02
マンションに戻って、ポツリポツリとこの1週間のことをモモが話してくれた。
祖父は、大きな会社の会長さんだったけど、後継者がいないので、社員の中から優秀で信頼できるやつに、後を託したんだそうだ。だから、モモは、経営にはタッチしていない。祖父母から相続した財産は、管理をその人がやってくれているのだけど、さすがにまったく連絡を取らないではいられないから、定期的には打ち合わせをすることになっていることもあって、今回は、祖父母の家だったところに一度、帰ったそうな。
モモは、ご令嬢だった。だから、掃除も洗濯も、当然、料理もやったことが無いんだ。
まったく、俺は、声も出ない。
「執事の鈴木さんも、家の事やってくれるミヨさんも、料理作ってくれるタカシさんも、みんないい人よ。
でも、おじいちゃんが死んじゃった時、みんなに迷惑かけちゃいけない、甘えちゃいけないと思ったんだよ。そしたら、どう接したらいいか判んなくなっちゃってさ。気づいたら、友達の家に居候していたほうが、居心地よくなっちゃって。
でも、寂しいの。一人になりたくないの。誰でも良いから、可愛そうな私じゃなくて、ただの私を見て欲しくなる。」
俺は、黙ってモモを抱きしめた。慰めの言葉は、モモには禁句なんだ。
「ここに帰って来ても良い?」
おずおずと聞いてくる。
「いいよ。でもさ、男は連れてくるな。若いやつは当然。爺さんも駄目だぞ。
あっ!。猫も無理だから。」
モモが、くすりと笑った。
「そして、もう一つ、『一人でいられない病』も、どうにかしないとな。」
モモが、『うん』と頷いた。これが一番の問題だ。途方に暮れながらも考えていると、モモが言った。
「洋ちゃんが、探しに来てくれて、もう一度一緒に住んでも良いよって言ってくれたから、大丈夫だと思う。私の家族になってくれるんだよね?」
―?―
―家族? 家族って、いろんなもの飛び越えてるぞ! モモ!―
『うちに帰ろう』って確かに言ったけど、彼氏になるっても言ってないし、当然、プロポーズもしてない。頭の中で、グルグルして、うまい言葉が出なかった。
―けど、まあ、良いか―
この一年、モモに振り回されて大変だと言いながら、家に帰ってくることが楽しかった。仕事が順調で忙しくて、思うように休みが取れなかったけど、モモの顔を見るだけで、明日から頑張ろうと思えたことも確かだった。そして、『出て行ってくれ』と、言って家を出ていたこの1週間が、長い長い拷問のような日々だったことを考えると、案外、モモとは相性が良いのかもしれない。
返事の代わりに、にっこり笑ってキスをして、きらきらした目で俺を見ているモモを抱き上げて、寝室へ向かった。
と、ここまでは、おとぎ話。の、ようなものだった。そう、ここからが、本当にあった怖い話?
誰しも通る、結婚までのプロセスなんだけど……。
めでたしめでたしだけでは、終わらない。モモは、親父さんが居るけど、音信不通のままだったから、結婚のご挨拶は必要ないのだけど。あの、お祖父さんに信頼され、モモの後見人のようになっている会社の社長、陣内信之が、胡散臭い物でも見るように、今、この大会社の重役専用の応接室のソファーの向こうから、冷たい目を向けている。
―これ、私用だよ。何で、これ見よがしに、会社の応接室? それも重役用のだよ―
ーぜったい、俺に圧力掛けているから。ぜったい、そうだから―
内心、嫌味なオヤジだとにらみ返したくなるのを、一応、おれも大人だから、極上の営業スマイルをかえした。
「今日は、お時間を作っていただいて、ありがとうございます。初めまして、綿貫 洋と申します。」
「綿貫さん、先ほど、秘書から、貴方のプロフィールは聞きました。まあ、会社を立ち上げて頑張っているようですね。」
嫌味な物言いを隠しもしないで、不信感を前面に出して、わざと鷹揚に言っている。
「それで、今日のご用件は?」
「おじさま、前に、電話で言ったでしょ。私、洋ちゃんと結婚するから、挨拶に来たのよ」
「そうだったかな。でも、まあ、綿貫君、君からきちんと聞きたいんだ」
一度も、俺から視線を外さずに、モモに言っている。モモを大事にしていることは、伝わってくる。
実家の執事の鈴木さんも、家の事やってくれるミヨさんも、料理作ってくれるタカシさんも、モモと結婚すると伝えると、音が聞こえてくるほどに、一斉にほっと息をはいた。その後、3人が、祝う言葉を口にして、ミヨさんなんか、涙をこぼして喜んでくれたことを思い出した。
モモは、家族は、もう、いないと言ったけど、そんなことは無かった。モモとどう接すればいいか戸惑っていたと、執事の鈴木さんが言い、ミヨさんとタカシさんも、とっても心配してくれていたんだよね。
「お二人で、洋さんのマンションにお住まいになるなら、ここには、お住まいになられませんね。それでしたら、今月いっぱいで、事後処理をして、お暇させていただきます」
と、執事の鈴木さんが言い、ミヨさんとタカシさんも、一緒に頷いた。
「ちょっと、待ってください。それじゃあ、ここを出られた後、皆さんはどうするんですか?」
慌てて聞いた俺に
「大丈夫ですよ。会長がお亡くなりになった後、3人で、遠くは無い将来のことを決めていたんです。3人で隠居して、仲良く暮らします。まあ、のんびりした老後も良いでしょう」
穏やかに、鈴木さんが言った。俺は、あわてて
「そんな! だったら、このまま、ここで住んでいても良いでしょう」
「いえ、それは出来ません。桃子さまが時々でもお住まいになっている間は、私たちにも『仕事』がございましたが、桃子さまがここをお離れになるのであれば、私たちの『仕事』は、無くなります。ですから、きちんとけじめをつけたいのです」
さっきから話をしていると、誠実で自分たちの仕事にプライドを持っていることが伝わってくる。
「あのね。私、家の事、なんにもできないから、3人にいてもらいたいの。いいよね。洋ちゃん」
今のマンションから、こっちに引っ越してきても、俺の仕事に支障はない。まして、家に3人いてくれれば、モモ一人にしなくて済むし、変な人間をお持ち帰りすることもなくなるだろう。一挙両得かも。
こんなお屋敷を維持していくことなんか俺たちには無理だ。そうかといって今すぐ処分したら、モモも寂しいだろう。この家に住むことがベストだ。
「ああ、そうだな。」
「鈴木さん、ミヨさん、タカシさん、俺たち、ここへ引っ越してきます。だから、これからはモモともども、俺もよろしくお願いします」
松濤に住むことも、報告するべきなんだろうけど、陣内の心証に影響するのかなあ。
今、俺の前に座っている陣内は、俺をどこまで信用すればよいのかと、とまどっているのだ。モモを大切にできるかどうかを、俺は問われている。
「洋ちゃんはね、私がお金持ちかどうかなんて考えたこと無いよ。ただ、センター街で困っている時に、誘ってくれたんだもん。ぎゃくに私の事、なんにも気にしないんだなって、驚いた。まあ、私も、洋ちゃんみたいな人初めてだったから、一緒にいるうちに、どんどん好きになって、でも、また、パパみたいに捨てられちゃうんじゃないか、ママたちみたいに死んじゃって、一人になっちゃうんじゃないかって、怖かったけど、やっと、モモの事、洋ちゃんにちゃんと話が出来て、家族になりたいって、モモが言ったの。」
モモが、嬉しそうに、俺の腕にしがみついてきた。ちょっと、まずいって思ったけど、そのまま、陣内のほうへ顔を向けた。
「そしてね、松濤の家にみんなで住もうって言ってくれて、鈴木さんともミヨさんともタカシさんとも、家族になったんだよ。」
それを聞いている陣内が、驚いた顔をした。
そして、少しの沈黙の後、
「それを、良いこととして、信用してもいいんでしょうか。 取り合えず、桃子さんの財産は、私が管理していますので、桃子さん自身でもそんなに簡単には自由にできないことをお伝えしておきます。」
ニヤリと笑って、俺を見た。
「ええ、モモの生活上必要な物は、私の収入で足りると思いますので、モモ個人として何か入用になった場合は、直接、モモが陣内さんとやり取りするでしょうから、その時には、どうぞ相談に乗ってやってください。」
どこかで、財産目当てだと思われているんだろうとは思っていたけど、実際に言われてしまうと、ちょっともやもやしたものが、胸にくすぶった。
取り合えず、挨拶は終わったと、丸の内のオフィスビルの玄関を出てきたが、モモと家族になると言うことが、自分の稔侍を問われるようなことになるんだと、いやと言うほど思い知らされた。
「あそこで、あんまり話すとめんどくさいことになるから言わなかったけど、別に洋ちゃんにお金貰わなくっても大丈夫なんだけどな。それに、今までだって一回も、おじさまにお金の相談しなかったんだけど。あんな言い方ないよね。」
となりで、モモが、ブツブツ言っている。
「えっ、じゃあ、今まで、どうやって暮らしてたんだ?」
「松濤の家のことは、ある程度、まとまったお金を鈴木さんに預けていれば、鈴木さんが運用してくれてるから、それで何とかなっているみたい。すごいんだよ鈴木さん。」
「それで、モモは、どうしてるの?」
はっとして、それから言いにくそうに言った。
「私は、自分のブランドがあって、そこそこ洋服が売れてるから、それで、何とかなってるよ」
よく聞いてみると、あの今、若い女の子一押しのブランド『M.Mind』のデザイナー兼オーナーなんだそうな! 開いた口が塞がらない。
俺の休みには、会社のみんなに詫びて、どんなにブーブー言われても、休んでいたとのこと。頭を抱えた。
「何やってるんだよ! 経営者がわがまま言ったら、だめだろ」
「大丈夫。もともと、やりたかったわけじゃないから。自分で着たい服作って着ていたら、回りの子に作って作ってせがまれて、作ってあげているうちに、なんとなく『会社にしなよ』って言われて、経営学やってた友達がそっちは任せてってなって、モモが作った洋服売るなら、ショップでその洋服売りたいって子がいっぱい出てきて、まあ、共同経営みたいなもんだから、社長って言っても、そんなに充てにされてない」
なんて、やつなんだ、モモは! 俺は、とんでもないやつを家族にするらしい。
「あっ! もしかして、夜中に連れてきた男、会社の人?だったりするの?」
「うん、そうだよ。会社は、はじめ女の子だけで頑張っていたんだけど、お店はけっこう力仕事があって、途中から入ってもらったんだけど、社内結婚が結構あってさ、みんなラブラブ。だから、わたしなんか、まったく女の子扱いじゃないわけ。助かるけどね。でも、みんないいやつだよ。」
俺は、また、頭を抱えた。
―モモ! 言葉足りなすぎ―
会社を経営して、少ないけど社員もいて、けっこう大人だと自分では思ってきたけど、モモを、ただ、気の合う女の子のポジションから、人生を一緒に歩んでいくパートナーとしてとらえると、今までの自分は、まったく大人とは言えないものだったと気づく。
普通にOLをやっている子を好きになっていれば、その子を妻として、子供も生まれて、ただただ、大切に愛しんでいけばよかったのかもしれない。
でも、モモは違う。俺が想像できないほどの財産を持ち、モモ自身の才能もたぐいまれな物を持っている。俺がどんなに頑張ろうと、敵わない人なのだ。
ー陣内さんの所へ挨拶に行く前に、教えてもらいたかったなあー
『俺が、モモを守って行かなきゃ』と思っていたのに、『自分を鼓舞して、もっともっと魅力のある男にならなければ、モモの隣に立てないし、一緒に歩いていけないだろう』
俺の覚悟なんか、ちっとも気づいていないモモが言った。
「洋ちゃん、お腹すいた。KITTEで、何か食べて帰ろう」
キラキラさせた目で、俺を見上げている。
これで、俺より年上だなんて、反則だよ(泣)
最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第51回 モモ~一人はいやなの~ と検索してください。
声優 岡部涼音君(おかべすずね♂ )が朗読しています。
よろしくお願いします