第二章 死者からの(ムチャな)伝言〈7〉
階段室最上階への侵入をさえぎる鉄格子戸の前に立った時、ぼくの腕時計は午前1時52分を示していた。時間としては悪くない。
鉄格子戸のドアノブへ手をかけてまわしてみたが、カギはかかったままだった。
(ちょっと、つむぎ! ウソだろ!?)
心の中でつむぎへ問いかけてみたが、カギの開く気配はなかった。強引にドアノブをゆすってみたが、押してもひいてもガチャガチャと耳ざわりな音がうす冥い階段室へこだまするばかりだ。
今の物音に気づいてだれかがようすを見にこないともかぎらない。ぼくはあわてて外向きの階段へ向かって駆けだした。
外向きの階段は当然のことながら雨ざらしでびしょびしょだった。
日中の下見時には失念していたが、屋上へといたる鉄格子戸のまわりには灯りがついていなかった。冥い上に雨で視界が悪い。
しかもペンキで塗装された鉄格子は雨とあいまって、なおさらすべりやすくなっていた。2m以上の高さがある鉄の格子戸をよじのぼるのは至難のわざだ。
腕時計のライトで時刻を確認すると午前1時55分。この状況では、おそらくもう一刻の猶予もあるまい。
ぼくは刺繍地図の入った布製のバットケースを格子の間から屋上へとつづく階段奥へ投げ入れると、格子戸へ手をかけた。案の定つるつるすべってのぼれない。
ぼくは格子戸をにぎりしめたまま、ぼくの胸くらいの高さで階段のぐるりをかこう壁に足をかけて上がった。階段に沿う形状で傾斜のある壁のへりを歩けば、格子戸の向こうへ降り立つことができる。
ほんの少しの勇気と平常心があれば難しいことではない。
とは云え、暴風雨の夜にすべりやすい鉄の格子戸と、これまた塗装ですべりやすくなっている壁のへりを歩くとなれば話は別だ。
慎重に歩をすすめたつもりだったが、レインスーツが強風にあおられて動揺したぼくは足をすべらせた。
「ぐっ……!」
文字通り、死にもの狂いで格子戸の端をにぎりしめたまますべり落ちたぼくの両ひじが壁のへりにぶつかって身体を支えた。
ぼくの身体は階段の外がわへ投げだされていた。いわゆる宙ぶらりんである。手をはなせば確実に転落死する。今にも手がすべり落ちそうだ。
しかし、格子戸をにぎっていたひじが壁のへりにひっかかっていたことが幸いした。
ひじを支点に火事場の馬鹿力もとい、雨場の馬鹿力でなんとか身体をひき上げると、ぶざまに足をひっかけて、ふたたび傾斜のある壁のへりに立つことができた。心臓バクバクものである。
そのまま身体を投げだすように格子戸の向こう、屋上がわの階段へと着地し、布製のバットケースをひっつかんで階段を駆け上がった。
ぼくはつむぎに云われたとおり、美雲パークタウン8号棟の屋上へでた。バットケースから刺繍地図をひきだすと、雨のそぼ降る漆黒の頭上にそれをかかげた。
闇夜にも刺繍されている面がこちらを向いていることに気づいたので、あわててそれを裏がえす。
「間にあったか!?」
腕時計のライトで時刻を確認しようと刺繍地図から右手をはなした刹那、しっかりにぎりしめていたはずの左手から刺繍地図がするりとぬけ落ち、強風にあおられて虚空へと高く舞い上がった。
「……!?」
ぼくの手をすりぬけた刺繍地図はプラスチックの下敷きみたいにピンとはった状態でくるくる回転しながら、美雲パークタウン中央へ位置する立体駐車場上空をめがけて飛んでいった。
どしゃ降る雨のせいではじめはよく見えなかったが、茫漠とした刺繍地図の白い影が立体駐車場のま上に位置すると、一瞬で巨大化した。
美雲パークタウン上空をおおいつくして雨をさえぎる刺繍地図が透明なスクリーンへと変化した。雨雲を透かして満天にかがやく星空をうかびあがらせる。
これまで麻蒜間市では見たこともないようなまばゆい星々の数に圧倒された。そんな中、ひときわ煌々(こうこう)とかがやく満月が美雲パークタウン全体を照らしだす。
「なんだよ、これ……?」
あまりにも想定外の光景にぼう然と魅入っていると、ぼくのはるか頭上に赤く小さな光が灯り、美雲パークタウン上空へ上下さかさまの五芒星を描きだした。




