返していては、不自然な特徴が生まれてしまう可能性が高かった。長い年月をかけて同じ振る舞いができるように育成した人間を使い潰すようなことは普通はしないのだ。
「念のために前後二週間に出発する、定期航路およびチャーター便のを調査したところ、旅客船や貨客船に当該する人物が搭乗した形跡はありませんでした」
「ですが、チャーターされた貨物船に、スーキ・Kの名が――」
「貨物船?」
一般的に客を運ぶことができるのは、旅客船か貨客船だ。前者は人間を主体に、後者は人間と貨物の両方を運ぶことが許されている船だ。
貨物船は貨物だけを運ぶことができる船で、乗客を運ぶことはできない。ただし、貨物の所有者や管理人が必要な場合は、例外的に貨物の一部として人間を運ぶことが許されていた。
「積み荷は?」
「遺物とだけ」
「はっ!」
ハノークは、それを聞いて鼻で笑った。
罠の匂いはプンプンしているが、仕掛けがあまりに稚拙すぎる。もしかしたら罠だと思わせることが目的で、すべては真実が語られているのかも――そう思わせる程度には。
「引き受けたのはどこの船だ?」
テラバウムに出入りする商船を持つ会社には、多かれ少なかれイシュールの息がかかっている。もちろんユールやクレリアも同様だろうが。
「それが……新参者といいますか」
「新参者?」
「船自体は、数日前に登録されたばかりです。所有者はメルシー商会」
「聞いたことがないな。誰の息がかかってる?」
「分かりませんでした」
「分からない?」
「ネットワークには情報がないのです。宙運局へ問い合わせはしたのですが……現在回答待ちです」
それを聞いたハノークは、忌々し気に吐き出した。
「ホーンテッドか」
「おそらく」
教皇を運ぶ仕事が、ホーンテッドな商会に持ち込まれ、しかもスーキ・K名義でそれが行われるというのは、それだけで表に出せない仕事だと宣伝しているようなものだ。
メルシー商会が、教皇庁の裏の仕事を請け負う会社だとしても驚くには値しないが、それにしては、今までまったく聞いたことがないというのはおかしな話だった。
「この情報を持ってきたのは、教皇官房庁に放っている草だな?」
「御意」
仮にも和平がなった今、邪魔者はノーライアに始末させようということだろう。なんとも汚いことを考えるものだが、いかにもあの宰相らしい行動だ。
「もしもこの情報が本物なら、遺物は眉唾だな」
「は」
「連中が、本当にロマリアの遺産を手に入れているなら、あの強欲な宰相が、それを失うような危険を冒すとはとても思えん」
現クレリアの宰相は、なるべく責任を負わずに、美味しいところを持って行きたいだけの俗物だ。宗教組織のトップとしては、今の十四歳の小僧の方が、彼の目から見てもよほど優れていた。
「しかも、教皇を間接的に暗殺しても、まったく良心が傷まない悪党と来ているからな」
なにしろ、前教皇の暗殺疑惑すらある男なのだ。
「だが万が一と言うこともある。一応密使殿にお知らせして差し上げろ。彼らもカーマインが介入してきてはやりにくかろう」
「御意」
報告していた男は頭を下げると、ハノークの命令を実行するために執務室を出て行った。
ハノークは、クレリアが遺産を手に入れたとは思っていなかった。むしろ先日の星間オークションに突然かけられた、まったく瑕疵のないロマリ金貨を二十五枚も出品した誰かの方がよっぽど怪しいと睨んでいた。
ノーライアもそう考えたのだろう。出品者を突き止めて、それを拉致しようとしたらしいが、どうやら返り討ちにあって優秀なスタッフをごっそり失ったらしい。密使の男が忙しく動き回っているのはその後始末のようだった。
「存外、ノーライアもだらしない」
鼻を鳴らして笑ったハノークは、もう一度資料を見直した。
「ホーンテッドな商会、鮮やかに消えた出品者、クレリア教皇、ね」
ハノークは、ひとつずつ指を立てながらそう呟くと、軽く頭を振った。
この組み合わせは、どうにもしっくりこない。なんとなくおさまりが悪いのだ。
そう言えば、バーサカリームのダビドフが、あの日あそこにいたのは、セブンスナイトの少尉、ケロゴールの部隊だと報告して来ていた。
「ホーンテッドな商会、鮮やかに消えた出品者、そしてバイアムの傭兵、か」
これならしっくりくる気がすると、ハノークは一人頷いた。
次はそのケロゴールとやらに接触してみるかと、彼は人を呼ぶために呼び鈴を鳴らした。
もっとも今回の話は、その船に本当に遺物が積まれていてもいなくても、どう転んだところでイシュールには損がない。リスクを冒すのはノーライアだけで沢山だと、彼は口元をゆがめて笑った。
****
ケロゴールは、ハロー砦の中でも一二を争うクラブで、綺麗どころを三人侍らせながら面白くない酒を飲んでいた。酒は最高、女も最高だったが、気分が最低だったのだ。
そんな彼の元に、顔も見たくない闖入者が突然訪れた。
「よう、ケロゴール。探したぜ」
「ダビドフ?! お前、どの面下げて!!」
ケロゴールの怒気にあてられた夜の蝶たちは怯えるように羽ばたいて席の隅へと固まった。
「まあまあ、落ち着けよ。いいところで飲んでるじゃねーか」
ダビドフはケロゴールのブースに滑り込むと、綺麗どころを手を振って下がらせた。
これ幸いと彼女達は逃げるように散って行ったが、最後に残った女の子は、ダビドフの酒をつくってからペコリと頭を下げてブースを後にした。
「凄ぇのがいるな、この店」
ダビドフはクマのような大男で、粗野な感じを与える風貌だ。大抵、初対面の女子供には怯えられる。
度胸のある蝶々もいたもんだと、彼はその後ろ姿を見送った。
「ハロー砦には、俺たちバイアムを始めとして軍関係の連中も多いからな」
「ま、下がれと言われてすぐに下がらないってのもどうかと思うけどな」
どかりと股を開き、ソファの背に腕を回してダビドフは、ケロゴールに向かってまるで悪びれた様子もなく言った。
「まあ、あんときは悪かったよ。だが、あの状況じゃ仕方がないって、あんたにも分かるだろ?」
内通を疑われ、雇用主自ら航宙航空フリゲートまで持ち出してきたのだ。指揮権は当然向こうにあるだろうし、何もできないであろうことはケロゴールにも分かっていた。
だがそれとこれとは話が別なのだ。
「おかげで俺は冷や飯を食わされるハメになったぜ?」
「悪かったって。つーわけで、こいつは詫びだ」
ダビドフがテーブルの上に放り投げたのは、無記名のチャージ専用クレジットだった。
無記名のチャージ専用クレジットは、口座にチャージすること以外はできないが、手軽な個人間の取引手段として便利に利用されている。
支払元が分からなくなるため、マネロンに使われる可能性を苦慮して、国家としても規制派と容認派に分かれていたが、ダーティーだろうがクリーンだろうが金は金だ。とりはぐれがないならと容認されていた。
何しろ対象はクレジット口座だ。金のやり取りに関しては、ガラス張りも同然なのだ。
「ほう。これが俺の面子の代金って訳か?」
額面が二十万クレジットのそれを拾い上げながら、ケロゴールが言った。
「まあそう言うなよ。砲撃地点を予定通りの場所にするのは結構大変だったんだぜ?」
彼はノーライアの連中が、自分たちを地上を這う虫みたいな目つきで見ていた話を、同情を買うように語った。
もちろんケロゴールは、半分も信じてはいなかったが。
「それで、虎の子を墜とされたのか? 情けねぇ」
「それだよ、あんたらよくあれを墜とせたな。一体どうやったんだ?」
それを聞いた瞬間、ケロゴールは話の持って行き方を間違えたと思ったが、仕方なく眉根を寄せながら吐き出すように言った。
「最後まで残ってたのは忌々しいリード軍曹だが、どうやったのかは知らんね」
「リード軍曹?」
「ああ。だが、その件で教皇庁から罰をくらって、ざまあみろだ!」
ケロゴールはそう言うと、自分の前に作られていた、濃い水割りを一気にあおった。
「罰だと?」
ダビドフの疑問に、ケロゴールは、指名依頼で教皇の護衛の話が来たことを語った。
「陸戦専門の俺たちに、宇宙での送迎と護衛だってよ! 笑っちまうぜ!」
ケロゴールは機嫌よくそう口を滑らせたのだった。




