第四章 邪神退治〈19〉
「ここが現世じゃないって気づいちゃったんだよ。刺繍地図の結界を破壊して現世へ移るつもりなんだよ」
邪神クンネセレマクの目的は守人神と闘い、殲滅することではない。地上の人々を殺し、あるいは殺しあわせ、たくさんの魂を手に入れることだ。
守人神たちが邪神クンネセレマクの脅威でなくなったいま、邪神クンネセレマクの第1目標は現世へもどることだった。
邪神クンネセレマクがのどを鳴らしつづけるにしたがって、天空の赤い亀裂は大きくふかくひろがっていく。
「うぬう、もはやなすすべはないのか!?」
宗重さんが天をあおいでうめいた。イレンカさんが七支刀をかまえなおして叫んだ。
「トスプ・イレンカ・エピル・クムイフム!」
七つの切先が放電して邪神クンネセレマクへ青白い雷撃がたたきこまれた。さきほどよりも威力が弱く、まったくダメージをあたえていない。
邪神クンネセレマクは守人神の存在なぞすっかり忘れたかのように、無心でのどを鳴らしつづけた。
刺繍地図の空がちいさな破片となってパラパラとこぼれ落ちてきた。その隙間から見おぼえのある風景がかいま見えた。
それは現世の麻蒜間市だった。アスファルトで舗装された道路、林立する電信柱、密集する住宅地。刺繍地図の空と麻蒜間市の空が上下さかさまにつながっていた。
「イレンカどの! このままでは……!」
切迫した宗重さんの声をイレンカさんは視線だけで制した。ぼくとも目があったイレンカさんがちいさくうなづいた。なにか策があるらしい。つむぎがしずかにぼくたちの前へ移動する。
刺繍地図の青空に赤くふちどられた大きな穴がひらいた。邪神クンネセレマクが2枚の細長い皮翼をゆっくりと羽ばたかせ、現世の麻蒜間市へとむかっていく。
「グフルルルルル……」
邪神クンネセレマクが勝者の笑みをもらしながら、麻蒜間市の空へ頭をつっこんだ刹那、つむぎが大きな声で叫んだ。
「かかった! トスプ・ラムハウケ・セラレ・アフンルパル!」
麻蒜間市の空が暗転すると、邪神クンネセレマクの巨躯が大きな穴へゴッ! と吸いこまれた。
一瞬、完全に吸いこまれかけた邪神クンネセレマクが身をひるがえし、なんとか身体半分を刺繍地図へとひきもどしたが、邪神クンネセレマクの長い胴体がじわじわとふかい闇へひきずりこまれていく。
「ギハアアアアア!」
必死でもがきつづける邪神クンネセレマクのすがたに宗重さんが瞠目した。
「つむぎどの、これは一体っ!?」
「さっき見えていた現世の麻蒜間市もつむぎのつくった刺繍地図。これまたダミー空間だったんだよ! そして、現世の麻蒜間市の刺繍地図に連動させておいたのが……」
「〈NGC1277〉。地球から2億2千万光年はなれた小銀河ぞよ。大きさは天の川銀河のたった1/10じゃが〈NGC1277〉の中心にあってその小銀河の1/7を占めるのがなんと……」
「超巨大ブラックホールなんだよ」
守人神姉妹が見事な連携で解説した。
〈NGC1277〉。その質量は太陽の170億倍。ブラックホールの入り口の大きさは海王星の太陽周回軌道の11倍以上。ようするに、太陽系を11個ならべても楽々一気呑みしてしまうほど超巨大なブラックホールなのだ。
光すらとらえて逃がさぬほどのすさまじい重力をもつ〈事象の地平面〉の闇が邪神クンネセレマクの巨躯を徐々に蝕んでいく。
邪神であろうが霊体であろうが現世に干渉できるものであれば、ブラックホールはなんでも呑みこんでしまう。そして、ブラックホールの〈特異点〉にいたれば、未来永劫、脱出は不可能だ。
ぼくが瑞巌寺の僧坊でつむぎから(左足で)霊魄の供給をうけていたとき、つむぎのしていた縫いものの正体はこれだったのだ。
「はあ……。このようなかくし玉があるなら、どうしてさいしょから教えておいてくれんかったのじゃ? 儂はすっかり肝を冷やしたぞ」
「イレンカちゃんが内緒ぞよ、って云ったから」
つむぎの舌足らずな説明にイレンカさんが補足した。
「すまぬの、宗重どの。わぬしをうたがっていたわけではないが、邪神クンネセレマク復活の手びきをした者がいるとすれば、守人神である可能性も否定できんかったのでな」
「なるほど。謀は密なるをよしとす、か」
宗重さんがあっさり得心した。
「この刺繍地図で邪神クンネセレマクを退治できればそれに越したことはないと思っていたでな。あくまでさいごの手段だったぞよ。つむぎちゃん、お手柄だったぞよ」




