秩父の夜空と、黒・青 その4
「……もう一回、言ってもらえるかな? 聞き間違いならいいんだが」
「予備の戦闘員服を貸してくださいと、私は言いました。聞き間違いではありませんっ」
言っている美月だって何を自分が言い出しているのかと混乱しているのだ。察して欲しい。
素のままで居ようとすると黒雷に逃げられ、かといって変身するのは相棒に対して酷なこと。そうなったら今の黒雷と同様に、黒タイツとなるしかないではないか。
寝起きで混乱している美月には正解なんて分からないのだから。
「ふぅむ……。まぁ、いいか。少し待っていろ」
そこから数十秒。ガサゴソという音の後、テントの入口前へと全身黒タイツがやってきて全身黒タイツを置いていった。
あくまで今の美月を見ようとしないようである。
「生産ラインで模様が付かず、検品で弾かれた無地の黒タイツだ。寝巻きに便利かと思って貰ってきたんだがね、まだ未使用品だから安心するといい」
そう言って黒雷また焚き火の前へと戻り、またカレーをかき混ぜ始める。
「それは下着の上から着ても目立たないし、サイズが合ってなくても首元をさすればタイツの方から合わせてくれる便利な機能付きだ。夏は涼しく冬は暖かいを実現したダークエルダーの技術の賜物でね。何時間擦ろうと静電気は溜まらず……」
よほどこの黒タイツが気に入っているのか、黒雷の機能説明は延々と続く。着替えている時に無言というのも気まずいのだろうから、必死に言葉を紡いでいてくれているのかもしれない。
その合間に着替えてしまおうと、美月は黒タイツを拾ってからテントの入口をしっかりと閉め、なるべくテントの中でも距離を取ってから、汗で濡れた私服へと手を掛けた。
もう夏も過ぎようとしているとはいえ、まだまだ気温は高い。そんな環境で日中から野外で活動していたのだから、当然のごとく道場で稽古をした後のようにびしょ濡れである。
着替えを用意してはいるものの、男性の傍で着替えるのは凄く恥ずかしい。かといって脱がねば気持ち悪いジレンマだ。
(ええい、ままよ!)
冷静になったら負けだと、美月は勢い任せで全てを脱ぎ捨てた。一糸まとわぬ姿となってから荷物を漁り、中からハンドタオルを取り出してウェンディに濡らしてもらう。
欲を言えばシャワーくらい浴びたいところだが、濡れタオルで我慢。生きているだけでも儲けだと思う事にする。
下着だけ新しい物に替えて、次はいよいよ黒タイツだ。
受け取った全身黒タイツは上下分割型で、簡素にも見える腰ベルトの部分で接続されているようだ。マスクもフード型で、半分聞き流していた説明の通りに被ってから接続部分を指でなぞるだけで元々が一枚の布だったかの如く接着する。
そして首元をさすれば、余っていた部分が縮んで体型にフィットした状態へと変貌する。これでどこからどう見ても完璧な全身黒タイツだ。
本当に科学技術なのかと疑いたくなるような、摩訶不思議なタイツである。
「………うわぁ……」
思わず、美月の口からそんな声が出てしまった。
半分は自分がこんな恥ずかしい格好をしてしまったという羞恥から来るものであるが、もう半分はあまりにも着心地が良すぎて、思っていたより悪くないなと思ってしまった事によるものだ。
身体のラインが露わになってしまうのが難点だが、それを除けばほとんど欠点がないのがムカつく程に、この黒タイツは衣服として完璧に近い。
何せ着込んだ瞬間から外気の暑さは気にならなくなり、息苦しさもなく、生地は身体の動きに合わせてどこまでも靭やかだ。
物に触れても触覚を邪魔することなく、しかし刃物や銃弾を通さぬ程に防御力は高いらしい。生地は恐ろしく軽く薄いくせに、これだけのポテンシャルを秘めているとなると、これが戦闘員服として正規採用されているのも納得できる。
「どうだ、驚いたか?」
「驚いた、どころじゃないですよこれ。全身黒タイツじゃなければ普通に欲しいくらいです」
黒雷に声をかけられ、美月は大慌てで片付けをしながらそう返答する。これが一般に流通すればさぞ人気商品になるだろうにと、そう思うのは本心だ。
「ふふ。実はそれの専用ブランドは既にネット通販で販売していてな。下着から軍服まで、幅広い衣服がそこから世界中に広がっている。まだまだ金持ち用で値は張るがな」
「えっ、ブランド名は?」
「悪の組織の貴重な資金源をヒーローに教えてなるものか」
「ああ……そうでしたね………」
普通に手に入るなら欲しいなと、本気で思っていたがためにその一言には思っていたよりも落胆してしまっていた。
確かに黒雷の所属するダークエルダーは、悪の組織を名乗り暴力による支配を目論む以上、どこまでも美月達ヒーローの敵だ。
共に幾度かの戦場を駆けた仲とはいえども、彼らの日頃の行いや目的を容認できるかどうかはまた別。いずれは決着を着ける時が来るのだろう。
その事を思うと少しだけ、美月の心がチクリと傷んだ気がした。
「………その、なんだ。そんなに欲しければその黒タイツくらいなら差し上げてもいいぞ? 実はそれ袖やマスクは着脱可能だから、衣服の下に着るならばそんなに目立つ事もないしな?」
美月の沈黙をどう捉えたのか、黒雷からそんな提案をしてきた。口調が変なのはどうしてなのか分からないが。
どこかの誰かに似ている気もしたが、考えようとした瞬間に頭が傷んだので、やめた。
道場や学校で美月や陽とお近づきになりたい男子達が時々なる口調だ。特定の誰かを思い起こすものではないだろう、と。
「なら、有り難くいただきますね。大切にします」
「う、うむ」
敵である悪の組織の戦闘員服を貰って、大切にするとはまた妙な話だ。自分で言った事なのに、思わず口元に笑みを浮かべてしまう。
今は全身黒タイツなので外からは見えないだろうけど。
「さぁ、満足したなら出てくるといい。もう二人分は盛り付けてしまったのでな」
「はーい」
身体の節々はまだ痛むけれど、何故か心は軽い。
テントの入口を開けて、躊躇いもなく外へ。
生暖かい風が肌を撫ぜる感覚はすれども、そこに熱を感じないというのは不思議な感覚で、ちょっと面白い。
「私はカレーライスに何も調味料をかけない派閥なのですが、問題ありませんね?」
「大丈夫だ、問題ない。……強いて言えば今はタルタルソースか焼肉のタレしかないがな」
「肉にタレはいいとして、どうしてタルタルソースを?」
「美味いだろう?」
「あっはい」
今まで敵として一線を引いていたのが嘘のように。
美月の中にあった距離感は、本人も気付かぬ間に縮んでしまっていた。
カレーとこんがりワイバーン肉を受け取り、黒雷の対面へと座る。
口元を二本指でなぞるとマスクが一部開くと教えられ、その通りにすると本当に口元だけが露わになり、笑った。
カレーを食べてみたら、まだじゃがいもが硬くて、笑った。
こんがりワイバーン肉が絶品で、笑った。
飲み物が水かココアかプロテインか忍者的健康飲料しかないと聞いて、笑った。
試しにふたりして忍者的健康飲料を飲んでみたら、苦味はあるけれどそれほど不味くはないという、感想に困る味で、また笑った。
どうしてこんなに可笑しいのか、それすら分からなくて、美月はまた笑った。
月明かりと焚き火の明かりのみが支配する広場の中で。
いつまでも笑顔であったふたりの夜は、まだもう少しだけ続く。
私のターン! ドロー!
私はヴォルト・ギアの認識阻害装置の効果を発動!
これにより口元を開けた状態で会話をしても、美月が黒雷の中身をツカサと認識しない限り、美月は黒雷とツカサを別人として扱う!
私は伏せカードを2枚場に出し、ターンエンド!
……という事だったのサ!