過去での新たな生活3
おばあちゃんは若い頃に自分のお店を開いたと聞いている。
もともと服飾関係の勉強や仕事に就いていたおばあちゃんは、ある日どうしても自分の好きなものでいっぱいのお店を持ちたくなったのだという。そのためにコツコツとお金を貯めて、念願のお店をオープンさせたのが20代後半くらいになってから。
始めは一人で全部やっていたけれど、おばあちゃんの友達がお店を手伝ってくれるようになってからどんどんお店の売れ行きが良くなって、知る人ぞ知るお店にまで発展したのだとか。
お店を開いた当初から贔屓にしてくれた人もいて、その人にも随分と助けられたのだと、おばあちゃんは懐かしそうな顔をして教えてくれた。
そんなおばあちゃんのお店は、現在はおばあちゃんの信頼できる人に預けている。
その人はおばあちゃんの思想をしっかりと受け継いで、今でも多くの人が通ってくれているのだという。
そういうわたしもおばあちゃんのお店の服が大好きで、密かに通っている。
今わたしが着ている服もおばあちゃんの考えた服だ。カジュアルですごく着やすいんだけど、カジュアル過ぎなくて可愛らしさもちゃんとあるトップス。普通のジーンズにも可愛いスカートにも合って、ちょっとズルをして出かけたいときにピッタリな服だ。
おばあちゃんの服は、そういうちょっと楽ができるようなものが多い。女の子ってちょっと出かけるにしてもすごく時間がかかる。そんな女の子が楽をしてお洒落をできるようなものを、というのがおばあちゃんの基本方針。
ちなみにこれはおばあちゃんに聞いたわけではなく、お店の人に聞いた話だ。おばあちゃんはあまりそういうことを話さない。そういうのを身内に話すのはとても恥ずかしい、と照れ笑いをしていた。
レディースを主に扱うお店だけど、メンズも置いてある。そのメンズものが一部の男性たちの心を射止めているようで、おばあちゃんのお店には男性客も結構多い。わたしがお店に行くたびに、少なくとも一人は見かけていた。
しかし、どうやらこのおばあちゃんのお店はまだ開店直後のようで、お客さんは少ないようだ。それも来てくれるお客さんはほぼ全員女性。きちんと男性ものも取り扱っているのに、と冗談交じりで困ったように話すおばあちゃん──今の容姿でおばあちゃんというとすごく違和感があるから、ゆかりさんと呼ぼう。
おばあちゃん改めゆかりさんは、ぐずぐずと泣き続けるわたしを放って置くことができなかったようで、わたしを奥の事務所まで連れて行ってくれ、温かいお茶と焼き菓子まで出してくれた。
ゆかりさんの優しさがとてもありがたくて、同時に懐かしくて、余計に涙が出てしまう。
しかし、わたしはもう二十歳なのだ。いつまでも子供みたいに泣き続けるわけにはいかない。
なんとか涙を止めて、わたしはもう大丈夫だと笑みを浮かべてみせた。その笑顔が多少ぎこちないのは見逃して欲しい。
「すみません、ご迷惑をお掛けして……そのうえ、お茶とお菓子までいただいちゃって」
「いいのいいの。私が好きでしていることなんだから。気にしないで、好きなだけ泣いて。我慢するよりも泣いちゃった方がスッキリすることもあるし、ね?」
「……ありがとうございます……」
おばあちゃんは昔からこういう人だったんだ。
明るくて優しくて。困っている人がいるとつい手を差し出してしまうお人好し。ゆかりさんは、そんなわたしの大好きなおばあちゃんのままだった。違うのは見た目の若さくらいじゃないだろうか。
「えっと……野田 ももかちゃんだっけ……?」
「はい、そうです」
「そう、ももかちゃん。少しは落ち着いた?」
「はい、おかげさまで」
「ん、ならよかった。ちょっと気分が落ち込んだ時は甘いものを食べるに限る! お菓子、美味しかったでしょ?」
「はい! すっごく美味しかったです!」
「でしょでしょ~? このお菓子ね、ここの近所のケーキ屋さんのものなんだけど、すっごく美味しいの。あ、もちろんケーキも美味しいから、ぜひ食べてみてね」
「絶対食べます!」
元気よく返事をしたわたしに、ゆかりさんはころころと笑う。
一拍遅れで、自分が食い意地を張っている子供のような勢いで返事をしたことに気づき、かあっと顔に熱が集まってくるのを感じた。
恥ずかしい……おばあちゃんにならともかく、若いゆかりさんに子供っぽい態度をとってしまった。穴があったら埋まりたい。
「うん、それだけ元気が出れば大丈夫かな」
「あ……はい。もう大丈夫です。ありがとうございました」
「いえいえ。実をいうと、ちょっと下心もあったから」
「下心……?」
「うん。ももかちゃんのその服、すっごく可愛いから! もっとじっくり見たいな~っていう下心」
「あ……ありがとうございます。この服、亡くなったおばあちゃんが作ったものなんです」
「へえ! ももかちゃんのおばあちゃん、センスいい~!」
未来のあなたですよ、というツッコミは心の中だけに留めておく。
服についてあれこれと質問をしてくるゆかりさんに答えていると、店の方から「すみませ~ん」と呼ぶ、男性の声が聞こえた。
あれ? 男性のお客さんっていないって言ってなかった……?
わたしは先ほどまでのゆかりさんの話を思い出している間に、ゆかりさんは笑顔を浮かべて「はーい!」と店の方へ出ていく。少し迷ったものの、なんとなく気になったわたしはゆかりさんに続いて店の方に行くことにした。
お店の方に出てみると、ゆかりさんと、若い男性がなにやら楽しそうに話していた。
男性のお客さんに興味を惹かれたわたしは、二人がわたしに気づいていないことを良いことに、男性をそっと観察する。
身長は別段高くもなければ低くもない、平均的な高さ。スタイルはだぼっとした服を着ているせいであまりよくはわからないけれど、平均的だろうか。服装はちょっと個性的で、だけどそれが彼に合っていて、きっとこの格好は彼にしか着こなせられないだろうな、と思わせるものだった。こういうのが本当のお洒落さんというのかな。
服装以上に目立つのは、真っ赤に染められた髪だった。横は耳にかかるくらい長くて、襟足は短め。なにかのこだわりなのか、髪の根本は黒くなっている。
髪からほんの少し出ている耳たぶには、銀に輝くピアスが見えて、わたしはなんとなくそのピアスをじっと見ていると、不意に彼がこちらに顔を向ける。
ばっちりと合ってしまった視線にわたしの心臓が飛び跳ねる。不思議そうな顔をしてわたしの見つめる彼に、わたしの心臓が大暴れする。なんで自分でもこんなにドキドキするのかわからない。
少し見つめあってから、彼が「あ」というような顔をする。それに今度はわたしが不思議そうな顔したとき、ずっと一人で話をしていたゆかりさんが彼の視線が別の方向に向いていることに気づき、わたしの方を見る。そして「あちゃー」というようなジェスチャーをした。
「あー……ごめんね、ももかちゃん。放って置いちゃって。そして馨くんもごめん」
「えっと……?」
「あはは……まあ、会っちゃったものは仕方ないし。いいっすよ」
「ごめんねぇ」
二人のやりとりの意味がわからなくてきょとんとしていると、二人はわたしを見てまさか、というような表情をして、じっとわたしを見つめる。わけのわからないわたしの頭ははてなマークでいっぱいだ。
「まさか……ももかちゃん、馨くんのこと知らない?」
「え? それは、初対面ですし……」
なにを言っているのだろう、と戸惑ったまま答えると、ケイと呼ばれた彼は「マジか……」とちょっとショックを受けたように呟いた。
「なんか俺、自意識過剰な奴みたい……」
「どんまい、人はこうして成長していくのだ、青年よ」
「松田さん……」
「精進あるのみだ。励めよ、青年」
「どんなキャラっすか、それ」
「あ、あの……?」
おばあちゃんの旧姓は松田。おばあちゃんはおじいちゃんと結婚して野田になったのだ。
テンポよく交わされる二人の会話は聞いていて面白いけど、肝心の話の軸がわたしにはわからない。戸惑って声をかけると、ゆかりさんはなぜかキラキラした笑顔を、ケイさんは情けない顔をしてわたしを見つめた。
「彼ね、こう見えてアイドルなのよ! 聞いたことない? グローウィング事務所って。そこのSNOWってグループの一員なの」
「グローウィング事務所は知っています」
グローウィング事務所とは、多くの男性アイドルが所属する芸能プロダクションである。グローウィングに入るには厳しい書類選考やオーディションを潜り抜けないと入れない。入れたとしても、下積み時代を何年──下手をしたら十年近く経験しても、デビューできないこともあるという。
この芸能プロダクションはすごく長い歴史のあるところで、おばあちゃんも若い頃はグローウィングのアイドルに夢中になっていたとか。
「SNOWは知らないのね……ぷぷっ」
「松田さん……!」
ゆかりさんは口を手で押さえるが、笑い声は思いっきり漏れている。それを耳ざとく聞きつけたケイさんがゆかりさんを睨む。しかし、ゆかりさんはそれを気にした様子はなく、ひたすら笑い続けている。
「あ、あの……すみません、わたし、知らなくて……」
ゆかりさんを睨み続けるケイさんに謝ると、ケイさんははっとした顔をして、すぐに首を横に振った。
「気にしないでください。それだけ俺の知名度がまだまだ低いってことだし、松田さんの言う通りもっと知ってもらえるように頑張らないと」
そう言ってにっこりと笑った彼の顔はとても優しくて、わたしは思わず見惚れてしまう。
しかし、わたしはこの笑顔をどこかで見たことがある気がする。
本日何度目かの既視感の正体を探し、わたしが記憶を辿り、なにかを掴みそうになったところで、彼が話しかけてきて、それは逃げてしまった。
「まずは、君に俺の名前を憶えてもらおうかな。俺は、立花 馨。グローウィングのアイドルやってまーす! よろしく」
そう言ってお茶目に笑った彼──ケイさんにわたしも思わず笑みを零した。