2日目の浜辺と、赤、青、黒、妹 その2
海の家のベンチにて突然始まるツカサのお悩み相談室。
水鏡 美月が何やら思い詰めている感じだったので、軽い調子で聞いてみたら話す気になってくれたと、経緯はそんな感じだ。
「それで、俺に話せそうな事はある?」
とりあえず水鏡の緑茶を再度注いできて、自分用にとフルーツバスケット・オレを注文する。そして彼女と若干距離を置いて同じベンチへと座れば、バッチリ相談体制である。テーブルを挟んだりはしない。向かい合って赤面しない保証はないので。
「実は………この間、勝負……というか、試合に負けたんです」
彼女はそんな事も気にせずに、ぽつりぽつりと語り出す。いかにも言葉を選んでいるようで、話の大枠だけというか、具体的な事は分からないように話されていたが、そこはまだ信頼されていないからだろうと勝手に納得する。
話を要約すると、『先日に真剣勝負をしたのだが、力量では全く相手に及ばず、それどころか遊ばれるようにして敗北を喫してしまった。同期もまた敗北したのだが、それとは別の、ライバルと思っていた人は相手側のひとりを倒してしまったのだという。修行を怠ったつもりは一切ないが、その自分の無様さにやり場のない怒りを感じ、燻っている』と、そんな感じの話だった。
「油断したつもりはありません。勝てぬ勝負だったとも思いません。でも結果は……。……なので、自分に自信が持てなくなってきたんです……」
話しながらも彼女は、終始心底悔しそうな顔をしていた。それだけ彼女には、その敗北が大きくのしかかっているのだろう。
ここで大人であるツカサが言ってやれること、それは……。
「ま、いい勉強になったんじゃないの?」
というクソみたいな感想だけだった。
「………は?」
これには水鏡も頬を引き攣らせ、ぎこちない笑顔をツカサに向ける。いわゆる半ギレである。
そこからギャーギャー喚かないのは、彼女の人柄故であろう。
男ってこれだから、というヴォルトの声も聞こえた気がしたが、多分幻聴であろう。
「確かに人間、誰だって負けるのは嫌だ。勝負には常に勝ち続けたいし、できるならば勝てる勝負しかしたくない。勝つか負けるかの瀬戸際を楽しむ者もいるが、それは置いておいて」
そうしてツカサは語り出す。本題の答えの前に理屈を並べる、正に『これだからモテないんだ』を地で行くオタクの性である。
「負けたら奪われる。買ったら奪える。勝負の世界とはそんなもんで、勝った方がエラいってのが大半だ。それで……」
そこでツカサはようやく我に返り、横目で水鏡の顔色を伺う。彼女は未だに難しい顔をしていたが、相談を持ち掛けた手前、最後まで聞くつもりではいるのだろう、静かにツカサが話し終えるのを待っていた。
「……それで、だ。君は負けたのだろうが、何かを奪われたワケではないのだろ? 名誉とかプライドとか、また奪え返せそうなもの以外で」
名誉は挽回できる。汚名は返上できる。プライドが傷付いたなら取り戻せばいいし、物が壊れたなら直せばいい。
簡単な話ではないが、単純な話ではある。
「だがもしも、その勝負が誰かの命を賭けたものであったなら、そうはいかない」
ツカサは護身用のスタンロッドを手に取り、くるりと回す。これはダークエルダーに所属している者になら誰にだって支給され、市販品としても出回っている物のカスタム仕様だ。特別製というわけでもないし、何度もへし折られたりもしているのだが、ツカサはこれに愛着が湧いてしまっている為、何度も修理をして使い続けている。
「これを持って、守ろうとした誰かがいるとする。その誰かを守る盾は自分しかいなくて、自分が負けたらその誰かが害される。そうなったら、誰だって死にものぐるいで戦うだろう」
守ろうとした誰かは、自分にとっての唯一無二。もしそれが自分の半身以上に大切な存在だったとしたら。
「大人になると、そんな戦いばかりだ」
家族、恋人、友達。誰もが己の利益の為に、それらを食い荒らそうと虎視眈々と狙っている。それが人の世であり、社会である。
「……そんな、大袈裟な」
「大袈裟なもんかよ。『このボタンを押せば自分に利益が出るが、必ずどこかの誰かが不幸な目に遭う』ボタンなんかがあった日にゃ、押さない方が馬鹿を見るのが人間社会ってもんだ」
人間なんて、利益不利益で動く利己的な者ばかり。利益に関わらず善行を行えるとしたらそれは……
「ヒーロー、と呼ばれる人達くらいじゃないかな」
ツカサは笑う。もはや相談というクセに一方的に喋ってはいるが、そんなのは気にしていない。
「ヒーローは強く、優しく。弱者の味方で、悪をくじく。見返りは求めず、傷付く事も厭わない。なんて立派だ凄いんだ、尊敬しちゃう! ……でも、結局は勝負の舞台だ」
そこで一息を入れ、残ったフルーツバスケット・オレを飲み干す。ここで暑苦しく語るべき話じゃないなと、今更ながらに思い出して。
「えぇっと、何が言いたいかと言うとだな……」
慣れない事はするもんじゃないなと、ツカサは深く深く反省しながら言葉を探す。女性の相談相手になんかなれる器じゃないとまで自己批判しながら、ようやく言葉をまとめ。
「君は負けはしたけど、それで何もかもを奪われたワケじゃない。だったら今回の事を糧に、次に繋げればいいって……そういう事を言いたかったんだ、うん……」
ツカサは逃げ出したくなる足を必死に抑えながら、なんとかそこまで言葉を絞り出した。
水鏡の反応が怖いが、相談に乗ると言ってしまった手前で逃げるのは余計に恥ずかしい。
辛い沈黙が続く中、ようやくツカサの耳へと届いたのは、水鏡の浅いため息だった。
「……私がどうかしてました。変に気負って、前が見えなくなっていた部分もあるんだと思います」
「……なんか、ゴメン……」
ツカサがやった事は、ただ独り善がりに持論を語っただけである。これは痛い。痛過ぎて消え入りたい気持ちでいっぱいだ。
「いいえ。そもそも具体的な事も話さずに相談をした私も悪いんです。それに……勉強になったのは確かにその通りです。上には上がいて、その上の人達も日々切磋琢磨し成長していく。……勝負の世界に身を置くとはどういう事なのか、ようやく理解できた気がします」
もはやツカサは顔を覆うしかない。貴方が独り善がりに話している最中に自分を見つめ直す事ができましたと、暗にそう言われているからだ。
「お陰でちょっとだけ楽になりました。話を聞いてもらうだけでも有難かったです」
「ごめんよ……相談相手にもならない大人でごめんよぉ……」
これではどちらが大人なのか分からない。
「私、もうひと泳ぎしてきますね。あと言い忘れてましたけど、カレンちゃんが「兄さんはもう帰っていいですよ」って言ってました。長いことお待たせして、すいませんでした」
「いや、いいんだ。……行ってらっしゃい」
「はい!」
水鏡は、海から上がってきた時よりも幾分かマシな顔色になり、早速簡単な柔軟体操の後に海へと戻っていく。
ツカサはもう御役御免という事らしく、活気ある浜辺を後目にずんぐり暗い気持ちでトボトボとホテルへと帰路を辿る。
「貴方の自爆はどうでもいいのだけれど、私の食べ物を忘れないでね?」
浜を出る間際にヴォルトにそう言われ、そういえば妹に庇ってもらったお陰でヴォルトの食糧を一部買い損ねたのだとようやく気付き、また重い足取りで屋台へと戻るのだった。
ツカサに彼女ができる日は、まだまだ遠そうである。