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二頁目 妹君と友人

前回までは

・ハロルドと合流

・ドスケベ事案(未遂)

・服を買いに行こう


 監禁されていたノエルには知る由もないが、資産家として名をはせていたマレット夫妻の旦那の方、エリク・モリン・マレットには血の繋がった妹が存在する。干支一周分、年の離れた彼女の名はアントニーネ・ジュリー・マレット。彼女は幼いころより、自分よりも大人として常に先を歩く立派な兄を大変尊敬していた。にいさま、にいさまと自分の後をついてまわるアントニーネを、兄のエリクも大層可愛がっていた。兄との思い出はあたたかく、今のアントニーネを支える大切なものである。

 凄惨な事件があろうとも、兄がどんな姿に変わり果てようと、それだは変わらぬ真実であった。


「お兄様……」


 警察が立ち入り、現場検証だなんだとごちゃごちゃと余計なものを置かれていたのも数日のこと。実家で生活をしていたアントニーネがエリクの訃報を聞きつけ、仕事もそこそこにバスへ飛び乗って駆け付けたときにはKEEP OUTと強く注意を促す黄色と黒のテープが張り巡らされ、数名の警官が立っていただけだった。


  『資産家マレット氏、死亡』

    『地下室に子どもを監禁!?』

      『強盗か誘拐か愉快犯か?犯人の目的とは』


 好き勝手に取り沙汰すメディアに、兄がどんなに惨い扱いをされているかは道中のラジオでも新聞でも……それこそ、いくらでも知ることができた。アントニーネはこういったゴシップ的な出来事を喜ぶ連中を昔から毛嫌いしていた。やれ、どこのセレブが不倫しただの、やれどこの青年実業家が不審死を遂げただの。大切な人を喪ったばかりの家族や友人の心境なんかこれっぽっちも考慮せずに自宅の周りに張り付いては「今のお気持ちを一言!」

 今回の件だって、兄夫婦の遺体に……死者に鞭打つような仕打ちをよくもまあできるものだ。死人に口なし。けれど、死者にだって守りたかったプライベートもプライドもあるだろうに。

 ただの他殺であれば、ここまでニュースにはならなかったかもしれない。不運なことに、此度の事件ではメディアが喰いつくに値するネタがあった。それはもう垂涎ものだろう。――言うまでもなく、兄夫婦の監禁である。

 現在は兄と離れて暮らし、手紙のやり取りを月に何度か交わす程度の交流に留まっていた。その中で、エリクは子どもを監禁しているなどということは一言も書いていない。…………兄が、愛する妹からですら隠していた子ども。

 隠していたということは、即ち知られたくなかったということ。知られたくないほどのなにかが子どもにはあるということ。だが、兄亡き今、その子どもについては行方知れず。兄を殺した犯人についても、警察はその足取りを掴んではいない様子だった。アントニーネは兄の代わりとなって、その子どもを――逃亡か誘拐かすらはっきりしないが――保護する役目を担う必要があるのではないだろうか。兄が、兄夫婦が守ろうとした子。残念ながら、存在を秘匿とすることは叶わず、メディアの餌となってしまっているが、幸運なことにもその姿は誰にも捉えられていない。……兄夫婦を殺した犯人が連れ去っていなければ、だが。

 兄夫婦が新居とした建てた城。建築にはややこだわりの強い兄が図面から業者と相談して決めたと聞いている。地下室があるのも、兄のこだわりの一面だろう。幾度か訪れ、勝手知ったる兄夫婦の家。とはいえ、今の状況では好きに出入りすることは許されない。家の前に立っている警官にアントニーネは声をかけた。


「もう検証は十分でしょう? エリク・モリン・マレットの妹のアントニーネと申します。遺品などの受け取りに参りました」


 自己紹介とともに免許証で身分を証明する。警官は大変なときにどうも、と手を差し出した。アントニーネも右手を差し出し、軽く握手を交わす。


「すみませんね。一通りのことは終わっているので関係者の方なら中に入っていただいても大丈夫です。ただ家の中が、遺体を運んだだけの、事件当時の状況がほぼそのままの状態になっておりまして、気分を害する恐れが……遺品については後日また連絡しますよ」

「入っても問題はないのですね? お気遣いありがとうございます。けれど、この家は兄夫婦がとても大切にしていたので、どうなっているのかだけ確認したいのです」

「それはそれは、家族愛とはまたすばらしい。どうぞ、先ほど説明した通り、遺体を運んだ以外は事件当時そのままに保っていますので」

「ありがとうございます」


 黄色と黒のテープの下を通り、木製の扉を開く。鍵はかかっていない。中に踏み入ると、遺体があったであろう場所に白いテープが人型に縁どられている。腹部にあたるであろうところがやや丸みを帯びている方が兄の遺体があった場所だろう。若いころはボート部に入っており、スマートな体型を長いこと維持していたが、新居に住まいを移してからは、妻の手料理が美味くて食べ過ぎてしまうと手紙の中で笑っていた。兄が大黒柱を務める家庭はとてもあたたかで、アントニーネの理想だった。

 どうしてお義姉様まで殺されなくてはならなかったのか。お兄様に至っては、致命的な怪我を負ってから失血死するまでの長い時間、苦しみを味わったであろうことが報道されている。苦しかっただろうに、辛かっただろうに。アントニーネの心は痛むばかりだ。

 リビング、ダイニング、キッチン……どこに立ってもあたたかな光で溢れ、おだやかだった夫婦の生活が甦るようだ。壁や床に散った、固まって黒くなったおどろおどろしい血痕さえなければ、ティータイムに打ってつけの日和だろうに。

 資産家として名をはせていたエリクは同業の著名な人物や他業種の職人まで手広く関係を深めており、人脈のアルプスとまで謳われた。その一方で、業績の芳しくない者やライバルとして対抗してくる者たちには恨みや妬みを強く持たれていた。金目の物は盗まれた様子がないことは報道されていたので知っている。となれば、強盗による殺人とは考え難い。もし、なんらかの手段で地下室の子どものことを知った誘拐が目的であれば殺しなどというハイリスクを犯さずとも家主の不在時を狙えばいい話だ。殺人は怨恨が原因とみてまず間違いないだろう。子どもは殺しのついでに誘拐したのか、隙を突いて逃げられたのか。どちらにしても、探し出して保護するまでだ。

 カチャリ。兄の部屋は事件の被害を受けていないようで、いつも通りの兄の生活の残り香が色濃く漂っている。残された兄の遺品たち。ベッド、チェスター、ゴルフクラブ、クローゼット、本棚、執務机……。主人を喪った部屋はそんな気配ひとつさせずに、主の帰りを待っている。遺品の中には生前マメだった兄の私物……日記があった。毎日欠かすことなくつけられた日記の中身は至って平和そのものを書き綴られている。それは事件のあった日も更新される予定で執務机で静かに開かれるときを待っていたのだろう。その中に例の子どもについての記述は一切ない。

 日記を鞄の中にしまいこみ、続いてアントニーネは本棚に向き合った。几帳面な兄がすぐに他人にみられるところに、隠したい事柄をそのまま放置していたとは考え難い。監禁していた子どもについての記録がどこかにあるはずだ。木を隠すには森の中、本を隠そうと思えば……。

 分厚い本が並ぶ本棚。全体の三分の一は本に似せた小物入れである。本棚に隙間があることを嫌って、兄はよく本棚のスペースを無理やり埋めてしまうことで本が倒れることを防いでいた。兄は読書家ではなかったがインテリアとして本がたくさんつまった棚を置くのは好きであった。小物入れになっているものをすべて取り出してひとつひとつみていけば、目的の物は見つかった。青い表紙が印象的な箱。その中にはアントニーネが以前兄にプレゼントしたしおりが大切に保管されていた。……その下に。

 しおりを取り出せば、しおりで隠れていたところに丸穴があいていた。穴に指をひっかけて持ち上げれば、タイトルのない小さなノートが鎮座していた。小物入れの中は二重構造になっていたのだ。ノートは子どもの成長記録として使っていたようだ。主要な内容をいくつか抜粋しよう。




   〇月×日

   待望の第一子が誕生した。なんと、愛らしい女の子だ!

   男の子ならアレン、女の子ならノエルと名付けようと決めていた。

   ノエル、ああ、ノエル。愛しい子よ、生まれてきてくれてありがとう。


   △月□日

   ノエルが目を開けた!驚くべきことに、私とも妻とも似ない瞳の色だ。

   夜明け前の空のように希望と光を予感させる紫だ。

   先生曰く、とても珍しい瞳の色だそうだ。そうだろう、そうだろう。

   こんなに美しい眼を、私は今まで見たことがない!


   ◇月▽日

   妻とも話し合ったが、ノエルはどうも私たちの子どもではないように感じる。

   パンケーキにのせるジャムのように甘く輝く髪、抜けるような透明感の白い肌。

   花弁を思わせる唇。見る者を魅了するアメジストの瞳。

   ただの人間の子どもとしておくにはあまりに美しい。

   きっとノエルは地上に舞い降りた天使に違いない。

   この世に二つとしてない貴重な存在だ。これほどの輝きを放つ無垢なる生物を、

   世間の汚泥の前に晒してしまえば途端に濁ってしまうのではないか。

   私はそれが恐ろしい。


   ◇月〇日

   ワインセラーとして使う予定だった地下室をノエルの部屋にすることにした。

   人の目に触れさせてはならない。俗世に染めてしまってはならない。

   妻と二人で、守っていかなくては。




 生まれた子があまりに美しかったために監禁することにした、とは童話もびっくりな話である。義母に美しさを妬まれて殺される白雪姫でも父親に幽閉されることはなかっただろうに。

 信じられないような話だ。創作実話でしたと茶化された方がよほど健全だ。父親が一人娘にする仕打ちとしてあまりに非道なものである。まともな神経を持つ人であれば、あまりのおぞましさに震えあがるであろう内容の数々。

 しかしアントニーネは兄を全面的に肯定する立場を崩さない。国の法律を犯したところで、神にも等しい兄を人間の法などという下等なもので裁けるはずもない。そのような枠に収まる小さな器ではないのだ。……兄を盲目的に崇拝しているアントニーネにおいて、我が子を長きにわたって監禁していた人間基準での罪など些末な問題である。

 兄夫婦は汚物のような世間からノエルを守ろうとしていた。そして志半ばでどこの馬の骨ともわからぬ輩に殺されてしまった。それだけ分かっていればアントニーネは十分だった。兄夫婦を殺した輩を炙り出すこと、ノエルを探し出すこと――今後の行動指針が、決まった。

 リビングに戻れば、かつて兄の一部であった鮮血が、黒いただのシミとなって床に眠っている。そっとカーペットに触れると、何のぬくもりも得られぬ尊い汚れがそこにあった。目頭が熱くなり、鼻がつんとした。堪えきれなくなった涙がぽろりとこぼれ、あとは決壊したダムのように次々と溢れてくる。


「お兄様、お兄様……っにい、さま」


 愛する兄が殺された。それは彼女においての神を踏みにじられたことと同義であった。アントニーネの信仰を蹂躙したとも知らずに、犯人はのうのうとこの世を生きている。


「……許さない」


 犯人が誰であろうと何年かかろうと必ず探し出してみせる。

  終身刑?

  死刑?

 他人が決めた法律などに裁かせるつもりは毛頭ない。どんな刑に服したところで納得できるはずがないのだ。自らの手で、されたことと同様に嬲ってやらねばこの怒りは収まらない。

 冒頭でアントニーネは兄のエリクを大変尊敬していたと記述したが、それだけでは語弊があるため少し詳しく書こう。彼に対する彼女のそれはさながら神を信仰する信者であり、熱く激しく燃え上がる情念に浮かされた生娘であり、さらには兄に全幅の信頼を置く愛狂しい妹でもある。尊敬する兄へと向けた感情を単なる兄弟愛、家族愛と称するにはいささか偏執的。そして枠を外れた過激さ。彼女が兄に抱く感情は正しく”狂っている”と称してもなんら遜色ないものである。

 ただしそれは世間という極めて曖昧な母体を基準に、人に持つ感情の種類として代表的なものを挙げた中ではという話である。誰が、誰に対して、どのような感情をもっていようが、他人には知り得るはずのない話であるし、またどんな感情であれ持っていてはいけないという道理はない。であれば、アントニーネの兄に対する広義での愛情は”一般的ではない”にしても、それについて糾弾されたり、恥じ入ったりする必要はないのである。想うだけなら自由、心の在りようはなろうとしてなれるものではないのだ!

 想うだけなら自由。それこそ少女漫画ではよくある光景ではなかろうか。いつかはひた隠しにしていた想いをぽろりとこぼしてしまい、意中の相手から「俺も」と告げられてハッピーエンド。ただアントニーネの場合は、想っていた兄は既に亡き人であるし、想い……失礼、信仰心を踏みにじられた復讐が”ぽろり”と現実になってしまえば、それは罪に問われて冷たい牢獄に入れられるまでのカウントダウンの始まりに過ぎないものとなる。

 いずれはそうなると知っていてなお、アントニーネの歩みは止まらない。彼女が喪った愛を証明するために。












「ええっ! アントニーネ、お兄さんの家にそのまま住むの?」

「そうなの。せっかくお兄様が建てた立派なお家なのに、取り壊したり家主がいないままでは可哀想だと思って」


 女学校からの友人、マリーは言いよどむ。


「でも……その、アントニーネは大丈夫なの? お兄さんとお義姉さんが亡くなったばかりでしょう……そのお家で」

「うん。辛いなって思うときも確かにあるんだけど、お兄様が生きてきて、遺していったものは大事にしてあげたくて……。それでね、家の中でいると、お兄様とお義姉様が生きているような気がするの。私の中でまだ死を受け入れられていない証拠だわ……落ち着くまでは、敢えてそうしようかなって」

「そう……。お兄さんのこと、大好きだもんね」

「……ええ」


 アントニーネの偏執的な愛情を、ちょっと重たい兄弟愛程度にしか理解していないマリーは美しい愛情エピソードを前にして少し目が潤んでいる。

 それでいて彼女の一番の親友であり理解者であると思い込んでいる。否、事実としてアントニーネとマリーは一番付き合いが長く、親友であり理解者ではあるのだが、アントニーネのエリクに対する異常な愛だけはマリーにも察することができなかっただけなのである。マリーにはアントニーネの愛情を理解できるほど、兄弟に対しても恋人に対しても信仰にも似た愛は経験したことがないのだから。それでも、アントニーネの心の痛みはマリーなりに理解しているつもりではあった。


「アントニーネ……その、」


 マリーもマレット夫妻が子どもを監禁していたというニュースは聞いていた。ハロルドが言っていたように、正しく”スクープ”となって、地域だけでなく国営放送のニュースでも大々的に扱われたのだ。アントニーネの心中を激しく乱すもの。それは敬愛する兄の死だけでなく、付随してきた足枷の存在もあるだろう。監禁された子どもの話は、マリーとて軽く扱えるものではなかった。特に、アントニーネの前では。


「お兄様の実子だったの。地下室にいた子……ノエルといって、とてもとても愛らしい子だって」


 予想外だったのは、アントニーネが地下室の子のことを受け入れているらしい様子だった。マレット夫妻殺人事件は、謎多き事件として紹介されている。きっとアントニーネは不可解なことの多いこの事件を紐解くつもりなのだろう。

 マリーだって学生時代、遊びに行ったアントニーネの家でエリクと何度も会っている。心優しく信心深い素敵なお兄さんだった。一回りも年下の妹とその友達に付き合ってよく遊んでくれた。そんなアントニーネの兄が意味もなく、幼気な子どもを監禁するなんて考えられない。アントニーネは真実を探し出し、兄の名誉を復活させるために、心の痛みと戦う覚悟なのだろう。マリーはそう考えている。


「アントニーネ。私では頼りないかもしれないけれど……困ったことがあったら言ってね。力になるわ」


 実際は全くの見当違いをしているマリーだが、本人にはそれがわからない。しかしアントニーネもたとえ女学生時代以来の友人といえど真実は教えられない。

 アントニーネは困ったように、ただ静かに微笑んだ。

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