無関心な皇帝
「ナミ姫。私は貴女と結婚する気が起きない。悪いがこの話はなかったことにしてくれ」
思わず、母から譲り受けた螺鈿細工の扇子を握りしめる。
初めての顔合わせで、露骨に“期待はずれ”だという顔をされた時から、半ばこうなるだろうと予想はしていたが……怒りや悲しみよりも、圧倒的な虚しさが姫を苛んだ。
ナミ姫は龍神を父に、海蛇を母に持つ由緒正しき竜宮の姫である。
海底の宝玉、真珠姫、美の化身だと褒めそやされて育ったものの、自分の顔形は凡庸だと知っていた。
噂などに惑わされず、『わたし』を見て欲しい……。
それが、姫が結婚相手に唯一望んだことだった。
年頃になり、お披露目をすませた姫には降るように縁談が舞いこんできたが、膨大な手紙の中のたった一通、地龍の文に心を惹かれる。
流麗な文字、内容から伝わる誠実そうな人柄。
この方となら上手くやっていけるかもしれないと期待して、姫は申し出を受け入れた。
…………龍族は絶望的に政略結婚に向いてない種族だと、父を見てきた姫は知っている。
極端な性質を持つ龍は、興味を持ったものにはとことん執着するが、関心のないものには見向きもしない。
婚約に至るまでのやり取りは儀礼的なものではなく、龍の心を掴むための女性側の準備期間なのだ。
地龍の関心を引くための、姫の努力の始まりである。
手紙は推敲を重ね、くどくならない適度な量、回数を心がけた。
地龍に興味を持ってもらえるように、でも押し付けがましくならないよう、生まれて初めて知恵熱が出るまで頭を使った。
文通が楽しくなければ、とっくに投げ出していたかもしれない。
「まあ、素敵。花の栞が挟んであるわ」
地龍はさり気なく、ささやかでも珍しい贈り物をくれて、地龍自身や地上への憧れは募っていく。
姫は自分磨きを怠たったことはないが、縁談の話が来た時から一層力を入れるようになった。
平凡な容姿だからこそ美しい姿勢・所作を常に心がける。
美容も教養も貪欲に追求していたら、一年なんてあっという間だ。
地龍と初めての顔合わせ。
第一印象を大切にしたいという地龍の意向で、お互い絵姿を送っていなかったから、姫にとっての正念場だ。
姫は磨き抜いた玉の肌に、濃くなりすぎない丹念な化粧を施し、薄い瞳の色が際立つよう、大人びて見えるように目元には紅をはく。
丁寧に梳った髪に映える、色鮮やかな血赤珊瑚や粒よりの真珠を選び抜き、美青年と評判の地龍と並んでも見劣りしないよう、少しでも綺麗に魅せるために努力した。
……結局、顔合わせは失敗し、失望されてしまったが。
文通している時から、会って話したいことがたくさんあったのに、何を言っても返ってくるのは生返事ばかり。
姫の言葉は虚しく、地龍には届かなかった……。
二回目の顔合わせ。
文通で地龍と親しくなれたと思っていた姫は、挽回しようと必死だった。
しかし。
「地龍様、香しい花ですね、これが“梅”というものですか?」
「なんだ、そんなことも知らないんだな」
黄金の髪の麗しい女性たちがクスクスと嗤う。
地龍はそんな彼女たちを諫めることなく素知らぬ顔で、関わりを拒絶されたのだと否が応でも突きつけられた……。
地龍の弟君が話しかけてくれなかったら、龍棚の家臣勢が気を使ってくれなかったら、姫の心はとっくに折れていただろう。
三回目。
姫の方から穏やかに破談に持ちこもう思っていたのに、到着早々、最後通告を下されて。
────みじめだったし、悲しかった。
それでも無関心な地龍はともかく、弟君や他の人達は優しくしてくれたから、国交問題にならないために笑顔で同意して、何でもないんだとアピールする。
……あとでお付きにも釘を刺さないと……。
姫を溺愛する龍神が報復に走りかねないから、傷ついた姿を見せてはいけない。
姫の水面下の努力も知らず、淡々と地龍は続ける。
「まだ婚約にも至ってないのだから、そちらの経歴は綺麗なままだ。ただ、こちらから求婚したのに撤回するのだから、相応の賠償には応じよう」
「いいえ、結構です。短い付き合いでしたが、貴方の世界にわたしはいない……入る余地もないと分かっていましたわ。撤回は謹んでお受けしましょう」
せめて見苦しくならないよう、最後は綺麗に終わろう。
それが姫のなけなしの矜持だ。
「円満に解決してよかった。広間に宴の準備はしているから、最後くらいゆっくりして行くといい」
「…………いえ。親しくして下さった皆様にご挨拶がすみ次第、お暇させていただきます」
フラれたばかりで宴を開かれても気まずいだけだ。
どうせなら宴が終わってから通告してくれば良かったのに……。
地龍の無神経さに、姫に一切興味がないのだとあらためて突きつけられる。
────こんな人、縁がなくて正解だわ。
姫は内心を押し隠し、笑顔で地龍に別れを告げると、お付きのタイとヒラメの魚人を引き連れて出て行った。