6話:豊田市へ引越
そこで2月から佐藤妙子は大学のゼミの先輩に助言をもらい、自動車
ボディの金属披露についての研究論文をまとめ上げた。ハリッシュの方
は機械工学でも自動車のエンジン性能について小型車エンジンの特長
について卒論をまとめようと考えて、ゼミの先輩に助言をもらうと
ユニークなテーマで面白いと思うよと賛成してくれた。
そして4月大学4年生にになりゼミの先生との打ち合わせで卒論の
テーマがきまった。その後、ハリッシュは学校に泊まり込み小型
エンジンの性能アップについて低回転から作動するターボエンジンの設計
を書いた。そして1984年が、あっという間に過ぎ、ハリッシュと
佐藤妙子は10月に卒論を提出し佐藤妙子は教授達と討論して卒論審査
を合格した。
一方のハリッシュの論文は先生方に日本の小型車を売り出す方法として
面白いかもしれない言われ卒論を受理してもらった。やがて1985年を
迎えた。ハリッシュが卒論の話をするとトヨタ自動車で、その論文を見せて
欲しいと言われて採用してくれるのなら見せますというと採用すると言って
くれ、採用内定をもらった。
その後、ハリッシュがトヨタ自動車の本社へ行く時に佐藤妙子も一緒に
行き採用試験を受けさせて下さいと言うと受験日を指定され、その受験日
に受験して採用内定を出してくれた。そして独身寮完備しているので入る
ように言われた。家賃も安く非常に助かると、ハリッシュと佐藤妙子は
大助かりだった。
1985年4月、ハリッシュと佐藤妙子は豊田市のトヨタ自動車に採用
されて、それぞれ独身寮生活を始めた。佐藤妙子の仕事内容は自動車の
開発部門で自動車の強度や速度によるボデーの影響や空力性能の計算を
する事になり、その仕事で忙しくなった。しかし、その当時は電卓計算から
PC9801と言うパーソナルコンピューターを会社から貸与されて
マルチプランとロータス123という表集計計算ソフトウェアが発売
されたので計算式を入れれば瞬時に計算してくれるようになり仕事の効率
が飛躍的に早くなって妙子は大助かりだった。
一方、ハリッシュはエンジン部門に配属され、燃費の良い車の開発を
主に担当するし、土曜は半日、日曜は休みで助かった。ハリッシュの方は
エンジニアの卵として日夜研修の日々が続いた。一方、佐藤妙子は指示
された条件でのボデーの剛性や空力性能など計算が必要なテーマを数多く
与えられて計算して報告書を書く日々が続いた。
妙子の弟の佐藤幸一は一橋大学の経済学部に合格して経済と投資の勉強
を続けていて将来は投資のプロとして銀行か証券会社で研修して、いずれ
自分で投資顧問会社かファンドや外貨、貴金属、原油商品関連の投資関連
会社を作ろうと考えていた。そして夏が終わり、秋、冬となり、妙子も
ハリッシュも信頼されるトヨタの技術者の端くれになった。
そうしているうちにクリスマスとなり12月下旬から1月初旬の正月休み
7日間もらい、それぞれ、実家に戻って正月を迎えた。実家に帰って来た、
弟の佐藤幸一に就職先を決めたのかと聞かれて小さな地方銀行か信用金庫
に入社して、できるだけ早く独立できるようになると話した、どうして
証券会社に入らないと聞くと証券会社に入ると自分で投資をすることが
できない規則があると説明してくれた。
それを聞いても良く理解できないので、まー頑張ってねと言うだけだった。
やがて1986年となり佐藤妙子が家から豊田市のトヨタ自動車に帰る前日
、母に、近いうち、ハリッシュと結婚するかも知れないと打ち明けた。すると
、父が何て言うか心配だけど、私は妙子を応援してやるよと優しく言うと、
涙がこみ上げて、母の胸で泣いた。すると妙子に結婚の覚悟ができ、私達の
将来のために頑張りつもりだから応援してねと母に告げると母も涙を浮かべ
妙子の肩をたたいた。そして妙子は家を後にした。