9話:長い研究でハイブリッド・プリウス誕生
1985年以降、トヨタ自動車は新しいタイプの車を次々と発売した。
スポーツタイプで言えばMR2日本初の市販ミドシップ・スポーツ、
セリカGTーFour、スープラ、チェイサー、アルテッツァ、
1991年、アリスト、オフロード様のハイラックス、RAV4が発売
された。
1994年、佐藤家の双子の兄弟が小学校に入り、元気に登校し始めた。
そして佐藤妙子のプロジェクトチームが長年にわたり研究した省燃費カー
、プリウスが1997年に発売された。驚異的な燃費と価格で登場した
プリウス1997年10月に登場した初代トヨタ・プリウス。
初代プリウスのパワーユニットは58馬力の1.5リッターエンジン
と30キロワットの電動モーターを組み合わせたもので、バッテリーには
288ボルトのニッケル水素電池を用いていた。プリウスの誕生以降
、ミニバンのエスティマや多目的車のハリアー、クルーガーなど、
多数のモデルにハイブリッドシステム搭載車が設定されていった。
エスティマ・ハイブリッドも発売された。1997年3月に
発表されたトヨタ・ハイブリッド・システムは、EMS
「エンジン・マネジメント・システム」とはまったく異なるハイブリッド
システムだった。
パラレル方式にシリーズ方式を組み合わせエンジンを駆動力として利用
しながら発電にも用いる複合型である。「いいとこ取り」を実現するために
、エンジンの動力を分割する機構が取り入れられた。モーターは発進時に
大トルクを供給するのに適していて、高速走行ではガソリンエンジンに
分がある。
状況に応じてエンジンを動かしたり停止させたりし効率を向上させる
システムを作った。エンジンは発電も担当し減速時には回生ブレーキが
充電を助ける。エンジン自体も高効率なアトキンソンサイクルを採用した。
発表会では、
「従来の同クラス車に比べて燃費は100%向上、CO2は2分の1、
CO・HC・NOxは現行規制値の10分の1」という性能を示し、それを
年内に発売すると宣言した。
東京モーターショーを前にして1997年10月14日にプリウスが
発表された。燃費はガソリン1リッター当たり10・15モードで
28キロメーターという当時としては驚異的だった。目標は見事に達成
された。そして、もう一つ人々を驚かせたのは215万円という価格。
同クラスのカローラと比べれば50万円ほど高かったが、最新
テクノロジーを満載した次世代車としては破格の安値。
1997年12月10日から販売が始まり、翌年の販売台数は予想を
はるかに上回る1万8000台近い数字となった。政府からの補助金も
追い風となった。この成功を見ても欧米の自動車メーカーは静観していた。
ハイブリッドカーはつなぎの技術でしかないと考えていた。究極の
エコカーは電気自動車か燃料電池車であり、内燃機関とモーターという
2つの動力を持つハイブリッドカーに利点はないというのが彼らの認識。
日本ではハイブリッド技術が肯定的に受け止められた。1999年9月
にはホンダがパラレル方式のハイブリッドシステムを採用したインサイト
を発売する。2人乗りではあったが、アルミボディーを採用するなどして
徹底的に軽量化した意欲的なモデルだった。2000年4月には、日産が
100台限定でティーノハイブリッドを発売する。ハイブリッドカーの
環境対応車としてのイメージは確固としたものになった。そして新世代の
豪華車ブランド・レクサスも1999年に発売された。