きみに似合う服1
それから馨さんはいくつかわたしに服を選んでくれたあと、ゆかりさんと仕事に関係のある話をして、次の仕事があるからと帰っていった。
そんな彼を見送って、わたしはお会計を済ませた。
「たくさん買ってくれてありがとう。いっぱい着てあげてね」
「はい!」
元気よく頷いたわたしにゆかりさんは嬉しそうな顔をする。
そして店を出る直前、店内に小さく貼り紙をしていることに気づく。
その貼り紙をじっと見つめるわたしに、ゆかりさんは不思議そうな顔をしたあと、貼り紙を見て「ああ」と呟いた。
「……アルバイト、募集してるんですね」
「うん、そう。ちょっとした店番とか頼める人が欲しいな~って思って」
人、全然来ないんだけどね、とゆかりさんは恥ずかしそうに頬をかく。
わたしは短い時間でいろいろと考えて、ゆかりさんをまっすぐ見つめた。
「……あの、わたしを雇ってもらえませんか?」
「え……? そりゃあ、ももかちゃんなら大歓迎だけど……でも、いいの?」
「わたし、ちょうどアルバイト先を探していたところなんです。わたしでお役に立てるかはわかりませんけど、お手伝いをさせてください。わたし、最近この辺りに越してきたばかりで、知り合いもいませんし……これもなにかの縁だと思うんです」
「……」
ゆかりさんは悩むような素振りをしたけれど、すぐににこっと笑う。
「……うん、お願いしようかな。ももかちゃん、うちで働いてくれる?」
「はい!」
「じゃあ、よろしくお願いね。奥で細かい話をしようか」
おいで、とゆかりさんに招かれてわたしは二度目の事務所へ足を踏み入れる。
そこでバイトの内容や働く時間、曜日などについて話を聞く。基本的にわたしの来れる日に来てくれればいいとゆかりさんは言ったけれど、わたしは今やることがなにもない。本当なら毎日でも行ってもいいのだけど、火曜日と土曜日、日曜日に行くことになった。たまにヘルプで違う曜日も頼むかも、というゆかりさんにいつでも言ってください、と答える。
そして、最後にゆかりさんは改まって言った。
「最後になんだけど……うちのお店にね、馨くんちょくちょく顔を出してくれるでしょう。だから、あまりそのことを外で言わないでほしいの。馨くんは大事なお客さんだから、気兼ねなく店に来てもらいたいんだ」
馨くん目当てに人が集まるようなことはしたくない、とゆかりさんは真剣に言った。
たぶん、馨さんがこのお店によく顔を出しているということを大々的に言った方がお店的にはいいんだと思う。人気アイドルグループの一人が通うお店、というだけで箔がついて、人が集まる。だけど、そうすると馨さんは今のように気兼ねなく来ることができなくなってしまう。それは避けたいのだと、ゆかりさんは言う。
「すごくありがたいことに、うちに来るのが馨くんの息抜きになっているみたいなの。だから馨くんから息抜きの場所を奪いたくない……あの子、すごく真面目で優しい子だから、普段から息苦しい生活していると思うんだよね」
アイドルは夢を売る仕事だ。そんなアイドルはイメージが大事。ファンが自分に抱いているイメージを壊さないよう、常に身の回りに気を配らなければならない。それは仕事柄仕方のないことだけど、でもどうしても息が詰まることもあるだろう。
そんなアイドルである馨さんがほっと息を抜ける場所がゆかりさんのお店なのだという。
「馨さんのことは絶対に黙っています。さっき可愛い服を選んでもらったし……なにより、息抜きは大切だと思うので」
「……ありがとう」
黙っていると約束をしたわたしに、ゆかりさんは心からほっとした顔をした。ゆかりさんと馨さんの間には、見えない絆があるのだろう。太くてしっかりとした絆が。
それをほんの少しだけ、羨ましいと思った。
★
ゆかりさんのお店でアルバイトをさせてもらってから、早くも一ヶ月が経った。その間、馨さんはやって来なかった。ツアーがあるとテレビで言っているのを聞いたから、きっとその関係で、各地を行ったり来たりしているのだろう。
わたしはそのことにほっとする気持ちと、残念に思う気持ちが合い混ぜになって、よくわからない心境だった。会いたいけど、会いたくないというか。あの優しい笑顔を見たいけれど、実際に会うのはなんだかひどく恥ずかしい。
そんなことをゆかりさんに話すと、ゆかりさんはくすくすと笑って「まるで恋しているみたいねえ」とわたしを揶揄う。そういうのじゃない、とわたしが慌てて否定すると、さらに楽しそうに笑うのだ。
ゆかりさんのお店での仕事は、楽しかった。
お客さんに服をすすめて、喜んでもらえるとわたしも嬉しい。にこにことした笑顔で帰っていくお客さんを見送るのが楽しい。なんだかすごく誇らしげな気持ちになる。
とはいえ、ゆかりさんに迷惑をかけてしまうことも多々あって、そのたびに気落ちするわたしにゆかりさんはとても優しかった。次から気をつければ大丈夫、ももかちゃんがいてくれてすごく助かっている、と温かい言葉をかけてくれた。だから、もっとゆかりさんの役に立てるように頑張らないと、と思える。
それからさらに二週間ほど経ったある日、わたしはゆかりさんに店番を頼まれていた。
その日は朝から天気が悪くて、いつ雨が降り出してもおかしくないような空模様だった。そんな天気を気にしながら、取引をしている会社へゆかりさんは出かけて行った。
天気の悪い日はお客さんも少ない。わたしは暇を持て余しながら、店内の服をきれいに畳んだり、並べ替えたりとしていると、カランと音がした。アルバイトをしているうちにベルが鳴ると条件反射で「いらっしゃいませ」と言えるようになったわたしは、そのときも笑顔でお客さんを出迎えようとして──固まった。
「あー……やられたわぁ。まさかここで雨が降るとは……傘持ってくればよかった……って、あれ?」
雨で濡れた髪や服を払いながら入ってきた彼──馨さんは、固まっているわたしを見るなり不思議そうに首を傾げた。
「今、松田さんはいない?」
「え……は、はい。ゆかりさんは出かけていて……もう少ししたら帰ってくると思いますけど」
「タイミング悪かったな……ま、いっか。ちょっと前に聞いたんだけど、ももかちゃん、松田さんの店で働きだしたんだって? どう? 松田さんにこき使われてない?」
冗談混じりにそう問いかけてきた馨さんにわたしは笑いながら首を横に振る。
「いいえ、ゆかりさんにはよくしていただいています。むしろ、わたしが迷惑をかけてるくらいで」
「あの人にはそれくらいでいいんだよ」
ももかちゃんっていい子だね、と優しく笑って言った馨さんにわたしの心臓が暴れだし、わたしはそれを誤魔化すように、「えっと……あ、タオル持ってきますね!」と言って奥へ駆けていく。背後から馨さんの戸惑ったような「え? 別にこれくらい気にしなくていいよ」という声が聞こえたけれど、それに構わずわたしは事務所に引っ込む。
馨さんの姿が見えなくなったところで、わたしは顔を手で押さえた。顔がすごく熱い。きっとわたし、真っ赤になっている。
でも、これは馨さんが悪いのだ。あんなイケメンに優しい笑顔でいい子だねって言われたら、誰だって照れてしまう。馨さんにとってはどうということのない挨拶みたいなものだとしても、わたしにとっては十分すぎるほど威力があるものだということを自覚してほしい。
そんな無茶苦茶なことを思いながら、わたしは馨さんに宣言した通りにタオルを持って店内に戻ると、馨さんはとある一角をじっと眺めていた。