初めての経験
「もうダメだ。」
私は元集落の真ん中に力なく座り込んだ。そこに、小一時間前には大規模な集落があったとは、誰も想像できないだろう。そこにはひとりの「人間」がいるだけで、家の燃えた焦げくさい臭いと煙が辺り一帯に広がり、その状況の深刻さを物語っている。私は目の前から歩み寄ってくる人影に泣きながら言った。
「助けてください…このままでは死んでしま…」
言葉の途中で私は力尽き倒れてしまった。人影は、ほんの数メートルまで近づいて来ていた。
三日前のこと。
「ニム、起きなさい〜 もう日が出てくる時間よ〜。」
「わかってるって、子供扱いしないでよね!」
お母さんの呼びかけに、私は自室の床を踏み鳴らし、着替えながら答えた。私は、ベニ村に店を構えるパン屋の看板娘、ニム。いたって普通の女の子で、まさに村娘Bと言うのがふさわしい、と私は思っている。あ、ちなみに村娘BのBはベーカリー(bakery)のBね。
「早くしなさい。今日は、大事な新作パンの仕込みがあるでしょ。」
いけない、そうだった。今日は、私のプロデュースしたパン、「エビとアボカドのフォカッチャ」の販売開始の日。私はパンが大好きで、お母さんの手伝いでパンを作ることはもちろん、自分で新作を考えることもしているくらいだ。15歳になった今でも、自分の考案したパンが店頭にならぶのが楽しみで仕方がない。
「はーい。今すぐニム、参上いたしまーす。」
「手をしっかり洗うのよ。」
「わかってまーす。」
私は手を洗って、エプロンを着けてキッチンへ向かった。
パンはしっかりと発酵させることが大切。そしてベンチタイムなどの生地を休ませる工程も忘れずに。大抵のパンは基本、そんな感じだ。そんなこんなでパンの仕込みは終了した。
「仕込み終わったから、隣町に買い物行っていいわよ。」
「本当⁈ じゃあ本屋に行ってきていい? 新作の魔導書が出てるの。」
「いいわよ。ついでにイースト菌も買ってきてちょうだい。お金はここに置いておくわね。」
「わかった、行ってきます!」
私はエプロンを脱ぎ去り、カバンとお金を持って家を出た。
隣町までは歩いて1時間で、そこそこ遠い。
「今日も平和だなー。いつもより静かなくらい。」
よく冒険者の一行が通っているのを見かけるから、治安はかなり良い方だ。
「魔物が出たら助けてもらおう。お礼には新作パンを振る舞うのがいいかな。」
なんて、どうせ私は死なないし、魔物も出ない方がいいんだけどね。その理由は、この世界では昔、神々の戦いに巻き込まれて多くの死者が出たことから、神が次の「理」を創ったからだ。
人間は、寿命を迎えるか病気によって死ぬか以外で死ぬことはない。戦いや事故で死亡した場合、一番近くの神殿・祭壇で復活する(ただし、何かしらを失うものとする)。魔物・モンスターも同じく、時間を経て再び復活する。これらは原則不変の理である。
失うものは人それぞれで、昨日の晩御飯を忘れたり、彼女にフラれてしまったりと、身体に限ったことではないらしい。かく言う私は、まだ死んだことがないので、少し恐怖を覚えている。理について考えているうちに、隣町の本屋に到着した。新作の魔道書は売っておらず、代わりに張り紙があった。
[魔道書は軍の規制により販売を中止しております]
軍の規制?大きな戦闘でもあるのだろうか?仕方がないので、母に頼まれたイースト菌を買って帰ることにした。
「あーあ、魔道書買えなかったし、イースト菌は重いし、何か面白いこと起きないかなぁ。」そんなことを言ったその時、山の方向から重装備の冒険者たちが走って来た。後ろにはドラゴンが追いかけて来ている。
「ドラゴン怒らせるのはまずかったって!」
「知らねぇ!俺はツノの一方が欲しかっただけで、あっちが勝手に怒ってるだけだ!」
「それが原因だろが!くそっ!アイツをおとりにするほかねぇ…」
そう言うと、冒険者の片方が私の足を切りつけた。
「ぐぁぁあぁ、いだいいだいいだい!」
「よし、ドラゴンの注意が逸れた。今のうちに逃げるぞ!」
あぁ、血が流れ出て意識が朦朧としてきた… あの外道冒険者たちは逃げてしまったし、ドラゴンは怒りで我を忘れているし… どうせ死ぬならパンに囲まれて死にたかった… そうして私は、ドラゴンの炎に包まれて初めての死を経験した。
目が覚めると、周りは焼け野原になっていた。しかし、それよりも驚くべきことが私の身に起こっていた。
「えっ?」
ドラゴンの爪が生えているのだ。しかもそればかりではない。皮膚に白い鱗があり、明らかに体が大きい。これは…
「私、ドラゴンになっちゃってる⁉︎」
周りの状況は酷いものだが、よく考えると自分のいる祭壇を中心に被害が出ているようにも見える。
「これ、私がしちゃったのかな? ドラゴンだもんなあり得る話だ。」
よし、逃げよう。集落一つを滅ぼしたドラゴンは流石に殺されるだろう。しかし、体が動かなかった。慣れない体を懸命に動かそうとして、もがくだけで飛べない歩けない。疲れた、帰りたい、パンが食べたい、お母さんに会いたい。
「もうダメだ。」
諦めていたその時、目の前に人が立っているのが見え、私は必死に助けを求めたが、その人がたどり着く前に力尽きてしまった。また、死んじゃうのかなぁ、私。
「大丈夫?生きてる?」
再び目を覚ますと、さっきの女の子が顔を覗き込んでいた。あれっ?覗き込まれてる?
「目を覚ましてよかった…って、わぁ!」
小さくなってる!人間に戻れてる!
「いきなり飛び起きないでよ。三日間暴れていたせいで、体力は回復してないんだよ?」
しまった、普通に喜んで女の子を驚かせてしまった。恥ずかしいことをしたな。
「ごめんごめん。ていうかあなたは誰?」
「君を人間に戻した命の恩人。ちなみに高位魔族だよ。」
「そうなのか…」
確かに人っぽいけど、ツノが生えてて尻尾もあるなぁ…
「って魔族⁈ しかも高位⁈ わぁ!」
私は思わず後ずさりして祭壇から落ちてしまった。
「そんなに驚かなくても取って食ったりしないよー」
「そんなこと言っても信用できないよ。」
「大丈夫だよー。ただ友達になりたいだけだから。」
「そうかそれならいいかな…」
起き上がりながらそう返した。まぁ、友達くらいならいいよね。命の恩人らしいし。
「そういえば、名前聞いてなかったね。君の名前は?」
「マオウ。魔法の魔に、王様の王ね。」
「私の名前はニム。マオウよろしくね。」
ん?
「マオウって魔族の王の?」
「そうだけど?他にいる?」
これは、大変なことになった。高位どころか、王じゃないか。それは原則不変の理も破れるわな。
「ちなみに君は、今とても不安定な存在だ。人間でも
あり、他の生物でもある。つまりは変身できるんだよ、魔力の尽きない限りだけどね。」
私が質問するより早く、マオウは話を続けた。
「詳しくはこれからの旅の道中で話そう。きっと長い旅になるからね!」
「待って、長い旅ってどういうこと?どこに向かって、何のために?」
「それも後で話すよ。それより、もう日が暮れる。近くに宿屋があるから、そこまで競争だ!」
そう言うとマオウは走り出した。
「待ってよー。体力まだ回復してないんだよ…」
私はマオウの後を頑張って追いかけた。