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第一章 呪いのツム子さん〈5〉

挿絵(By みてみん)


     7



 つむぎのようすがおかしくなってきたのは、昨年の秋頃だった。


 はじめのうちは、ハンカチ大の小さな布にお花とか小鳥とか可愛らしいものを刺繍(ししゅう)していたのだが、突如として大作に挑みだした。


 使い古した自分のシーツをカンヴァスに刺繍(ししゅう)しはじめたのだ。直接シーツに刺繍(ししゅう)枠をはめて刺繍(ししゅう)することもあれば、小さな布に刺繍(ししゅう)したものをシーツに縫いつけたりもしていたらしい。


 ……らしい、と伝聞推定のかたちでしか語ることができないのは、だれもその全貌を見たことがないからだ。


 ぼくもつむぎが小さな布に杉の木を刺繍(ししゅう)しているのを見たことはあるが、つむぎのかたわらに丸められた制作途中のシーツをひろげて見せてもらえることはなかった。


 つむぎのお母さんですら見せてもらえなかったと云う。


 ただ、丸められたシーツや、つむぎのお母さんがたまさかかいま見た制作途中のようすからかんがみるに、つむぎが刺繍(ししゅう)していたのは風景画のようなものであったらしい。


 つむぎが大きなシーツにどんな世界を刺繍(ししゅう)で描きだそうとしていたのかさだかではないが、(はた)から見ていても、のめりこみ方がふつうではなかった。


 目の下にうっすらとクマができ、日に日にその存在が透明感を増していくのに、眼の光ばかりがギラギラと強く、異様なかがやきを発していた。


 あたかも命を削るかのごとく刺繍(ししゅう)へ没入するつむぎを心配したぼくは、


「なあ、つむぎ。熱中できることがあるのはいいけど、ちょっとムリしすぎじゃないか?」


 と、(さと)したのだが、


「大丈夫だよ、トシくん。心配しないで。つむぎはすっごく充実してるんだよ。……これはつむぎじゃなければできないことなんだから」


 そう云って笑みを見せた。


 狂気にも近い感覚で暴走しているのではないかと心配したが、つむぎの笑顔や言葉には狂気も迷いも感じられなかった。


 それは、生前1枚しか絵の売れなかったと云うゴッホが、弟のすねをかじりながらバイトもせずひたすら絵画に没頭していたような。


 あるいは、祭りの露店で自作の詩集をたたき売りしてもまったく売れなかったと云う宮沢賢治のような。


 それはまた、現状においてだれにも野球選手として嘱望(しょくぼう)されていないぼくが、自分の未来を信じて木製バットで毎晩素振りを欠かさない感じに近いのではないか、と。


 なにがそこまでつむぎをつき動かしていたのかはわからなかったが、つむぎは冷静かつ確信的に刺繍(ししゅう)へ没入していた。


 刺繍(ししゅう)に熱中するつむぎは、原因不明の病気にも人生にも悲嘆したり絶望したりすることはなかった。だれかを(ねた)んだりうらやんだりする言葉も聞いたことはない。


 織機(おりはた)つむぎと云う女の子は、ふしぎなくらい自分の境遇をありのままに受け入れて、ありのままに生きたのだと思う。


 そして、今年の5月3日の朝。


 つむぎのお母さんが、いつものようにつむぎの部屋をのぞくと、つむぎはいまわの際をだれに看とられるでもなく、眠ったまましずかに息をひきとっていた。



     8



 つむぎのお通夜は閑散(かんさん)としたものだった。


 一応、仮にも在籍していた中学のクラスや小6の時のクラスメイトにつむぎが亡くなったことは学校を通してメールなどで連絡された。


 しかし、ゴールデンウィークの中日(なかび)と云うこともあって、多くの同級生が部活や塾の合宿だったり旅行だったりで地元を留守にしていた(中にはゴールデンウィークになんの予定もないのがバレたくなくて、つむぎのお通夜へこなかったヤツもいるらしい)。


 ぼくがつむぎの死を知ったのも、野球部の練習から帰ってきた午后のことだった。


 シンガポールへ単身赴任しているつむぎのお父さんもおっとり刀で日本へ駆けつけているところだった。ぼくの両親がなかばパニクっていたつむぎのお母さんをフォローして、葬儀の手配に奔走(ほんそう)した。


 ぼくにとっても、つむぎの死は想定外で唐突すぎた。


 ぼくは前日の夕方、いつものようにつむぎのところへ顔をだし、いつものようにとりとめのない会話をして別れたのだから。


 ぼくがつむぎの亡骸(なきがら)と対面したのは、安達由佳のお通夜と同じ、美雲パークタウン2号棟の集会場だった。


 お棺の小窓からのぞくつむぎの白い顔はいつもの寝顔そのままだったが、鼻の穴につめられた小さな綿が不自然で心なしか痛々しかった。


 つむぎの亡骸(なきがら)と対面することはそれなりにショックだったはずなのだが、どう云うわけか、ぼくにはつむぎの死を実感することができなかった。


 胸の奥底にぽっかりと大きな穴が開いていて、その穴はぼくの感情まで呑みこんでいた。とても哀しいはずなのに涙ひとつでないなんて、われながらどうかしている、と思った。


 夢の中にいるような気分……と云うより、興味のない映画のワンシーンをエキストラとして体験しているような気分だった。


 現実でない現実を自分の知らないシナリオにあわせて、その他大勢のひとりとして淡々とふるまっている。そんな気がした。


 つむぎのお父さんが帰ってきたのは、夜もふけたお通夜の最中だった。


 集会場へあらわれたつむぎのお父さんの姿に、それまで能面のように無表情だったつむぎのお母さんがすがりついて人目もはばからずにはげしく泣いた。


 つむぎのお母さんをだきしめながらその場へへたりこんだつむぎのお父さんも、無念さに唇をかんだ。あんなに哀しそうな大人の背中を見たことはない。


「寿幸。あんたはもう帰って、先に寝てなさい」


 そう母にうながされてお通夜の会場をあとにしたが、パジャマに着替えてベッドへ横たわっても、やっぱりつむぎの死を実感することはむずかしかった。

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