過去での新たな生活2
清水さんとの話を終えると、日が沈み出していた。ちょうどお腹も空いてきたところだったわたしは、早めの夕飯を作ることにした。
夕飯を作るといっても、家には調味料はある程度揃っているけど、野菜やお肉や魚の鮮度が大事な食材はなく、冷凍庫に入っているレトルト食品やカップ麺を作る、という程度だ。
誰がどう選んだのかはまったく謎だけど、レトルト食品やカップ麺の種類は豊富で、そのどれもがわたしの好きな味のものだった。この部屋の内装といい、レトルト食品の味といい、この部屋内のもののチョイスをした人とわたしの嗜好は似ているのだろうな、と思う。正直言って、怖いくらいだ。
そんなことを考えながら、レトルト食品を電子レンジで温め、食べる。
この頃のレトルト食品というのは、お店で食べるのと遜色ないくらい美味しいものが多くなってきたと聞いた。わたしが今まで食べてきたレトルト食品の味ともあまり違いはないように思う。
つまり、なにが言いたいかといえば、普通に美味しい。
レトルト食品を考えた人は天才だと称賛しながら、わたしは温めたレトルトのパスタを完食し、今日は早々に休むことにした。
用意されてあったものを使って就寝の支度を整え、ベッドに潜る。ベッドからはいつもと違って、なんのにおいもしない。掛け布団もいつもよりも冷たく感じる。ホテルに泊まったのときに感じるものと同じ感覚に、ここは家じゃないなんだと改めて思い知る。
だけど、寂しさはまったく感じなかった。だって、明日からやりたいこと、やらなくてはならないことがぎっしりあるのだ。そのことを考えれば、寂しくない。
明日はとりあえず、この近所を散策して、近くにあるスーパーとか、コンビニとかの確認をしよう。清水さんが言っていたケーキ屋さんの場所も確かめたい。それから、銀行からお金を下ろして……。
そんな明日の計画を練っているうちに、わたしはいつの間にか眠ってしまったのだった。
★
いつものようにアラームの音で目を覚ますと、見慣れない光景に一瞬戸惑う。しかしすぐに過去へ来たことを思い出し、わたしはのろのろと体を起こす。
いつもならお母さんの「いつまで寝ているの」という怒った声と、「遅刻だ」と騒ぐお兄ちゃんの声と、そんなお兄ちゃんを揶揄うお姉ちゃんの声が聞こえてくるのに、家からはなんの音もしない。
それは、そうだ。だってわたしはここにひとり。家族はみんな未来にいる。
そのことが寂しいかと聞かれたら、それはちょっと違う。なんといえばいいのか……上手く例えが思いつかないけれど、とにかくすごく不思議な感じだ。
わたしはどこかぼんやりとしたまま支度を整え、朝ごはんを食べずに出かけた。
爽やかな朝の日差しに目を細める。わたしが暮らすマンションの外に出れば、そこは閑静な住宅街で、犬の散歩をする人、健康のために朝のウォーキングをする人、急いで会社へ向かうサラリーマンの姿がちらほらといた。4月の初めという時期は、わたしのいた時代では桜はもう葉桜に変わっている時期だけど、この時代ではちょうど満開みたいだ。
その景色はわたしが今まで見てきたものとは少し違って、でも同じところもある、ちょっと不思議な光景だった。いうならば、まるで映画やドラマの世界に飛び込んでしまったような、そんな不可思議な気持ち。
どこか懐かしさを感じる景色を楽しみながら、わたしは気の向くままに歩いた。
途中でお腹が空いて、近くにあったコンビニでお金を下ろし、コンビニのパンとコーヒーを買って食べた。コンビニの店内には喫食スペースが設けられていて、わたしはそこの片隅の席に腰かけてパンとコーヒーを食べながら、街を足早に歩く人々をぼんやりと眺めた。
今まで見てきたものの違いを探したり、はたまた同じものを探したりしていると、不意に一人の男性と目が合った。すぐに視線は逸れたけれど、わたしは妙にドキドキしてしまって、慌ててコンビニを出て散策を再開することにした。
少し歩くと、お洒落なお店が立ち並ぶ通りに出た。
カフェやレストランを始め、さまざまなお店があって、わたしはそのお店をウインドウ越しに眺めていく。数軒のお店を眺めたあと、なんとなく見覚えのあるロゴを目にし、わたしは立ち止まった。
そのロゴがあったのは、服屋さんだった。恐らくは個人店なのだろう。こぢんまりとしながらも、どこか親しみやすい雰囲気のお店だった。
マネキンが格好良く着こなしている服はとても可愛くて、わたしの好きな感じのものだった。ロゴのこともあって、その店に興味を惹かれたわたしはそのお店に入ってみることに決めた。
ドアを開けると、カラン、と来客を告げる音が鳴る。店員さんはちょうど奥に入っているのか、店内にはいなかった。正直なところ、店内を見ていて店員さんに話しかけられてボロが出てしまうんじゃないかと思っていたため、店員さんがいないのはわたしにとって好都合だった。店員さんがいないうちにさっと店内を見て捕まる前に帰ろうと決め、わたしはさっそく店内を回った。
店内に置かれている服はどれも素敵で、わたしのテンションが上がっていく。しかし、そのどれもがどこかで見覚えがある気がしてならない。
いったいどこで見たのだろうか、と頭の片隅で考えながら服を見ていくと、奥から店員さんが戻ってきたらしく、「あ、いらっしゃいませ!」と明るく声をかけてきた。
その声もどこかで聞き覚えがあって、思わずわたしが振り向くと、そこにはわたしよりもいくつか年が上だと思われる、とてもきれいな女性がにこにこと笑顔を浮かべていた。
その笑顔にわたしは既視感を覚えた。
わたしはこの笑顔を知っている。身近に、こんな素敵な笑顔を浮かべる人がいたはず。
そう考えて浮かんできたのは──。
「今着ていらっしゃる服、とても素敵ですねえ。すごく可愛い。実は、私もこんな服を作ろうかなーなんて考えているところで…………って……え? お、お客様……?」
愛想よくにこにこと話しかけてきたお姉さんは、わたしの顔を見て突然ぎょっとしたように目を丸くする。
それもそのはずだ。わたしが突然泣きだってしまったのだから。
「えっと……あの、私、なにかお気に障ることをしていまいましたか……?」
戸惑った様子で尋ねるお姉さんに、わたしは首を横に振る。
ちがう。お姉さんが悪いわけじゃないのだ。ただ……。
「ご、ごめんなさい……店員さんの笑顔が、亡くなったおばあちゃんに良く似ていたので……それで涙が出てしまったんです……」
「まあ……そうだったんですか」
店員さんは同情した顔をしてわたしを見つめ、そっとハンカチでわたしの涙を拭いてくれた。そんな優しいところもおばあちゃんにそっくりで──いや、おばあちゃんそのものだ。
このお店の服に見覚えがあったのも、お店のロゴに見覚えがあったのも、これがおばあちゃんのお店だからだ。
つまり、この目の前にいるお姉さんは、若い頃のおばあちゃんなのだ。