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旅立ちの日


 必要最低限の荷物を鞄に詰め、最後におばあちゃんの手紙を入れてわたしは過去への旅に向かった。

 右手にはリストバンドをつけてある。過去についたらこのリストバンドは外し、戻ってくるときに再びつける。

 いうならば、これは過去へ旅立つパスポートのようなもので、わたしの存在を未来へ証明するためのGPSのような役割を果たす優れたアイテムなのだ。


 しかし、これは過去にはない技術を用いて作られたもの。きっとそんなことはないのだろうけど、もしこのリストバンドの性能に気づいた誰かが出てきて、そのことを公表してしまったら、大変なことになる。

 わたしの本来のいたはずの未来がなくなって、わたしの存在そのものが危うくなってしまうかもしれない。

 そんなリスクを避けるために、過去へ行くときは指定のアパートやマンションに住み、厳重なセキュリティのもと、リストバンドを保管しなければならないのだ。もちろん、外へ持ち出すなんてもってのほかだ。


 そんな説明を、時間旅行会社の人に説明された。

 正確にいうと、会社じゃなくて機関らしいけど、そういう細かいことはわたしにとってどうでもいいことだった。

 注意事項を口頭で聞き、念のためにと渡された禁止事項や注意事項がまとめられた小さな冊子を渡され、なぜ紙媒体なのだろうかと首を傾げていると、その疑問を察したらしく、時間旅行機関の人が続けて説明をする。


「こちらが紙媒体になっているのは、読みやすいからです。あなたが過去の世界に持っていける機械は、こちらのスマートフォンと呼ばれる携帯電話だけですが、過去の技術に合わせると、とても読みづらくなってしまいますので、紙媒体の方がなにかと便利なのです」

「へえ……そうなんですね」

「今の時代を生きるあなたには使いづらいかもしれませんが……慣れれば紙も良いものですよ」


 そう言ってにっと笑った時間会社の人──清水(しみず) (あおい)と名乗った男性の言葉に、彼がそう言うのならばそうなのかもしれない、と思った。なんというか、彼の笑顔には人を信じさせるなにかがあった。人徳というべきものなのかな。


「俺はたまに紙媒体の書籍を読むんです。電子と違って紙は少し温かい感じがして……まあ、これもうちのばあさんの受け売りなんですけど」

「おばあさんの」


 今のわたしは“おばあさん”という言葉に弱い。

 彼のおばあさんとわたしはなんの関係もないけれど、おばあさんという存在に弱くなっているわたしは、彼のおばあさんがそう言っていたのならわたしも紙の本を読もうと思った。


「うちのばあさん、なんだか手紙だとか本だとかに思い入れがあるみたいで……って、ああ、すみません、話が逸れましたね。野田さんの過去への滞在期間は一年となっています。一年間はこちらで用意した宿に住んでいただき、過去の世界をお楽しみください。注意事項は先ほど説明した通りですが、先ほどお渡しした冊子を読み返していただくか、宿に用意してあるタブレット端末にて確認ができます。宿に用意しているタブレットは外に持ち出すことができませんので、外で確認をする場合は冊子をご覧ください」

「はい、わかりました」

「野田さんが行く時代は今からおよそ80年前の2018年となっております。過去の時間で2019年4月3日までが滞在期限となります。滞在期限が来る前に帰還したい場合は、タブレットにてその旨をご連絡ください。期限の三日前にこちらから帰還の日が近くなっていることを連絡いたします」

「はい」

「以上が説明となります。ご不明点などはございますか?」

「いいえ、特には」

「そうですか。後々、疑問点などが出てきましたら、タブレットからお問い合わせください。……過去への旅行、楽しんでくださいね」


 真面目そうな顔つきから一転して、優しく微笑んだ清水さんにわたしは涙腺が緩みそうになってしまう。ああ、最近のわたしは涙もろい。春だからかな、と季節を言い訳にして、わたしは歪みそうになった顔をなんとか笑顔に変える。


「……はい、ありがとうございます」


 わたしはペコリと清水さんに頭を下げる。

 清水さんはわたしが頭を上げるのを待って、過去へ旅立つ機械がある部屋へ案内をした。

 そこにはなぜか、お父さんやお母さん、お姉ちゃんとお兄ちゃんの姿があって、わたしは目を見開く。


「あれ……なんでみんなここに?」

「あなたを見送りに来たの」


 そう言ってわたしを見つめるお母さんは、とても寂しげだった。

 おばあちゃんがいなくなって神経質になっているのかなと困惑しながら他の家族を見ると、みんな一様にお母さんと同じような表情を浮かべていて、わたしは余計に戸惑った。


「そんな大袈裟な……もう会えないわけじゃないんだから」


 一年間、いないだけだ。外国へ留学するのと変わらないのに。

 ああ、でもわたしは二十歳になった今まで、家族から離れたことがなかった。末っ子のわたしは家族に甘やかされて育てられた自覚がある。だから、余計にみんな心配しているのかもしれない。


「心配しないでよ。わたし、過去でもちゃんとやっていけるよ。料理だって掃除だってきちんとやるから」

「ももかが一人で暮らしていけるとこなんて想像できないけど」

「そうそう、本当にそれな。飯食えなくてめそめそ泣くんじゃねえぞ」

「お姉ちゃん、お兄ちゃん……! 酷いよ、わたしそこまでじゃないし!」


 そこまで家事能力は低くないし、泣き虫でもないつもりだ。

 憤慨するわたしにお姉ちゃんもお兄ちゃんも「どうだか」と、ころころ笑う。

 さっきは寂しそうな顔をしているように見えたけれど、わたしの気のせいだったかもしれない。


「……ももちゃん、ちゃんとご飯食べてね」

「お母さんまで……! 大丈夫だってば」

「ははは! ももかは食い意地が張っているから、ご飯を食べないことはないだろ」

「でも、お父さん。ご飯の代わりにケーキとかありえそうじゃない?」

「それか、スナック菓子とかな」

「ありえそう~!」

「そうだなあ、ももかならそれもあり得るかもしれんなあ」

「お父さんったら! わたしそこまで食い意地張ってないし、お菓子をご飯代わりにすることもないよ! …………たぶん」


 たぶんかよ、とすかさずお兄ちゃんが突っ込んで、わたしたちに流れていた雰囲気がいつもと変わらない温かいものに変わる。

 それを微笑ましそうに黙って見守っていた清水さんだけど、わたしのあとにも時間旅行に行く人が何人かいるそうで、わたしはそろそろ過去へ旅立たなければならないようだ。

 もうそろそろ、と言う清水さんに頷いて、わたしは家族に笑顔でお別れを告げる。


「わたし行ってくるね! 帰ってきたら、過去のことたくさん話すから、楽しみにしていてね!」

「ああ……楽しみにしているよ、ももか」

「うん。お父さん、お母さん、お姉ちゃん、お兄ちゃん、行ってきます!」

「気をつけて……いってらっしゃい」


 穏やかな笑みを浮かべて送り出してくれた家族に手を振って、わたしは過去へと旅立つ装置の前に立つ。


「過去から戻る場合は、野田さんが今手につけているリストバンドがこの装置の代わり……というと語弊があるんですが、説明すると長くなるので、そのリストバンドが代わりになるんだと思ってください」

「はい」

「俺が3と言ったと同時に装置を動かします。過去へと着いた直後は少し気分が悪くなる場合がありますので、運動は控え、一日はゆっくりとお過ごしください」

「わかりました」

「……それでは動かします。1、2、3……」


 聞きなれない高い機械音がすぐ耳元で聞こえたのと同時に、目の前の光景がぐにゃりと歪む。そしてだんだんと暗くなる視界の片隅に、泣きそうな顔をしてわたしを見つめる家族の姿を見つけ、不思議に思う。

 なんで、みんな泣いているんだろう? まるでもう、わたしが帰って来ないみたいな……わたし、ちゃんと帰るのに。

 泣かないで、と呟こうとしたのと同時にふわりとした浮遊感がして、気持ち悪くなった。気分が悪くなることがあるって言っていたのはこれか、と頭の片隅で思う。

 装置を動かしている清水さんがいると思われる方を見ると、彼はわたしに小さく微笑んで口を動かす。


 その口の動きは『また、過去で』と言っているように見えた──。


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