狐とキツネと秩父山中 その1
ガタガタと車体が揺れる。
舗装もされていない、それどころか木片や中小の石がゴロゴロと転がる、そんな山道。
何故か一直線に伸びるその道を、一台のジープが走り抜ける。
「~♪」
軽快なアニソンをカーラジオから流し、運転手はそれを小さく口の中で口ずさみながら上機嫌にハンドルをさばく。その筋肉質なボディにタンクトップ&サングラスな姿は、知らぬ人から見れば陽気なアメリカンにも見えるが、実際はただの筋トレ好きな悪の組織の戦闘員。
ご存知カゲトラである。
「いやー、晴れてよかったな! ハイキングにはもってこいだ!」
「いやハイキングて。一応仕事だって事を忘れるなよ」
何故か無駄にテンションの高いカゲトラに対し、ツカサの対応はドライだ。しかも小声。というのも、
「いやぁホント、晴れてよかったですねー!」
なんて、助手席に座る女性がニコニコしながら相打ちを打つものだから、流石のツカサと言えども迂闊にツッコミをいれられないのである。
「いや何ぶつぶつ声で言ってんっスか。もうちょっと声張りましょう声」
「うるさいやいスズだって小声じゃねぇかよぅ」
後部座席にはツカサとスズが座り、前席の甘ったるい雰囲気に圧されてなんとも居心地の悪いまま、できる限り気配を殺して成り行きを見守っている。
「大体『陰逸』でしたっけ? どうしてそこのクノイチである彼女が同乗しているっスか?」
そう、カゲトラといい感じになっているのは、かつてハクと争った赤いキツネクノイチにして同じアパート住みのご近所さん、枢 環である。
忍び装束ではなく私服の姿のまま、ご丁寧に昼食用であろうバスケットまで持ち込んでのエントリーだ。
どうしてこうなったのか。
「それは……話すと長くなるんだがね……?」
◇
遡る事二日前。事の発端は、カシワギ博士の一言からだった。
「ツカサくんや、明後日に特別な任務を受けてもらいたいのじゃが、大丈夫かのう?」
よくよく考えれば、いつも事後承諾ばかりで話を進めるカシワギ博士が、この時は珍しく事前に確認を取ろうとした時点で怪しむべきだったのだ。
「え……? あっはい、大丈夫ですけど?」
この時のツカサは真人との試合で得た感覚を思い返すので精一杯で、ボーっとしていたのもある。なんたる迂闊か。
「うむうむ。では詳細はこの紙に書いてあるから、当日はよろしく頼むな」
そう言ってカシワギ博士は紙っぺら一枚をツカサへと寄越し、本人はさっさと研究室へと篭ってしまう。
忙しいのかなと、そうツカサは思って受け取った紙を見てみれば、表題には『大型デブリヘイム『マザー』の潜伏跡地の再調査、及び『陰逸』に関する調査チームの派遣』とあり、そのメンバーには既にツカサとカゲトラとスズの3名の名前が挙げられていた。
「──って待って博士ェ!!」
表題を見た瞬間に血相を変えたツカサは慌てて博士の研究室へと駆け寄るも、中では完全に籠城体制が組まれているのか扉はビクともしない。
「博士、博士! これは一体どういう事です!?」
「どうもこうもない! 君たち3人で調査に行ってくれというだけの話じゃ!」
扉越しだが、ちゃんと声は通る。しかし“気功”を以てして殴りつけても開かないとはどのような作りなのか。
「調査って……!? 今の秩父山中は先の事件やら何やらで、危険地域認定されてる天外魔境だって知ってて言ってますよね!?」
「だからこの支部の戦闘員で選りすぐりの君達を選んだんじゃあ! 人員以外なら大抵は好きにさせてやるからやっとくれぇ!」
このような押し問答を小一時間繰り返したが結論は変わらず、臨時ボーナスと特別有給と美味しいお米を送って貰うことでケリが着いた。
「いや、それ完全に負けてるじゃないっスか。全員分のボーナスと有給は有難いっスけど、なんでお米?」
「人の回想に口を挟むんじゃあないよ」
なにはともあれ、受けたからにはやらねばならない。カゲトラとスズには事後承諾という形で内容を暈して同行を承諾させ(もちろん押し問答はあった)、物資はありとあらゆる可能性を考慮して轟雷の使用許可まで卸させた。
今の秩父山中とは、それほどまでに危険なエリアなのである。
そしてその日の晩というか、妹と待ち合わせて夕飯の食材を買い込んだ帰り道。
外で詳しい内容を話すわけにもいかず、所々に隠語を用いて会話していたのだが、秩父山中という言葉だけは暈すことなく口に出してしまったのだ。
そしてそれを口にした場所はマンションの出入口。そしてそして、そこに丁度よく通りかかった枢環がいた、という偶然にしては出来すぎた状況と相成った。
彼女は元々秩父山中を目指していた『陰逸』の上忍であり、様々な事情で今はツカサ達の住むマンションにて潜伏している身であった。
魔境と化してしまった秩父山中に立ち入るだけでも相応の準備と戦力が必要だが、もしそれが日本の半分を牛耳る悪の組織が用意していて、それに同行できるならと。彼女の頭の中ではそこまで一瞬で計算し尽くされ、土下座も辞さない勢いで頼み込まれたと、そういうわけなのだ。
そうして当日に顔合わせをしたらこの空気である。
◇
「それって、美人の頼みを断れなかっただけでは?」
「うぎぎ」
何気ないスズの言葉はズバリと図星。ああ悲しきかな非モテの宿命である。
まぁそれとは別に、秩父山中に眠る『陰逸』の秘密について調べるのならば、彼女に同行してもらった方が早いと思ったのが一点。協力者として戦力になりそうだと考えたのが一点と、それなりの打算はあったのだ。
ちなみに他の知り合い連中は全員不参加を表明した。霧崎なんかは来そうな気もしていたが、仕方ない。
「まぁ、いいっスけどね。私は楽ができそうなら助かりますし」
と、スズは興味無さそうに手元のスマホへと視線を落とした。酔うぞと注意しても、忍者なので大丈夫っスと返されたら何も言えない。
そういえば忍者繋がりとして聞いてみたい事があったので、せっかくの機会だし聞いてみようと、ツカサは話題を変えることにした。
「同じ忍者として、『陰逸』に対してなんかあったりしないの?」
同じ闇に生きる者同士、ライバルだったり因縁があったりしないかとか、そういう興味本位からの質問。だけどもスズの態度は素っ気なく、
「ないっスよ。名前は聞いたことあるかなーくらいっス」
とまぁ、こんなものだった。
「大体、大昔に滅ぼされた筈の流派と言われたってピンとこないっスよ」
「まぁ、そういうもんか」
「そういうもんっス」
それっきり後部座席の会話は終わり、前席の妙に甘ったるい空気を鬱陶しく思いながらも、4人を乗せたジープは過去にツカサ達が螺旋吶喊号にてつけた道をひたすらに駆け上がる。
目指すはひとまず、かつて『マザー』が隠れ潜んでいた巨大地下空洞。そこに何があるのか定かではないが、今更再調査というからには何か根拠があってのものだろう。
──秋ももう目の前だというのに、未だに肌を焼くような熱気の中。周囲の森からは、蝉の大合唱が木霊していた。