捧げる誓い
「興奮した龍は何をしでかすかわかりません。とにかく逃げましょう! 姫さま、ぼくを信じてついてきてください!」
戸惑う姫の手を引いて、玉の汗を流しながらミズチが走る。
下半身が蛇の姫だから苦も無く進めるが、狭くて高低差があって、やたらと曲がりくねった道はどうやら隠し通路らしく、姫とミズチ以外は誰もいない。
二人きりの逃避行、姫を先導するミズチの手は小さいのに力強くて、子ども相手だというのに少しドキドキした。
────ミズチ殿は、どこに向かっているの? そもそも、他国人のわたしを秘密の通路に案内しても良いのかしら?
頭は疑問符でいっぱいだが、ミズチを信用して姫は素直に従っている。
やがて二人は、海を見下ろす城壁にたどり着いた。
外壁の装飾に偽装された階段の前で、ミズチは息を整えると、名残惜しげに手を離し、深々と頭を下げる。
「先ほどは、ぼくと従者たちを助けていただき、ありがとうございました。兄の行いもお詫びします。申し訳ありませんでした」
「ミズチ殿が気に病むことじゃないわ」
姫は首を横に振るが、ミズチは気がすまないようだった。
「後日あらためて謝罪はさせていただきますが、今日のところはひとまず竜宮にお戻りください。お付きの方々も、必ずぼくが海に送り届けます。
……散々な目に合わせた、地龍の弟のぼくが言っても信用できないと思いますが……」
「いいえ。いつだってミズチ殿は、わたしの目を見て話してくれた。平凡な人の姿でも、蛇の姿を知っても、蛇の尻尾をさらしている今でも。
ミズチ殿は最初から一貫して態度が変わらなかったから。わたし、あなたのことは信頼しているの」
姫の言葉にミズチは泣きそうになってうつむき、後退して距離を取る。
「姫さま、失礼します。──これは、ぼくなりのお詫びです。受け取ってください」
ミズチは腰の剣を引き抜くと、左の角に当てる。
まさか、と姫が止める前に、ミズチは自らの角をへし折った!
「あなた、自分で角を!?」
「どうせ大人になる時に生え替わりますから」
角を失うのは龍にとって最も不名誉なことだと、幼子でも知っている。
だからこそ姫はミズチの行動に驚愕した。
「角のこと、あんなに気にしてたじゃない! ミズチ殿が大人になるまで、あと三年はあるのよ? とても受け取れないわ」
「ぼくに角があってもなくても、影でこそこそ言う奴は言うんです」
だからもう気にしませんと、有無を言わさぬ笑顔でミズチは角を押しつけた。
龍の角には様々な効能がある。
ミズチの角は細くて小さいが、それでもとても値をつけられない希少な宝なのだ。
「ぼくの角を好きだと言ってくれた、あなたに持っていてもらいたいんです。……こんな時に、と思うかもしれませんが、先ほど伝えられなかった言葉を、言わせてください」
ミズチは剣を置くと、片膝をついて姫の手を取る。
まだ子どもだと思っていたのに、ミズチは信じられないほど大人びた顔で姫を見上げていた。
「ナミ姫さま。ぼくは初めて会った時から、優しいあなたをお慕いしています。兄上を尊敬しているから、気持ちを抑えていたけれど、縁談は破談になりました。
それに、ひどい仕打ちをする兄上たちには、あなたを任せられません!!」
「………………え」
姫の混乱は最高潮に達していた。
────今日一日で、色々あり過ぎよ!
でも、地龍の告白には感じなかったときめきに、頬が熱くなる。
「どうか、ぼくの気持ちを受け入れてください! ご存じかと思いますが、蛟は十六で成人となり、必要な属性を得て龍に進化します。
ぼくは必ず水龍になって、姫に会いに行きます。
……あなたとあの綺麗な海を泳ぎたい。美しい珊瑚の入り江を一緒に見たいのです!」
「……ねぇ、ミズチ殿。わたしはあなたの兄上にフラれたばかりなの。さっきの手のひら返しも、鱗しか見てない態度にも、とても傷ついたわ」
「…………はい。言い訳もできません」
「だから、傷心が癒えるまで、しばらく縁談は断ろうと思っているわ。────そうね、三年はかかると思うの」
それはミズチの成人を待つということ。
言外の意味を察して、ミズチの顔が明るく輝いた。
この素直な反応が、姫は嫌いではない。
「龍の婚姻の儀に則って、今度はぼくが手紙を書きます! 一年と言わず三年後まで、毎日ずっと!」
「毎日は大変だからたまにでいいわよ。わたしも返事を書くわ。……これは約束の証」
姫はミズチを立たせると、珊瑚の簪を引き抜いて手渡した。
ミズチは珊瑚を受け取りながら、もう片方の手で解けた姫の髪をすくい、愛おしげに口付ける。
「約束します。変わらない想いをあなたに捧げると。姫さま──いえ、ナミ姫。愛しています。待っていてください」
姫は無言でうなずいてから、真っ赤になった顔を隠すため、本性を解き放つ。
再び海蛇姿になった姫は、階段を下るのももどかしく、そのまま海面めがけて飛びこんだ。
「さようなら、ミズチ殿。……あなたが会いに来るのを楽しみにしているわ」
響き渡る着水音で返事は聞こえない。
だが、ミズチなら約束を守ってくれると信じられたから、別に構わなかった。
キーワードタグ:当て馬=地龍。