狐とキツネと秩父山中 その5
「か、完成しました……」
ワイバーンとの戦闘が終わり、その首のない巨体を近場の木へと吊るして血抜きを始めてから3時間ほど。もう太陽は真上を過ぎて傾き始めていて、蝉の合唱もアブラゼミからひぐらしへと代わろうかといった時間帯。
そこでようやく、戦闘中ですら顔を上げなかったコッペルナがやり切った表情で額の汗を拭った。
完成した魔法陣は直径が約2mほど。酷く緻密で繊細に描かれていて、それだけで一種の芸術にも思える代物だ。完成の報を聞き、近寄ってみたツカサではあったが何を意味しているのかさっぱり分からなかった。
「お疲れ様です。それは何のための魔法陣なんです?」
他の面子は散り散りになって行動している為、興味も相まって一番近くで火の番をしていたツカサがコッペルナへと飲み物を手渡しながら質問する。
手渡す飲み物は定番のコーヒー……と言いたいところだが、何故か手元にあったのは粉末ココアかプロテイン(ココア味)か百草汁(忍び的超健康飲料らしい)しかなかったため、一番無難なココアを選ぶ他なかった。チョイスが偏っている。
コッペルナはようやく一息つけたからか、ありがとうと一言だけ呟いてココアを受け取った。そのまま焚き火の傍に用意した簡易ベンチへと座り、吐息で冷ましながらちびちびと飲み始める。
ツカサもまた火の番の定位置へと座り、乾いた枝を折って火へと焚べた。
先程までの戦闘とは打って変わっての、朗らかな昼下がりである。
結局、本日の行程はワイバーンの処理とコッペルナの魔法陣が終わるまで時間が掛かるという事で移動を諦め、この場に簡易拠点を設立する方向にシフトした。元々この場所は『陰逸』の忍びが拠点としていた場所なので、竈や簡易的な水場などは既に用意されている。あとは人数分のテントを張ったり薪や食材の確保等に人員を割いて、ここで一晩を過ごす準備を行うだけ。
完全にキャンプのノリだ。
「これは獣を含めた魔獣避けなんです。認識を暈すのと軽度の不快感を与える効果がありまして……」
それから10分ほどコッペルナ先生の講義が続いたが、あまり関係のない話なので省略する。ようは作成者が認めた面子以外はこの場に近寄ろうとすら考えなくなるという代物のようだ。一応人間にも効果はあるが、ぼんやりと「あっちには近付きたくない」と思わせる程度なので迷い込む可能性はあるとの事。一度発動すれば一ヶ月は保つため、苦労に見合うだけの性能はあるらしい。
「おーう、終わったかルナよ。ちょうど良いからお前さんも解体を手伝え。その代わりモツの類はワシらで独り占めじゃあ」
「はぁい。私たちで、だからふたり占めですねぇ」
ちょうど講義が終わった頃合を見計らったのか、瀧宮が牛刀片手に満面の笑みで吊るしたワイバーンを叩く。動物(ワイバーンをそう分類していいのかはさておき)の解体なんて重労働は本来男集が請け負うつもりでいたのだが、瀧宮達の方がやり慣れているらしく結局お任せする事になった。もう現地入りしてから数体は皮なめし作業まで終わっているらしく、下手に素人が割って入ってもむしろ邪魔だとまで言われたらどうしようもない。
「いやー楽しみっスね、ワイバーン肉。肉食ながらも臭みと雑味が少なくて美味しいらしいっスよ?」
火加減を調整しながらボーッと解体作業を眺めていると、今度はベンチにスズが座った。彼女の役割は香草の採取で、近辺をぐるっと回って袋いっぱいに詰め込んで帰ってきたところらしい。ついでにキクラゲや食べられる野草類も集めてきたようだ。キノコはこの環境下ではどのように変異しているかも分からないからと、断腸の思いで見逃したそうだ。
野生のキノコは素人目じゃ毒があるかどうか見分けがつかない危険物なので、それで正解である。
「いやまぁ、食ってみたくはあるけどさぁ……」
ツカサとしてはワイバーンの肉とか、そういうファンタジーな食品はなんとなく躊躇してしまう。未だに当たるのが怖くて生牡蠣を食べられないというのに、未知の生命体の肉なんて食べて、もし腹を壊したりなんかしたら。それを考えるだけで胃のあたりがキュッと締め付けられる。
「カシワギ博士に成分分析まで頼んで、問題なしのお墨付きまで貰ってるのに、まだビビっているんスか?」
「文化の違いってやつだよ。スズだって蜂の子の踊り食いとか言われたら躊躇するだろう?」
「いや、あれ美味しいんで遠慮なくいただきますが」
「このクノイチめ!」
「クノイチ関係あるっスか!?」
シノビとして訓練を受けた者では現代っ子のもやしっぷりが理解できないらしい。田舎育ちでもカブトムシすら触れない子供だっているんだぞ。
そんな感じにあーだこーだと子供じみた、言い争いのような口論を続けていると、痺れを切らしたかスズが立ち上がり、ツカサへと人差し指を向けた。
「あーあわかりました! ツカサさんには私が丹精込めたワイバーン料理を腹いっぱい! くちくなるまで食らってもらうっス! 拒否したらパワハラで訴えるっス!」
「じょーとーだオメーこちとら各種調味料とタルタルソースだけは常備してっからな楽しみにしてるぞコラァ!」
「やってやんよコナクソォ!」
何がどうやってこの会話に辿り着いたか、両者共に分かっていない。分かっていないのである。
まぁ面白いからいっかという、謎の共通概念の下で解散したふたり。ツカサはその場で火の番を続け、スズは解体されたワイバーン肉を竈と作業スペースを使い調理するのだろう。
何故か仲の良いふたりであった。
ちなみにだが、この場にカゲトラと枢 環の姿はない。あのふたりは連れ立って、周囲の安全確認という名目のデートへと旅立った。
あのふたりに関してはもう腹を立てる気力もないため、どうかお幸せにとしか思わない。結婚式にさえ呼んでくれればツカサは満足である。実際にそれを口にしたら、気が早いと怒られるだろうが。
兎にも角にも、これで怒涛の一日目が終わり、明日からまた本格的な調査開始となるのだろう。
まだまだ未知の領域たる秩父山中を相手に、ツカサ達がどこまで辿り着けるのかは分からない。だけれども今はただ、この優しい時間を楽しもうと、そうツカサは心に決めて焚き火へと薪を焚べた。
……余談だが、スズの作ったワイバーン料理の数々はあまりにも絶品で、百キロを超す重量のあった肉塊は忽ち崩れ去ったそうな。
保存食として僅かに残されたワイバーンジャーキーを齧りつつ、血なまこになってワイバーン狩りを行うツカサ達の姿が見られるのは、もう少しだけ先のお話。