その名は、心鏡水天流剣術道場 その2
ある晴れた日曜日の午後。
ツカサと数名は古めかしい道場へとやってきていた。
表に掲げられている看板には『心鏡水天流剣術道場』の文字。年季の入った木製の建物には所々に補修の跡がみられ、それと風に揺れる風鈴の音と門下生達の掛け声が何とも言えない哀愁を漂わせる、そんな時代に取り残されたような場所。
「……なんというか、マジでお嬢様なんだなぁ」
その道場が収められた土地は広く、学校の校舎位ならばすっぽり収まりそうなほど。普段あまり近づかない地域だから見落としていたが、塀に囲まれたその空間は現代ではあまりにも異様にも見える。
「ああ、司さんようこそ」
前もって到着すると伝えていた時間ちょうどに、道場から水鏡美月が顔を出す。シンプルな道着姿は彼女に似合っていて、後ろに束ねた黒髪が汗と陽光でキラキラと反射し、思わず見とれてしまうほど美しい。
「……どうも。何名でも、って言ってたから彼らを連れてきたのだけれど、問題ないよね?」
そう言ってツカサが避けた先には、一組の男女。
「あら。泉先輩に、宝条先輩……?」
「どーも」「こんにちはー」
そう、今回の同行者はこのふたり。そして、
【俺もいるぜ】
「!? キーホルダーが……喋った……?」
『白鶴八相』という名の聖剣が一振り。これが今回のツカサの人選であった。
◇
「………なるほど。先輩達も苦労していたのですね……」
あまり詳細な説明をする必要は無いため、水鏡には暈す部分はちゃんと暈した上で簡単な経緯を説明した。
事前の口裏合わせも行い、『ツカサが偶然、巫女と騎士のチカラに目覚めたばかりのふたりが謎の集団に襲われている現場に出くわし、手助けをしたら師匠と言われ懐かれた。しかし剣術なんて我流のため教えられず、ならば道場でちゃんとしたものを学んだ方がよい。ということで渡りに船と連れてきた』という事にしている。
実際は泉 星矢の修行と噂の調査を並行して行うことが目的だ。ツカサは道場に通う気なんて更々ないため、体のいい生贄を用意したとも言える。
まぁ、彼らに相応の負担をかける事になる為、調査にかかる費用及び時間給は組織から支払われるのだが。アルバイトみたいなものである。
「事情は理解しました。父にも頼み、見学の裏で入門の手続きを行いましょう。……そろそろ休憩も終わりなので、まずは午後の稽古の見学を致しましょうか」
立ち話で事情説明を終えたので、一行は道場の中へと足を踏み入れる。門下生には事前に連絡を済ませてあるのか騒ぎになることはないが、珍しいものを見るような視線はあちこちから感じる。
まぁ、若者の中にツカサのような成人男性が混じったら目立つのも仕方がないだろう。
「ほら、全員よそ見をするな。まずは一の型より素振りを百回。始め!」
凄みのある男性の声に、門下生達は一斉に構えを取り、竹刀を振るう。一糸乱れぬその様にツカサ達は圧倒され、思わず身震いするような、そんな覇気を感じてしまう。
「本日見学の方達ですね。ようこそいらっしゃいました。美月の父の水鏡 真人です」
先程の男性はツカサ達に近寄ると、その強面からは想像できない柔和な笑みを浮かべツカサへと握手を求める。
「どうもはじめまして。大杉 司です」
ツカサもまた手を差し出し、しっかりと手を握り返す。
その手は剣術家らしくゴツゴツしており、長い鍛錬を積んできたのだとよくわかる。対してツカサの手の平はまだまだ柔らかく、マメが出来るほどの訓練も積んでいない為に、一見ではただのサラリーマンと同様レベルにも見えるだろう。
ダークエルダーの戦闘員はトレーニングと睡眠学習を並行して行うため、経験と身体作りが伴わないことはままある事だ。
「娘から聞いておりますよ。なんでも司さんは腕の立つ剣士なんだとか」
「いやぁ、自分なんかまだまだですよ。無我夢中で振るっているだけで、達人と勝負したら惨敗する自信がありますし」
「謙遜なされるな。“気功”を扱う人間が弱い筈がないでしょう。武術の到達点のひとつとして挙げられる“気功”のチカラ。それを体得しておいて自分は弱いなどと言っていたら、ウチの門下生達から袋叩きにされますよ?」
「いやぁ私のこのチカラは師匠に恵まれたお陰でしてぇ分不相応なチカラというかー……」
会話の間も握手は続いている。いや、正確には真人がツカサの手を離そうとしないのだ。
よく見れば柔和な笑みの奥では目が笑っておらず、どうやって実力を測ってやろうかと虎視眈々と狙うケモノのような獰猛さが見え隠れしている。
なんだろうか。可愛い娘に近付く害虫とでも思われているのだろうか。ならばツカサにはそんな美少女を口説くような根性がないので安心して欲しいのだが。
即座に“気功”についても言及してきたし、この御仁は只者ではない気配がある。
「父さん。いい加減にしてくださいな」
見るに見兼ねてなのか、水鏡 美月が間に入ってくれる。そこでようやく手が離されたが、彼の目はまだ好戦的なままだ。
だが娘からちゃんと諭されれば違うものだと理解して貰えるだろう。それを期待してツカサは黙っていたが、美月から出た言葉はまた違うもの。
「先に目を付けたのは私です」
「……?」
どういう意味かツカサには分からなかった。いや、なんとなく想像はついたが分かりたくなかっただけかもしれない。
何故ならば、親子がツカサに向ける視線は全くの同質。強者との戦いを前に舌なめずりするような、そんな戦闘狂達と同じもの。
「………あー……」
軽く周囲を見渡せば、門下生達からの視線も“好奇心”から“闘争心”へと切り替わっている。
そういえば真人が素振り百回を命じた後、何も指示をしていないのは何故だろうか。何故なんだろうなぁ。分かりたくないなぁ。というツカサの思いも無駄に終わり。
「では、せっかくなので今日の稽古は皆さんで強者さんと手合わせする時間にしましょうか」
そのセリフを聞いた瞬間、ツカサはようやく己が嵌められた事を理解した。
そう、ここは戦闘狂達の坩堝。
強者と剣を交えることに悦びを見出す、時代錯誤な戦士たちの群れ。
ツカサがハクとしての姿を水鏡に見せた時点で、既に目を付けられていたのだ。
「無論、講師をして頂くのですからそれ相応の対価は用意致しますとも。構いませんよね、司さん?」
真人の声には有無を言わさぬ迫力があり、ツカサはただ、頷く以外の選択肢が残されていなかった。