三頁目 カンナギさんと茶柱
忙しい人のための前回
・ノエルに叔母がいた
・叔母さんが狂信者
・↑の友達選ぶセンスが壊滅的
人の往来がそれなりに活発な通り。スチュアートとハロルドについて行きながら、ノエルは道行く人の様子を眺める。数日をかけて移動してきたこの街には、組織のリーダーがいるのだと、二人はリーダーに直接報告しに来たのだと教えてもらった。
「……あれ?」
不意に追いかけていたはずの二人を見失った。この数日ですっかり覚えたシルエットを探してきょろきょろしていると、往来の活発な表通りからは影が強くなっている通り……いわゆる裏通りの奥へ向かう二人を見つける。二人はノエルがはぐれてしまっていることに気が付いていないようだ。瞬間、ざっとノエルに寒気が走った。寒い。外にいて、これだけたくさんの人が通っていて、ひとりで居た地下室よりもずっとずっと多くの人の中にいるのに、地下室と同様の寒さを味わった。
駄目。置いて行かれる。
焦ったノエルは今度こそ見失わないように二人を追いかけた。
「っ、スチュアート」
それほど距離は離されておらず、すぐに追いつく。
「どうかしたか」
もう合流できている。だというのに、まだノエルはあのまま自分だけが知らないところにおいて行かれてしまうような気がして、強い不安を感じてしまった。けれどそれを打ち消す術を、ノエルは知らない。
「……寒いのは、嫌」
「ノエルは寒がりだな」
「うん。だから、ひとりは、嫌」
「一人? ああ、地下室か。もうあそこに行くことはないぞ」
「地下室じゃなくても……ひとりは、寒い。から、居て」
「えっと、悪い。ノエルがなに言いたいのかちょっとわかんね」
困惑したスチュアートがああ、と思い立ってノエルの手を握る。ハロルドがノエルにストールをまく。
「あー、ホントだ。ノエル手が冷たい」
「アート坊が子ども体温なんだろ。オレはストール貸すよ。オシャレ用だから防寒とかほぼないけど、ないよりはマシだと思う」
スチュアートの手がノエルの成長途中の小さな手をきゅう、と握りなおす。暖かい体温がじんわりと広がり、ぽかぽかしてくる。ハロルドの声はストールとともに寒さを遮断してくれる。優しくかけられる声は言葉は、体の中に沁み込んで内側からゆっくりと温かくなって、寒さはすっかり感じなくなった。
「待て、子どもより体温高くなったらそれもう子ども体温越えてるだろ」
「アッごめん。幼児体温?」
「しばくぞ」
ノエルの謎行動に疑問を抱きつつ、理由はわかっていないにしてもこのときの二人の行動は正解だったと言えよう。ノエルの希望を叶えたという点において。ノエルが感じていた不安を、見事に打ち払っているのだから。
もうひとりにならにように。ノエルはぎゅっとスチュアートとハロルドの手を握った。
「お、お?」
「うわー」
「なんだこれ仲良しかよ。すげ、恥ずい」
「ははは、アート坊照れてら」
「後ろから見たら、段差、すごいと思う」
「身長の?」
「背の」
ケタケタと面白がってハロルドが笑う。気恥ずかしさが勝つのか、スチュアートはやや頬が赤い。体中がぽかぽかして心がふわふわして、ノエルは知らないうちに笑っていた。
「おお、笑った笑った。やっぱ女の子は笑ってるのがカワイイよな」
「泣き顔のがそそるって言ってたのは?」
「あれはシチュエーションが限定的すぎてだな……何を言わせるんだ。幼女の前でいかがわしい話禁止」
「勝手に自白しただけだろ」
「アート坊のくせに」
「自白……今のが、ハロルドの秘密……」
意気揚々と薄暗い路地を進む一行に近づく影が一つ。スーツに身を包んだ身なりからは怪しさを感じさせることはないが、清潔感のある服装は薄汚れた路地裏には不釣り合いだ。
「珍しいの連れてるね。ペット?」
声をかけたスーツ姿。男女の判別は……ノエルが見た感じではよくわからない。長く黒々とした髪を長く伸ばして高い位置で縛っている。肌は黄色っぽくていつか本で読んだ東洋人らしい。顔立ちも猿のそれに近くて眼は糸のように細い。その姿を認めたスチュアートとハロルドは、しかし驚くようすもなく、ああまたかと慣れている様子すら見せていた。
「ども。依頼の報告ついでにアクシデントの相談です」
「それでわざわざ『実物』を? いやあ、ご苦労サマ。ちゃちゃーっと上がっておいでよ。丁度コーヒー切らしててお茶しかないけど、ゆっくりしていきなさい」
スーツの人が指したビルは店舗になっているようだが風景と同化していて、営業しているのかどうか、外観からは区別できない。路地裏自体がどこか寂れた空気でいるからだろうか。
地上階では何かを売っているのか、店内を覗けるガラスが通りに面してはめ込まれている。しかし中は暗く、一体何の店かはわからない。店の入口のすぐ隣に階段がある。年季の入った階段には申し訳程度に手すりが設置されているが、頼りにするにはちょっと心もとない。案内されるままについていくノエルと違い、スチュアートとハロルドは慣れたものでさっさとのぼっていく。二階に到着すると応接室に促される。
二階は事務所になっているようで、扉を開けてすぐが応接室になっている。テーブルの左右に二人掛けのソファがそれぞれ設置されており、奥にはちょっとした執務机……某名探偵の探偵事務所をちょっと贅沢にしたイメージだ。思い思いにソファに腰掛ける。やわらかな素材でできているらしいソファが体重を受け止める。
「一応これまでの経緯というか、まとめたので……」
「ありがとう。これは後で読ませてもらうよ」
ハロルドが報告書を取り出してスーツの人に渡すと、それを執務机のトレーに入れた。奥の扉の向こうへと消えたかと思うと、すぐに戻ってきた。
「お湯を沸かしてるからもうちょっと待ってね」
奥の扉の向こうは給湯室のようだ。にこやかに笑うスーツの人は物腰柔らかく、表情こそ穏やかなものだが……楽しい、嬉しいという原理で笑っているわけではなさそうだ。事務的でどこか表面的。そんな印象をノエルは抱いた。
「今日はカンナギさんしかいないんですか」
スーツの人はカンナギという名前らしい。地下室に揃えられていたこの国の名付け辞典には載っていなかったが、珍しい名前だ。他の国の出身なのだろうか。
「あ、そうだな。下の店も休みっぽかったし」
「ふふー。実は抗争があったからちょっと動員してみたんだけどタイミング悪く戦闘員が残ってなくてね。非戦闘員で頑張ってみたんだけど、みんな疲れちゃって……今日は全面的に休みにしたんだ」
抗争とはまた、穏やかではない。閑散としているのは、建物の寂れ具合だけでなく、人の気配が自分たち以外になかったからだったからか。
「抗争? 俺たちはそんな話、聞いてませんが」
「支店のひとつが襲撃に遭ってね。そこから発展して……二時間くらいで終わったから連絡がいかなかったんだろう。大した損害もなかったしね。それこそ戦闘に参加した非戦闘員組が筋肉痛になったくらいで」
ピーッ!!
突如高い音が奥の扉の向こうから聞こえてきた。お湯が沸いたことを知らせる音だが、ノエルはそれが何の音か分からず、大きな音にびくりと肩が跳ねた。
「あっお湯が沸いたね。そうだ、この間ちょっといいやつ貰ったんだった」
再び席を立つ。数分後、湯気ののぼるマグカップとともに、薄く丸い菓子を運んできた。
「緑茶と煎餅。ふふ、久しぶりに故郷の味が恋しくなってね。取り寄せてみたんだ。どうぞ」
「へえ、これがおせんべい……」
「いただきます」
ひと時のブレイクタイム。そのままでは熱い緑茶に息を吹きかけて冷ます。
「それで、マレット夫妻の依頼だけど。もうニュースは全国に知れ渡ってるよ。『アクシデント』のその子、出生届は出てないみたいで……どこからか夫妻が拉致してきたっていう説が今のところ濃厚らしい。そりゃあそうだろうね。社会的にも安定しているマレット夫妻がわざわざ実子を世間から隠して育てる意味がない」
「それなんですけど、元々強盗にみせかける予定が『アクシデント』のこともあって……細工をせずに殺しだけしてきたんですけど、依頼的には」
「ああ、依頼人は大喜びだったよ。あの状態では警察は彼のところまでたどり着くことができないだろうし、世間の目は夫婦が死んだことより監禁ネタに食いついているようだしね。捜査が打ち切られるのも時間の問題だ。捜査の目を欺くつもりで強盗に見せかけるって話だったから、手段は違えどこれでも上手くいきそう。今回はあれでいいだろう、予想外の事態にもちゃんと対応できて偉いよ」
緊張気味の面持ちだったスチュアートがほっと胸をなでおろす。ノエルには話の内容がよくわからないが、スチュアートとハロルドのお仕事がどうやら上手くいったらしいことは察した。『アクシデント』がノエルを指す言葉になっていることも。それでもまさか、自分の両親を殺す依頼があったこと、それを実行したのがここ数日生活を共にした優しい二人であろうとは思いもしなかった。
「問題は、この世にいないことになっているその……ええと」
投げかけられた視線が、名を名乗れと云っている。
「ノエル」
「ノエル。君の今後を考えないといけない」
今後。それを考えたところで、ノエルに具体的な案は思い浮かばない。究極的にこの世を知らぬノエルには、要望を述べるていどのことしかできない。
「ひとりは嫌」
「そうかい。なら、マレット夫妻のところに行ってもらうのが一番手っ取り早いけれど……」
「カンナギさん、俺……最近、目立つ仕事やりすぎてて潜伏場所と仕事内容をしばらく変えようと思ってるんです」
「おいスチュアート、オレはそんな話聞いてないぞ」
「ほう」
ぴくり。カンナギの片眉が動く。
「一人暮らしもなんですし……ペットじゃないですけど、ノエルを連れていくのもどうかなと」
「はあ!? 何考えてんだ。殺した奴の置き土産取っといてどうすんだよ」
「好きにしたらいいよ。殺そうが生かそうが、その子はこの世界のどこにもいないことになっているんだ。どっちだって変わらないよ。それに、君たちの仕事の成果だ。拾い物なんて、持ち主がいなければ拾った人のものだしね」
「ありがとうございます」
ぺこりとスチュアートが頭をおろす。この場で彼がそう言いださなければ、ノエルは間違いなく両親のいる天国へと速やかに何事もなく送り届けられたことだろう。マレット夫妻を両親と結び付けられないノエルがそういう発想に至ることはないが。
「あーあ……オレ知らないからな」
面倒事を自ら請け負うスチュアートを呆れた顔で見やるハロルド。ずず、と先程よりは温度が下がったお茶に少しだけ口をつける。熱かった緑茶はちょうどいい温度になって飲みやすい。大人同士の話し合いに、ノエルは不要らしいので、やや暇だ。おせんべいなるお菓子に手を伸ばす。薄くて丸くて固い。
パリッ。
パリッ。
黙々とせんべいを食べ、緑茶を啜るノエル。真剣に仕事の話をしている場にしては似つかわしくない咀嚼音がするが、食べてもよいと出されているものを食べているだけなのでノエルに非はないと言っておく。ノエルの食べっぷりに言及したのはカンナギだった。
「随分とまたおいしそうに食べてくれるね。美味しい?」
カンナギの言葉によって、場の発言権を認められたノエルはこの初めて口にした菓子についてどう表現するか逡巡した。
「不思議、な……食べたことない、味、する。でもこの」
パリッ。
ボリボリボリ、ごくん。
「この、歯応えと音、すき。たくさん、食べられる。おいしい」
「そう。気に入ってくれたようで嬉しいよ」
「りょくちゃ、おかわり、いい?」
「どうぞどうぞ」
急須で注がれた緑茶に茶葉に混じっている茎が浮かんだ。
「茶柱だ」
「ちゃばしら?」
「これがたつといいことがあるんだよ」
「いいこと……もう、あったのに、まだあるの?」
「どんないいことがあったんだい」
「地下室の扉は、開けちゃダメって、お父さんに言われてた。でも開けちゃった。約束破ったから、お父さん怒ってる。でもスチュアート、と、ハロルドが、たくさん、連れて行ってくれて……外」
「それがいいこと?」
「……うん」
「そうか。でもね、茶柱がたったということはこれからいいことがあるってことなんだよ。今までのいいことと同じくらいのこと、期待してていいんじゃないかな」
ね、とカンナギはスチュアートに向かってウインクをする。
「きたい……うん。期待する」
ふーっと息を吹きかけて、緑茶を飲みながらどんないいことがあるかな、とこれからを想像した。