過去での新たな生活1
視界が真っ暗になってしばらくしたあと、浮遊感がなくなって、わたしは恐る恐る目を開けると、見慣れない部屋にいた。
周りをぐるりと見ると、白や薄い黄緑や黄色で彩られた家具で揃えられており、わたし好みの部屋だった。クッションひとつにしても、わたしが好んで買うようなものばかりだ。
わたしはひとまず、一年間暮らすこの部屋に何があるのかを確かめることにした。必要な家具や日用品は用意してあると言っていたけれど、どこになにがあるかだけでも把握しておきたい。
ひきだしや戸棚をひとつひとつ確認し、クローゼットの中や冷蔵庫の中も確認した。それらの中には確かに必要なものは一通り揃っているようだった。今のところ、わたしが必要だと思いつくものがないから、急いで買い出しに行かなければならないということもなさそうだ。
そのことにほっとし、わたしは家から持ってきた荷物を広げることにした。
荷物といってもたいした量ではない。なにせわたしが家から持ってきたのは下着とちょっとした着替えくらいなのだ。それ以外のものは持ってこられなかったので、こちらで揃えなければならない。
服一つにしても、過去にない素材が使われている可能性が高いため、持ってくるものは慎重に選んだ。その結果がこの量だ。
とりあえず持ってきたものをクローゼットにしまう。呆気なく荷解きが終わり、わたしはやることがなくなってしまった。
今日一日はゆっくりするようにと言われているし、家から出ない方がいいだろう。辺りを散策するのは明日に回すとして、今日はいったいなにをしようか。
悩みながらなんの気なしに部屋を見回すと、可愛らしく揃えられた家具たちとは一線を画した、可愛らしさやデザインなどを一切考慮していないようなタブレット端末と、小さな手提げ金庫のようなものが目に入る。
明らかに部屋から浮いているそれらに近づき、まずは手提げ金庫を調べてみることにした。手提げ金庫はわたしが近づくとカチッと音がして、勝手にパカリと開いた。
こういう形の金庫はよく見かけていたのでわたしは特に驚くことなく金庫の中を覗きこむと、長細いものを入れるようなくぼみがあった。これはなんだろうと考えて、右手首につけているリストバンドの存在を思い出す。
そうだ。このリストバンドを指定の金庫に入れるようにと言われていたんだった。そのことを思い出したわたしはリストバンドを外して金庫のくぼみに入れると、金庫のくぼみのあったところが下がって、今度は一枚のカードが出てきた。
このカードは恐らくおばあちゃんが旅行会社に支払った代金の一部を使うことができるキャッシュカードだ。旅行代金にはこちらで暮らすための資金も含まれていて、そのお金は過去の銀行やATMで引き出すことができるようになっている。
ATMなんてない時代へ行く場合はカードの代わりにその時代のお金が金庫の中に入っているらしい。どうやってその時代のお金に換金するのかは知らないけれど。
ひとまずわたしはカードを受け取っておく。いくら入っているのかは知らないけれど、このお金は必ず必要になる。極力使わないようにするつもりだけど、最初はこのお金に頼らざるを得ないだろう。
わたしはこちらの生活が落ち着いたら働くつもりだ。このお金は使わなければ戻ってくるお金だし、なによりもおばあちゃんのお金だから、あまり使いたくない。事前に過去で働く許可は取ってあるから、近いうちに働き先を探そうと思う。
次にタブレットを手に取る。これは恐らく、問い合わせ等をするためのものだ。問い合わせ以外になにができるのかを確かめるためにタブレットを起動させると、三つのアプリが入っていた。ひとつは注意事項をまとめたもので、もうひとつは問い合わせ用のもの。最後のひとつはよくわからないので、試しにアプリを使ってみることにした。
アプリをタップして起動させると、タブレットから『どうかされましたか?』と聞き覚えのある声がして、わたしは「わあ!」と思わず叫んでうっかりタブレットを落としそうになった。
寸前のところでキャッチできたからよかったけれど、落ちてタブレットが壊れたりしたらと考えると、ぞっとする。わたしと未来を繋ぐものがなくなってしまうなんて恐ろしい。
『大丈夫ですか!?』
「は、はい……すみません、ちょっと驚いてしまって……」
『ああ……タブレットにあるアプリの説明をしていませんでしたね。すみません、俺の説明不足で野田さんを驚かせてしまって』
「いえ……どうかお気になさらず」
心から申し訳なさそうな声をして謝る彼──清水さんにわたしは気休めの言葉をかける。
『改めまして、野田さんの担当を致します、清水です。過去での野田さんの生活をサポートさせていただきますので、よろしくお願いいたします』
「は、はい。よろしくお願いします……」
『こちらのアプリは、担当者と直接やり取りができるアプリとなっています。今はこうして通話となっていますが、SNSのような形でやりとりをすることも可能です。ただし、こちらのアプリはあくまでもお客様の生活をサポートするためのもので、それ以外のこと……例えば帰還をしたいなどのご相談は受け付けかねますのでご了承ください。過去での生活で困ったこと、ご家族等の様子を知りたいなどのご要望は受け付けますので、いつでもお気軽に申し出てください』
清水さんのその台詞にわたしは心からほっとした。家族がどうしているかが知ることができるのは正直ありがたい。
『さっそく、野田さんにお役立ち情報をお届けしますね。野田さんの宿であるマンションのすぐ近くに美味しいケーキ屋さんがあるそうです。ぜひ探してください』
「本当ですか!?」
美味しいケーキ屋さん、という言葉に過大に反応してしまい、わたしはさっと顔を赤らめる。ちょっと子供っぽい態度だったかもしれない、と反省をしていると、清水さんは軽やかに笑い声をあげた。
『あははは! ……いえ、失礼しました。野田さんがとても可愛らしくて、つい』
「……子供っぽくてすみません……」
『いえ、素直で良いことだと思いますよ。俺の情報で喜んで貰えて嬉しいです。……と、まあ、このような形で野田さんをサポートしていきます』
「は、はあ……頼りにしています……」
恥ずかしさで小さい声になったわたしに清水さんは『お任せください』と笑いを含んだ声音で答えた。