01
寂しさとは、厄介なもの。
本人にとっても。
そばにいる人間にとっても。
どこまで理解できるのか。
許容できるのか。
出張から、1週間ぶりにマンションへ帰ってきた。
疲れていた。EVが自分の部屋の階まで上がっていく間も、壁によりかかるような有様だ。
チンと鳴って、EVのドアが開いた。
フーっとため息をついて、降りる。
「疲れていると言ったけど、仕事のせいじゃないかも。」
ブツブツ言いながら、玄関のドアを開けた。
今までだったら、脱ぎ散らかされた彼女の靴があったけど、見事に、きちんと掃除されている。
「やれば、出来んじゃないか」
靴を脱いで、また独り言が出る。
静まり返った廊下の床がピシッときしむ音が、響いた。ゆっくりとドアを開いて、リビングに入ると、こちらもきれいに整理されていた。
9月に入っても、誰もいない部屋は、やっていられないほど暑い。モモがいないはずだと思いながらも、もしかしたらまだ部屋にいるかもしれないと、遠隔操作はしなかったから、うだるような暑さだ。舌打ちをして、エアコンのスイッチを入れ、ネクタイを乱暴に外して、ソファーに倒れこむと、ふっと、彼女の香水が鼻をくすぐる。
1週間前、1年同棲していた、モモと大げんかして、俺が出て行ってくれと言ったんだ。
モモは、だらしのない女だった。まず、片付けができない。掃除もできない。洗濯も、料理も。最初は、可愛いから、まあ良いかと思っていたが。
だらしのないのが、動物にも、まして人間にも当てはまるから困った。あるときは、猫を拾ってきた。ずぶぬれで、痩せこけて、すぐ爪を立てるから、モモは傷だらけになっていたっけ。
また、あるときは、胡散臭そうな爺さんを泊まらせてと連れてきた。渋谷の駅で、うろうろしているのを見かねて、声をかけたんだそうな。
まったく、俺も軽はずみに、モモを住まわせてやったわけだけど、それにおまけが付いてくるとは思わなかった。
1年まえ、渋谷のセンター街で、大きなバックを抱えて、モモは珍しく一人で立っていた。
その少し前から、モモには気づいていて、仕事帰りに仲間と飲みに行くとたいがい女友達や男友達と一緒で、その中でもモデルかと思うほど美人で、目立っていた。彼女の周りは、いつも賑やかで、みな笑っている。
「人生、楽しそうだな」
などと、皮肉まじりに友人と話していたが、実は、けっこう気になっていた。
その日は一人で、よく見ると泣いていた。目が合うと、
「彼氏に家、おんだされちゃった」
と、舌を出して肩をすくめてくしゃりと笑った。その表情が寂しそうで、可愛くて思わず、言っていた。
「うち、来る」
「いいの?良かった。家、帰りたくないんだよね」
軽はずみなことを言ったと後悔しつつも、モモは、今までに付き合ったことのないタイプの女の子で、それが新鮮で楽しかった。まして、モモは、俺のプライベートを一切気にしないのだ。モモ自身が、あまり自分のことは話したがらない。そのせいか俺のことを詮索しないのだ。
この年まで一人でいれば、恋人はいた。以前の彼女は、それまでの恋人のことを詮索したがり、喧嘩になり結局別れることになったが、まして「結婚して」とうるさく言う女は、最悪だ。モモが、うるさく聞いてこないのは、モモ自身がきっと今だけと思っていると都合よく考えていた俺は気楽だった。
ただ、困ったこともあった。モモは、異常に一人を嫌うのだ。しつこく、
「今日は、何時に帰ってくる」
と聞く。最初は、詮索しているのかと疑ったが、そうではなく、ただ一人でマンションにいるのは嫌だと言うのだ。最初は、仕事場の近くで待ち合わせて、飲みに行ったり食事したりと二人でいる時間が取れていたので、それでもよかったのだが、立ち上げた会社は、順調に売り上げを伸ばし忙しくなり、遊んでばかりいられない状況になってきた。
少し徹夜や出張が続き深夜帰宅すると、モモは、一人で毛布にくるまって、真っ暗な部屋の隅で泣いているのだ。俺に気が付くと、うれしそうに抱き着いてくる。どうして、明かりをつけないのだと聞いても、首を振るだけ。食事はどうしたのと聞いても首を振る。とにかく、おかしな女だった。
「洋ちゃん、ありがとう。帰って来てくれて」
少し煩わされることもあったが、俺たちは楽しく生活していた。ちょっとした時間を作っては、遠出した。買ったばかりの車で、ドライブを楽しんだ。モモは、俺の都合に合わせ仕事を休んでいたし、いつでも嫌とは言わなかった。楽しそうに助手席に乗って、歌っていた。そう言えば、モモは何の仕事をしていたのだろう。
年末に入り、仕事が忙しくなって、帰宅できない日が続いていた。もう、モモに電話をする気力もうせて、lineで済ませていると、ある日、モモが電話をしてきた。
「まだ、帰れないの?」
「寂しいよ」
「じゃ、いい。」
何時もと違って,強い調子で電話を切られた。
社員に、ごめんと言って無理して帰ってみるとマンションには、いなかった。
「無理して、帰って来たんだぞ」
誰もいない部屋で、独り言がでた。散らかっているごみをかたづけ、キッチンに溜まった食器を洗い、掃除機をかけていると,朝方になって、やっとモモが帰ってきた。ろれつが回らないほど飲んでいて
「あれ、洋ちゃん、帰っていたの?」
呑気なことを言っているが、そのうち化粧も落とさずにベッドへ入って寝てしまう。
これで良いのかと疑問に思うこともあったけど、俺にとって都合の良い関係だったせいもあって、何となくモモとの関係は続いた。
少し仕事が落ち着いてきた頃、モモと久しぶりにテレビで映画を見ていた時のことだ。それは、新作のラブコメで、モモは、機嫌よく見ていたのに、主役の子供時代の回想シーンで、激しく震えだした。母親が死んでしまうシーンだった。
「止めて、止めて、もういいから!」
そう言って膝を抱えて泣き出した。スイッチを消した俺は、モモを黙って抱きしめた。どのくらいたっただろう。モモがポツリと言った。
「小さい頃、3歳くらいだったかな。朝、起きたら、ママが布団の中で動かなくなっていて、小さかった私は、それがどういう事か判らなくて、ママが早く起きてこないかななんて思いながら、夜になって、背の低い私には、電気も付けられなくて、真っ暗な中、怖くて、冷たくなっているママの布団に入って、また寝たの。
パパ? パパは一緒に住んでいなかった。
次の日もママは起きなくて、私、一生懸命玄関のドアのかぎを開けて、外へ出たの。
マンションの管理人さんが気づいてくれて、一緒に部屋に来てくれて、大騒ぎになったわ。
ママは死んでたの。
私、ママのおじいちゃんとおばあちゃんに引き取られて、その家で育ててもらったの。
パパは。来てくれなかった。
ママは、おじいちゃんたちの反対を押し切って、パパと結婚したから、パパが貧乏な生活に耐えられなくて逃げ出した後も、ママは、おじいちゃんちに頼れなかったのね。
病気だったのに、無理して死んじゃった。
おばあちゃんは、私を憎んでいたわ。うううん、違うな、パパのせいで、ママが死んだと思っていたから、パパの子供の私と、どう接したらいいか判らなかったんだと思う。
おじいちゃんは、優しかった。モモを可愛がってくれた。
だんだんと、おばあちゃんとも仲良くなれて、家族になれたかなと思い出した中学2年の時、おばあちゃんが死んで、また、ママのことを思い出して、パニックを起こすようになったの。
おじいちゃんが、何度も何度も、頭を撫でてくれて、『大丈夫だよ』って、抱きしめてくれた。『一人じゃない。モモ、一人じゃないよ』って。
それなのに、おじいちゃんも、5年前に死んじゃって、私、また、一人になっちゃった。
だから、怖いの。私、夜、一人でいると、また、一人になっちゃったんじゃないかって。」
俺は、何も言ってやれなかった。ただただ、抱きしめた。モモが抱えている心の闇は、薄っぺらな気持ちで、一緒に暮らしだした俺なんかが、言ってどうにかなるもんじゃないと思ったからだ。
核心に触れることをせずに、あいまいなまま、モモと一緒にいたことを、本当は、モモをどう思っていたのだろう。
その後も、仕事は順調だったし、モモともご機嫌な関係が続いた。でも、やはり仕事が忙しくなると、うまくいかない。わかっていても、マンションに帰ってやれないのだ。それでも、一人でいることを過剰に嫌うモモが、友達とセンター街で遊んでいることには不満があって、無意識にため込んでいたのだろう。
モモと暮らし始めて1年が過ぎた、この1週間前、出張の用意もあったので早めに帰宅すると、モモがいなかった。いつも通り片づけをして食器を洗って、出張の準備もして、やっとベッドに入ったのは、夜中の3時。モモは、朝方帰って来た。それも男を連れてだ。
ベッドに俺が寝ていることに気付いて、男はそそくさと出ていったが、モモは、
「あれ、洋ちゃん帰っていたの?」
「あの男は何だよ!」
「モモが、酔っぱらっちゃって歩けないから送ってくれたんだよ」
「そんなわけあるか!もしそうだとしても、寝室まで入ってこないだろう」
「だって、洋ちゃん、今夜も帰ってこないと思ったんだもの」
その最後の言葉に切れた。
「今までも、男を連れ込んでいたのか」
「そう言うことじゃないよ。一人でこの部屋にいることが怖いから、寝るまで誰かにそばに居てほしかったんだよ」
その後は、モモに何を言ったのか覚えていなかった。感情に任せてひどいことを言ったように思う。そして、最後に
「出て行ってくれ。」
そう、吐き出すように伝えて、俺は家を出た。
「まったく!」
思わず言葉が口をついて出た。
重い腰を上げ、ビールを飲もうと冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫の中も、整理してあった。
「俺は、こんな甘い酒は飲まないよ」
ガランとした冷蔵庫の中には、俺用のビールが6本。
そして、カシスオレンジのチューハイが端っこにちょこんと1本入っていた。
ビールを手に取って、プシュッと開けながら、リビングへ戻る。
一口飲んで、テーブルに乱暴に置いた。ガツンッと一人の部屋に響く。
カーテンの開いたままの窓の外には、高層マンション群が、鮮やかに写りだされている。
「あいつ、今度はどんな男と暮らしているのか。」
出て行けと言ったのは自分だったと苦笑いして、ビールをのむ。
「まあ、モモなら、うまくやっているだろう」
もう一口、ビールをあおぐ。
それぞれの窓には、それぞれの暮らしがあって、俺みたいに一人になってしまった男の部屋もあるんだろうかと、女々しく思いながら、ぐっとビールを飲みほした。
「苦い。」
本当なら、商談もうまくいって、うまい酒を飲んでいるところなのだが、マンションへ帰って来てしまったのだった。
空になった缶を持ってキッチンへ行き、冷蔵庫を開ける。
隅にちょこんと立っているカシスオレンジを手に取って、眺めた。
そして、ビールの空き缶と一緒に、ゴミ箱へ捨てようとして、はっとした。
「俺、モモをこんな風に捨てたのか?」
思わず、マンションを飛び出して、モモのいそうな場所を探し回った。きっと渋谷にいるはずだ。寂しがりやのモモは、仲間と居るはずだ。夢中になって探し回って、朝方、モモと女友達と一緒にいる姿を遠くに見つけて、走っていくうちに見失った。きょろきょろと辺りを見ていると、ビルとビルの隙間に隠れていた。
女友達が「何しているのよ」と尋ねている。
モモは、シーっと口に指をあてているところで、目が合った。
「何しているんだ」
「えっ、洋ちゃん、私のこと気づいたら、いやな気持になるかなって思って。
もう、私の顔見たくないから、出て行けって言ったんでしょ。ごめんね。こんなところに居て。渋谷に来なければいいんだけど。寂しくて、我慢できなかったの」
ぼろぼろと泣き出したモモは、1週間前よりも痩せているように思えた。
俺の負けだな。そう言って、モモを抱き寄せた。
始発の電車を待っている時、モモが言った。
「洋ちゃん、何持ってるの」
異様に膨らんだポケットには、カシスオレンジの缶が入っていた。あまりの狼狽えぶりに、恥ずかしくなって、ごまかすように言った。
「これ、モモ、好きだろ、だから渡そうと思ってさ。」
最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。
よろしければ、「モモ ~一人はいやなの~」の朗読をお聞きいただけませんか?
涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第50回 モモ ~一人はいやなの~ と検索してください。
声優 岡部涼音君(おかべすずね♂ )が朗読しています。
よろしくお願いします