5話:トヨタに入りたい
やがて1983年となり大学3年生になってもアルバイトをしながら
勉強の日々が続いた。一度、ハリッシュが雪を見たいと言うので新潟の
GALA湯沢スキー場へでかけた。新幹線で長いトンネルを抜けると大雪
の銀世界を見て
「雪国の国境を抜けるとそこは雪国だった」とい小説のフレーズを
ハリッシュが言うと佐藤妙子がよく知ってるわねと笑った。
スキー場についたが佐藤妙子もスキーをしたことがないので初心者スキー
教室に子供達に交じって参加し悪戦苦闘した末、一番下のリフトに乗り、
初心者コースを滑り降りて、午後16時に新幹線で19時に家に帰った。
そして春めいてきて今年は山梨に桃の花と桜の花を4月上旬に一度に
見られると聞いて中央線の石和温泉駅からタクシーでマルキタ・花桃園で
白とピンクの桃の花を鑑賞した。
次に桜温泉通りの川沿いの桜の花を見て、多くの写真を撮って来た。
その日も日帰りで夜20時には家に着いた。ハリッシュか実家が女性問題
に厳しいのか家の躾が厳しいのか泊まっていこうとは決して言わなかった。
夏休み、ハリッシュを連れて銚子の実家に行くと佐藤妙子の両親が驚いて
直立不動で立っていたが、ハリッシュが、いつもお世話になってますと和やか
に笑いながら言うと打ち解けて、「なめろう」の話になり、食べたことがない
と言い生の魚を食べる風習がないと食べるのを断っていたが、父が酔って
一度ぐらい食べて見ろと言われ、仕方なく、口をつけたが、その生臭さと
味噌の味に参ってしまい、気持ち悪くなってしまった。
その後、少し休んでから帰ることになった。お母さんが生の魚を食べる
風習がないのに可哀想よと弁護してくれた。そして、その晩や実家の風呂
に入り泊まって、翌日、銚子の海岸で海水浴をして帰ったが、泊まって
いって良いかとハリッシュは両親に電話をかける本当に真面目な性格だと
感心した。
真面目なのか家庭の躾が厳しいのかどっちかだろうと佐藤妙子は想像して
いた。翌日の昼食を魚のフライ定食をおいしそうに食べて銚子から電車で
夕方17時過ぎに実家へ帰ったと電話をかけてきた。すると佐藤妙子の父が
真面目で良い奴じゃないかと誉めた。やがて秋になり、今年は進路を決める
ための会社訪問をする人が増えてきてで、だめもとで日本一の自動車メーカー
のトヨタ自動車の本社に電話をして面会の約束と取り妙子とハリッシュが
出かけた。
愛知県豊田市のトヨタ自動車本社の受付に面会の約束をとったこと話す
と人事部の担当者がやってきた。そして志望の動機を聞かた。その後、
大学の夏休みに研修させてくれるようにお願いすると、日程を指定され、
妙子とハリッシュが研修を受けることになった。せっかく、東京から来た
ので、できたら工場見学をしたいと言うと、ちょっとお待ちくださいと
言われ、10分後、若手の社員がやってきて1時間程、工場見学をさせて
もらった。
その後、人事部で入社の動機を聞かれハリッシュが早稲田大学理工学部
機械工学科で勉強して世界トップクラスのトヨタ自動車で働きたいと言い
、妙子は数学を生かして車体の構造と強度や通学を駆使してトヨタ自動車に
貢献したいと抱負を述べた。これを聞いて人事部の佐藤係長がとっても
積極的で頼もしいと告げた。同じ早稲田大学の学生でトヨタ自動車へ就職
希望することが解り、一緒に来たと説明した。
それは、その方が就職活動する上で良いと考えたからだった。やがて
ハリッシュ家、恒例のクリスマスパーティーに佐藤妙子が呼ばれて、
トヨタ自動車の工場見学に行った時の印象や工場規模などの話をした。
ハリッシュも佐藤妙子も是非、トヨタ自動車に就職したいと考えてる
と言いトヨタ自動車の本社人事部の佐藤課長も何とか採用したいと
言ってくれた。そして、1984年を迎えた。春から大学4年生となり
卒業論文に取りかかることになった。