過去での新たな生活5
ゆかりさんと馨さんと会ってからしばらくは周辺の散策や、細々とした手続きをして過ごした。
過去の生活にもだいぶ慣れてきた。最初はわたしの時代では当たり前にほんの少しの動作でできることができなかったり、とても面倒な手順を踏まなければできなかったりして戸惑うことも多かったけれど、今ではすっかりと慣れて戸惑うことも少なくなった。
ただ、今の時代の流行や時事問題などはさっぱりわからないので、そのあたりの勉強が必要だ。この時代で人と交流をするには、まだまだわたしは知らないことが多すぎる。
そのため、とりあえずはひたすらテレビを見ることにした。この時代の携帯を使い、人気の番組を調べて見る。特にバラエティー番組には、多くの人気芸能人が出演することが多く、芸能関係の情報を仕入れるのにはもってこいだった。
そんなこんなで、過去へ来てから一週間くらい経っていた。
たまにテレビ番組で馨さんの姿を見かけた。そのいずれでも、馨さんは笑顔だった。バラエティーなんかでは、たまにすべってメンバーにつっこまれたりしているやりとりが面白くて、つい笑ってしまう。
馨さんが出ている番組を見かけるたびについ見てしまい、わたしもすっかり彼のファンになってしまった。それくらい、彼の笑顔や存在は魅力的だと思う。
今の芸能情報や時事問題などのことがなんとなくわかってきたわたしは、再びゆかりさんの店を訪れた。今ならば、アイドルのことを言われても答えられるはずだ。
ゆかりさんの店のドアを開けると、ゆかりさんの明るい「いらっしゃいませ!」という声がわたしを出迎えてくれた。
「こんにちは」
「あ、ももかちゃん。いらっしゃい!」
わたしの顔を見るなりゆかりさんは親しみを込めた笑顔を見せてくれて、その笑顔にわたしは安心した。あの日から一週間以上経っているし、もう忘れてしまったかもしれない、と不安だったのだ。
「また来てくれて嬉しい! ゆっくり見ていってね」
「はい。今日はたくさん服を買おうと思ってきたんです」
今のわたしの服は数着しかない。それをローテーションで着まわしている。
しかし、それだと服も早く傷みそうだし、なによりたまには違う服が着たい。そう考えたわたしは、ゆかりさんに会いに行くついでに服も買い揃えようと企んで、今日訪ねたのだ。
「本当? 嬉しいなぁ! よーし、張り切っておすすめの服を紹介しようかな!」
ゆかりさんはわたしの手を引っ張って店の中を回った。
今、店の中にいるのはわたしとゆかりさんだけ。だから、ゆかりさんも気兼ねなくわたしに合いそうな服を紹介できるようだ。
ゆかりさんが手に取る服はどれもわたしが好きなデザインのものばかりで、わたしの心はぐらぐらと揺れた。ある程度は服を買うつもりだったけれど、それでも予算には限りがある。それに、これはわたしのお金じゃなくておばあちゃんのお金だ。それを全部服に変えてしまうことがあってはならない。
……いや、よく考えれば、そのお金は結局過去のおばあちゃんのものになるのだから、それはそれでありかもしれない。
そんな悪魔の囁きが頭の中でする。わたしはその悪魔をなんとか追い出し、真剣に服を選ぶ。しかし、どれも可愛くて選べない。
「うーん……どれもももかちゃんに似合いそうだけど……さすがにこんなには買えないよねえ」
「そう、ですね……」
わたしとゆかりさんの手には、合わせて十着くらいの服がある。さすがに十着も買うことはできない。
わたしとゆかりさんは困ったような顔をしてお互いを見合う。しかし、見つめ合っても問題は解決せず、二人して途方に暮れていると、カラン、と来客を告げるベルが鳴った。
「こんちわー」
聞き覚えのある優しい声に、わたしの心臓がどきりと脈打つ。
ゆかりさんはその声を聞いてパッと顔を明るくさせた。
「馨くん! ちょうどいいところに来た!」
「どうも。……あれ? 確か、君は……」
「あ、あの……お久しぶりです」
馨さんは朗らかにゆかりさんに挨拶をしたあと、わたしを見て目を見開く。
どくどくとうるさく高鳴る心臓に鳴りやめと唱えながら、わたしはぎこちなく挨拶をすると、馨さんはにこっと優しい笑みを浮かべた。
「久しぶり。ええっと、ももかちゃん?」
「……わたしのこと、覚えてくれていたんですね……」
まさか覚えてくれているとは思っていなかったので、驚いて呟くと、彼は軽やかな笑い声をあげた。
「そりゃあ、覚えてますよ。だって、君の服とても可愛かったし! なにより、あのあと松田さんがうるさくて」
「誰がうるさいって……? ……まあ、それはあとでじっくり追及するとして。ねえ、馨くん。今ね、ももかちゃんの服を選んでいるんだけど、どれがももかちゃんに似合うと思う?」
余分な馨さんの一言にゆかりさんはムッとした表情をしたけれど、すぐに表情をころっと変えて、いくつかの服を持って馨さんの前に並べる。
突然のゆかりさんの行動にわたしが目を白黒させているうちに、馨さんは興味深そうな顔をしてゆかりさんの持ってきた服を見つめる。そしてわたしをちらりと見たあと、真剣に服を見定めるように見る。
……いいんだろうか。仮にも芸能人でアイドルである彼にわたしの服なんかを選んでもらっても。
テレビを見て知ったのだけど、馨さんはファッションに拘りがあり、グループ内きってのお洒落さんで、ミュージックビデオの衣装やライブの衣装なんかをデザインしたりしているらしい。自分のグループだけじゃなくて、後輩グループのステージ衣装なんかも手掛けているようだ。
そんな人に、美人のおばあちゃんとは違ってどこを見ても平凡なわたしの服を選んでもらったら罰が当たるんじゃないだろうか。
そんなことを思いながらおろおろとしているわたしに、ゆかりさんは心強い笑みを浮かべてわたしに声をかけた。
「大丈夫だよ、ももかちゃん。馨くんが選んだ服にはずれはないから。絶対にももかちゃんに似合う服を選んでくれるって!」
「いえ……そこは別に心配してないんですけど……ただ、いいのかなって……」
「大丈夫大丈夫。彼、こういうの大好きだから。見てよ、あの真剣で楽しそうな顔」
ゆかりさんに言われてまじまじと馨さんの顔を見ると、馨さんはすごく真剣な表情で服を選びながら、どこか楽しそうだった。テレビで見るよりもキラキラしているような気がする。
「本当だ……すごく楽しそう」
「でしょ~? こういうことは絶対嫌がらないから、安心して選んでもらって」
ゆかりさんの言葉に頷いたとき、馨さんが「ね、こっち来て!」とわたしを呼んだ。
わたしがゆかりさんの顔をちらりと見ると、ゆかりさんは大丈夫だというように頷いてくれて、わたしはそれに後押しをされるように馨さんへ近づいた。
「俺はこれが似合うと思うんだけど。ちょっと試着してみてくれない? ──松田さん、いいでしょ?」
「もちろん」
「えっと……じゃあ、着替えてきます」
わたしは馨さんが選んでくれた服を持って試着室へ向かう。
馨さんが選んでくれたのはワンピースだった。ちょっと地味なような気がするけれど、実際に着てみると、まるで昔から着ている服であるかのようにわたしに馴染んだ。自分でいうのもなんだけど、いつもよりも可愛く見えるような気がする。
すごい、と興奮していると、外からゆかりさんが「着替え終わった?」と声をかけてくれて、わたしは慌ててカーテンを開けた。
カーテンを開けると、目の前にゆかりさんと馨さんがいた。ゆかりさんはわたしを見るなり満面の笑みを浮かべ、馨さんはちょっと驚いたような顔をしたあと、くしゃっと柔らかく笑った。
「可愛い……! すごく可愛いよ、ももかちゃん!」
「そうですか……?」
「うん! めっちゃ可愛い。お持ち帰りしたいくらい可愛い。──ね、馨くんもそう思うでしょ?」
興奮したように可愛いと絶賛するゆかりさんとは対照的に、服を選んだ当人である馨さんは黙っていた。ゆかりさんに話を振られて、ちょっと困ったような笑みを浮かべる。
「……あのさ、松田さん。俺アイドルなわけ。だから、そういう発言はどうかと思うんですよ」
「ただの例えでしょ。本当に真面目なんだから……でも、可愛いでしょ?」
重ねて聞いたゆかりさんに馨さんは困った笑みのまま「……まあ、そりゃあ、可愛いですけど」と、ぼそぼそと呟く。どことなくゆかりさんが無理やり言わせた感があって、わたしは内心でしょんぼりとする。
……あれ? なんでわたししょんぼりしてるんだろう? お世辞でも可愛いって言ってもらえればそれでいいのに。
わたしが自分の気持ちに戸惑っていると、馨さんはなにを勘違いしたのか、慌ててわたしに言う。
「そ、その、可愛いっていうのはちゃんとした俺の本心だから! 本当に可愛いですよ!」
「え……あ、ありがとうございます……」
焦ったように言う馨さんになんだか照れてしまって、わたしは顔を俯かせた。
そんなわたしたちのやりとりを見てゆかりさんは「いやあ、若いっていいね~」と年寄りくさいことを呟く。
「若いって……松田さんも俺とたいして歳変わらないでしょ……」
「あーあー! 女性に年齢のことを言ってはいけませんーこれ常識ですー。いいよね、24歳って。まだ二十代前半じゃない。二十代後半になると悲惨よ。アラサーなんて言われちゃうんだから! ……あ、ところでももかちゃんは今、いくつ?」
厳しい表情で馨さんに言ったあと、ゆかりさんはころっと表情を変えてわたしに問う。
「女性に年齢のこと言っちゃいけないって言った口でそれ聞く……?」という馨さんの呟きは完全に無視している。
「わたしは20歳です」
「20歳! いいねー若いねー! これからあっという間だよー気づいたら二十代後半になっているからね、気をつけて」
真面目な顔で言うゆかりさんにわたしは笑いながら頷く。ゆかりさんの横で白けた顔をしていた馨さんにゆかりさんは目ざとく気づき、「君にも言えたことだからね! あっという間におじさんになるんだからね!」と言い、「はいはい気をつけまーす」と馨さんは完全な棒読みで答える。
本当に仲良いな、とわたしは二人のやりとりを微笑ましく思いながら見つめた。
おばあちゃんは、未来でも馨さんと仲が良いままなのだろうか。
だとしたら、もしかしたら幼い頃にわたしはおじいさんになった馨さんに会ったことがあるのかもしれない。
おじいちゃんおばあちゃんになっても、二人はこんなやり取りを繰り広げていそうだな、と思った。