白い岩壁と巨大銀狼 旅の中盤
ふたたび歩き出した僕は、太いとも細いとも言えない山道を歩いている。
まっすぐに伸びているこの坂道を歩いていると、日が落ちてきたのか、当たりが薄暗くなってきていた。
道はいつからか上り坂から平坦へと変わっていた。
しばらく歩いていると、道のふちに座り込んでいる人物と出会った。
ボロ布のような麻布を頭から被り、髭を生やしてあぐらをかいて座り込んでいる。
こうしてみると、苦行者のような印象を受けた。
そのまま通り過ぎようかとも思ったが、どうにもその人物が気になり、彼の前で立ち止まってしまった。
なんと話しかければいいのだろうか?
「む、おぬし・・・見たところ、何かに憑かれているようにみえるぞ。」
「・・・!?」
僕は突然話しかけられた挙句、そのようなことを言われた事に仰天した。
「え・・・あ、あの・・・?」
急な事なのでうまく言葉が出てこない。
こういった場合、どうしたらいいのだろうか。
「どれ、手を見せてみなさい。まじないをかけてあげよう。」
僕はこの人物を怪しみながらも、しぶしぶ自分の右手を差し出した。
しかし、占ってもらうのがこの場合正当なのに、まじないだって?
そのままにしていると、この人は僕の指の爪をいつの間にか切り取っていた。
そして、手荷物のような袋から何やらごそごそと出してきた。
「この爪をこれに練りこむ。形は・・・腕の形でいいか。」
怪しい何かの儀式のようなことをしながら、この人はブツブツと呟きながら粘土の様なものに僕の爪を練りこんだ。
そして、右腕の形にその粘土を形作っていった。
「あの・・・僕はどうしたら?」
言われるがまましていたが、この人物は何をしているんだろう。
そしたらこの人は、次のように言った。
「これでよし、さあ君は旅の続きをしていればいいよ。
これから起きる事は少々キツいかもしれないが、心配することはない。
君が思っているよりも、周りの人たちは君を心配し、助けようとしているものさ。」
何故かこの時、亡き祖父の事を思い出していた。
僕は祖父が亡くなった時には5才ぐらいだったが、ある場面での祖父の顔が今でも目蓋の裏に焼き付いているように思い出せる時があるのだ。
「あ、ありがとう・・・ございます。」
僕は一応礼を言い、振り向きながら手を振り、道を歩き出した。
歩きながら、自分のオドオドした喋り方に情けないな、と反省をしていた。
どうにも初めて喋る人には言葉が出てこないことがある。
これが自分に自信のない根拠だったりしていて、内気な部分であるようにも思えた。
いつしか山道は岩場が多くなってきていた。
石灰岩のように真っ白な岩だった。
そのうち歩いている地面も岩になっていき、岩と岩の段差が徐々に大きくなってきていた。
周りはこれまであった木々が無くなってきていて、星空と月光によって明るく見える白い岩場、岩道の下に広がる森の全貌が見えていた。
そのまま歩いていると、山だと思っていたものが広大な森林となっていることに気が付いた僕は、まるで異世界にでも来たような感覚を覚えた。
夜の冷たくも気持ちいい風が肌を撫でていく。
足元が岩となってしまった道とは言えない道を、歩くというよりも飛び移りながら僕は先を進んだ。
岩肌が白い分、この夜道に足を踏み外す心配は無かった。
かといっても完全に安全という訳でもなかったが。
岩の溝が少しずつ広くなっていき、溝はいつしか渓谷となり、その下には落ち葉が敷き詰められた地面になっているのを見た。
そのまま歩いていると、目下の地面に大きな獣の手が見えた。
イヌ科の大きな前足の部分のように思えたが、毛色は月光に反射してか銀のように輝いていた。
僕はその前足の大きさにぎょっとし、もしこの谷に落ちてしまったらと思ってしまった。
その瞬間、足を踏み外してしまっていた。
「うわあああ・・・!!」
落ちていく感覚と、落ちていく先の恐怖が相まって、思わず叫んでいた。
ドサッっと、柔らかい落ち葉の絨毯に落ちたが、さっきの叫び声と落ちた音とに反応してか、獣の手がビクンッと動いた。
僕は冷や汗を掻きながら、その腕の方に視線を向けた。
そこには、身体を横に倒して気持ちよく寝ていた鼻面の長い獣が、目を覚ましたのか、こちらを見ていた。
その頭を見ていると、図鑑で見たことがあるオオカミの絵を思い出していた。
そして不機嫌そうに唸った口の端に鋭い牙が見えた瞬間、自分がどういう状態に陥ったか直感した。
もう最後だ。
逃げるにしても周りは岩の絶壁で、縦長に伸びた一本道を走ったとしても、この大きさのオオカミに到底逃げられるとは思えなかった。
大オオカミはゆっくりと身体を起こし、仰向けに倒れて四肢もおぼつかない恐怖の色を見せている僕に一歩、近づいてきた。
大きな前足の片方を、僕の胸の上に踏みつけ、鼻を僕の頭に近づけてきた。
「うぐっ・・・!く、苦しい・・・!!!」
匂いでも嗅ごうとしているのか、湿った鼻と、鼻息を僕の顔に浴びせかける。
「久しぶりの獲物だ。
おまえはどんな味がするんだろうな・・・?」
オオカミが喋った!!?
僕は恐怖とともに、この獰猛そうな生き物が喋ったことに驚きながら、息ができず声も出ない中で、臭い鼻面を遠ざけるように右腕を突き出した。
ガブッ。
突き出した右腕は、牙が突き刺さるように噛みつかれていた・・・。
「そろそろか・・・。」
道の端に座っていた麻布の人物は、おもむろにフォークを取り出した。
そして、先ほど出会った若者の爪を練りこんだ腕の形の粘土に、思いっきり突き刺した―――。
腕が噛みつかれた瞬間、悶絶するような痛みが走った―――気がした。
しかし実際は、噛み付かれたにも関わらず、血は噴出さずに腕がひどく赤黒く腫上がっていた。
噛み付いた方も、何が起きているのか分からず、より強く顎に力を入れていた。
「ふむ・・・なかなか噛み応えがあるじゃないか。」
大オオカミは噛み千切ろうと一歩下がり、頭を振ったが、腫上がった腕は膨張し続け、引き千切れようとしていた腕は腫上がった根元からズルッと抜けていった。
抜けた腕を確認するように目を向けたら、膿んだような匂いの中、ベトベトしたものが普段の腕に纏わり付いていた。
「え・・・戻った・・・?」
素っ頓狂な声を出しながら、噛み千切られた方の肉塊を見ると、ますます膨れ上がったそれは、大オオカミの顎を外さんかという程に、水風船のように膨張していた。
「う・・・うぐ・・・!!?」
逆に大オオカミの方が苦しそうな声を漏らしている。
大オオカミは仰け反りながら、いつしか肉塊と闘っているようにも見えた。
肉塊は、大オオカミの口の内側から徐々に液体化し、ドロドロとしたものが大オオカミの喉へ流れていった。
完全に飲み込んだ大オオカミは、気持ちが悪いのか、嗚咽しながらよろよろと歩いていった。
僕は、この後大オオカミがどうなるのか気になり、跡を付いていった。
大オオカミは岩に開いた大きな洞窟に入っていった。
ねぐらにでもしていそうな雰囲気があった。
ぴちゃん、ぴちゃんと滴り落ちてくる滴の音が聞こえる中、うめき声に似たような嗚咽だけが響いていた。
しばらく大オオカミの跡を付いて行ったが、出口らしい光が漏れているのを、大オオカミを先頭にして見た。
出口に近づいてきたと思った瞬間、大オオカミは啖呵を切るように火を噴いた。
火というより、その勢いから炎といってもいいかもしれない。
そのまま炎は大オオカミの頭が燃え上がり、やっと大オオカミから吐き出されたものは、洞窟の出口に置かれていた銀色の杯に零れていった。
大オオカミの身体は頭から首、胴体へと炎に包みこまれ、骨も残らず燃え尽きてしまった。
何故かその熱風を感じることも無かった僕は、出口へと足を進めた。
そこには、断崖絶壁の真っただ中、正面に大きな滝が見え、左右も絶壁となった場所に出た。
夜の滝の轟音の中、滝によって生まれた風が僕の背後へと流れていった。