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一頁目 スチュアートとハロルド

前回のあらすじ

・お父さんピンチ?

・言いつけ破る

・知らない人がいる


今回、冒頭から殺すとか死ぬとか物騒なので苦手な方はターンバック推奨

 スチュアート・ジェイク・カリム。今年で十九になる年だが、実戦経験および実力は同年代でも群を抜いたナイフ使いだ。彼はある暴力組織に所属していて、上から割り振られた依頼をこなすことで日銭を稼いでいる。

 もちろん今回も依頼を受けてのことであるからして、立派な任務だ。ターゲットの情報はすべて洗い出し、最もスムーズで危険の少ない手段で実行する。全ては、隠密裏に。

 マレット夫妻は仕事と日常的な買い物以外は自宅で過ごす。朝ではなく夕方に押し入ったのは、死体の発見時間を遅らせるためだ。翌朝、出勤してこないマレット氏に連絡をとる仕事場の誰かが第一発見者となるだろう。

 夕陽の光があたたかく室内を照らす。床に壁に飛び散った血液はまだどろどろと水っぽい。侵入したときに怒号をプレゼントしてくれたマレットの旦那はお礼に切り刻んでやった。豚の断末魔のような悲鳴をあげていた、これまた豚のように丸々とした旦那は時間の経過とともに力を失っていく。驚くべきことにそれでもまだ息があった。放っておいてもそのうち失血死するだろうが、生にしがみつく面倒な男だ。喉笛を掻っ捌いたらすぐに静かになった嫁とは大違いである。

 間もなく完全に死体となるマレット夫妻はさて置き、ここからが大仕事。持ってきていた麻袋を広げる。一通り家の中を物色し、金目なりそうなものは麻袋にいれていくのだ。今回の殺しは強盗の仕業にみせかけることになっているため、金品を奪わなくてはならないからである。殺しの腕には多少の実績と自信を持つスチュアートだが、逆に殺し以外のこととなると途端に彼はただのひょろいちび助となる。

 ではどうするか。

 仲間を呼ぶのだ。

 今回の依頼はバディを組んで請け負っている。相棒役は軽薄だが仕事の成果だけはキッチリ出してくれる男だ。そして頭がいい。実戦のスチュアートにはこの上なく相性がよく、そしてこの上なく息の合った腐れ縁でもある。彼を呼んで金品をざっくり鑑定してもらおうとスチュアートがポケットに手を伸ばしたとき、かちゃり、と金属的な音がした。

 バッと振り返り、音の発生源を探る。入念な調査によれば、この家にはマレット夫妻だけが住んでおり、ペットや同居人といった存在はないはずだ。音が聞こえた方向にあるのは、本棚。なんとなく違和感を感じて、その原因を探るべくよく観察してみれば、本棚は上下にレールがあり、左右に移動させることができそうだ。試しに片手で押してみれば、スーッと流れるように本棚がスライドし、頑丈そうな鉄の扉が現れた。

 隠された扉というものはそれだけでも怪しいが、さらに不信感を煽るのは、備え付けられた鍵だ。部屋というものは通常、部屋の内側にあるものだが、この扉にはスチュアート側……部屋の外側につけられている。

 扉の鍵は開いている。先ほどの音は、この鍵を開ける音だったのかもしれない。事前の調べではこんなところに扉も、隣に部屋のあるスペースもないはずだ。家の構造も調査済みではあるが……それでは、この扉は一体どういうことか。取っ手を掴み、力を込めて扉を開ける。


「わ……!」


 幼い少女の声。開いた扉の向こうにいた少女は後ろに飛んでいた。向こうから扉を開こうとしていたのだろう。スチュアートがこちら側から扉を押したことで力の均衡が崩れたのだろう。視界の端で捉えたのは下へと続く階段。なるほど、地下室があったのかと理解する。階段の下へとスローモーションで落ちていく少女の姿を確認すした。とっさに少女の腕を掴んで引き寄せると、ふらついた彼女が胸の中へ着地する。動揺したのか、ぱちぱちと瞬きをした少女はスチュアートを見据えて礼の言葉を口にした。

 ……陽の光に当たっていない、生白く不健康そうな肌の色だ。ピンクがかった白いワンピースにはレースがふんだんにあしらわれており、その生地もおそらく値の張るものだろう。たっぷりと伸ばされた甘いキャラメル色の髪が夕陽を反射してきらきらしている。長い睫毛に縁どられた目はアメジストよりも神秘的な紫。全体的に色が抜け落ちているような、まるで生気を感じない人形のような印象の少女である。

 少女はスチュアートに警戒心をもってはいないようで、掴んだ手からするりと抜け出すと物珍しそうに凄惨な地上階を見学してまわっている。

 スチュアートは今度こそジーンズのポケットからケータイを取り出した。リダイヤルボタンを押せば、今回の作戦立案者に繋がる。二回目のコールが終わるとき、相手は出た。


『へいへい、こちらルディ。どうした? アート坊』


 呑気な陽気が電話口に出る。アート坊とは、組織最年少のスチュアートを子ども扱いしたがる連中が勝手に呼ぶ、スチュアートの愛称だ。


「依頼の確認だ。ターゲットはアルストルニャベル街51番地のマレット夫妻で合ってるか」

『なんだい藪から棒に。……まあそうだね。何の問題もないよ』


 なんで今更そんなこと確認するのさ、もしかして道に迷った?

 ケータイの向こう側でニマニマと意地悪く笑うバディ。ルディことハロルド・E・マルコの様子が電話口を通じて伝わってくる。失礼な質問には答えずに、聞きたいことだけを質問する。


「マレット夫妻に子どもはいない」

『あれま。アート坊やの癖に俺の質問は無視なんだ?』


 電波の向こう側でハロルドがカラカラと笑う。


『オシドリ夫婦って話だし、素行調査ってのもしてみたが該当なし。愛人の子どもなんかも含めて子どもはいないってのが調査結果じゃなかったっけか? お前も見たろ』


 そんなことは知っている。職場の同僚だのご近所付き合いはどうだっただの、ターゲットのことは粘着質なストーカーよりもよほど詳しい。だが、実際にマレット家に踏み込んでみれば、調査した資料には一切掲載されておらず、またそれを匂わすものがなかったにも関わらず予想外の存在が平然とそこにあった。否、居た。


「アクシデントだ……地下室からガキがでてきた」

『へえ! それはまた掘り出し物を見つけたね。隠し子か攫い子か、どちらにせよスクープだ。新聞社にでも売りつけるか? 「資産家マレット、地下室に子どもを監禁!」ってのはどうだ』


 ハロルドの下世話な笑い話にカッと頭に血がのぼる。


「冗談じゃない!」

『おいスチュアート、そのガキってのをまさか生かしておく気じゃ……』


 慌ててスチュアートを諭しにかかるハロルドの言葉を、知らぬとばかりにぶつり。話半ばに携帯の電源から切ってポケットに戻す。金品を奪うだの鑑定だのは最早どうだっていい。それよりもよほど、ハロルドのいう”スクープ”つまり殺しそのものについての目を誤魔化せる飛び道具が見つかったのだ。

 それでも露悪的に”スクープ”と表現されたことは、スチュアートにとって嫌悪の対象となった。


「なにが、スクープだ」


 憎々しげに言い放つ。少女が監禁されていたのは明らかだ。それをお茶の間の皆様に提供するだって?監禁したのが有名な資産家というだけで!彼女は被害者だというのに、よくもまあ二重に傷を抉るようなことが思いつくものだ。

 憤慨するスチュアートの脳裏に、自身の過去がフラッシュバックする。ろくに顔も覚えていない、それでも親といえば浮かんでくるシルエット。黒い影でしかないそれは、しかし明確な悪意でもってしてスチュアートに迫る。


「スクープってなに」


 かけられた声に、脳内を支配せんとしていた黒い影が輪郭を崩し、霧のように消えていく。

 少女はどういうわけか、この血にまみれた死体と一緒の部屋に恐怖は感じていないようだ。血だまりの中に足を突っ込んだのか、裸足の足には跳ねた血がついている。お高そうな絨毯にも少女の足跡が点々と残されている。この調子では足の裏にもべったりだろう。


「世間とやらが面白がる大きなニュースのこと……たぶん」

「ニュース……」


 スチュアートの発した単語をオウムのように繰り返す少女。その顔には表情が浮かんでいない。まるで、ぬいぐるみか人形のようだ。

 知性が乏しいのか、基本的な教育が為されていないのか。理解する能力がないのか、世間知らずなだけなのか。どちらにしても、それはとても寂しいことであり、また悲しいことだと思った。


「お前、なんていうんだ」


 少女に名を問う。


「……?」


 けれど何を問われているのか、少女はわかっていないようだ。


「名前」


 抜けていた問いの核部分を付け足す。


「……ノエル」


 ありふれた名前だ。スチュアートの知っている人物にも同じ名前の人がいる。スチュアートという名もありふれたものだ。この国の名前のレパートリーが少ない証拠だ。


「親の名前は?」

「親……お父さんとお母さん」

「そうだ。父ちゃんと母ちゃんの名前だ」

「お父さん、お母さん」

「うん。だから名前言えっての」

「お父さん、お母さん」


 どうやら普段からお父さんとお母さん、で呼んでいるらしい。両親の名前を知らないなんてことがあるだろうか?


「……じゃあアレは?」


 すでに物言わず、床に転がされている二人の死体を指さす。言わずもがな、マレット夫妻だ。隠し子説と攫い子説のうち、隠し子説が正解ならば、転がっている二人を両親と呼ぶだろう。


「?」


 しかし期待外れにも、「Yes」とも「No」とも違う反応……首をかしげたのだ。その反応では死体を親と認識できないのか、そもそも親でなかったのかもわからない。


「駄目だこりゃ。埒が明かねえ」


 首をかしげるだけの少女、ノエルの手を引いてスチュアートはマレット家を出た。白い柵に沿うように止めてある小さな車の助手席にノエルを押し込むと運転席に座る。


「窓から顔と手を出すなよ」


 ボロい車でも走りは上々。黒いガスを吐き散らしながら住宅街を走り抜ける。街の風景が珍しいのか、道中のノエルは非常に静かに、流れる景色を観察していた。


「私はノエル」

「ああ、さっき聞いた」

「私はノエル」

「聞いたって言ってるだろ」


 ノエルが自己紹介を重ねる意味がわからない。適当にあしらうスチュアートの態度に、ノエルは少し考える素振りをみせた。


「……おまえ、なんていうんだ」


 考えた結果として明らかに年下のノエルからお前と呼ばれたことに、一瞬で腹が立った。スチュアートは急降下した機嫌を隠すことをしない。


「あ?」


 ドスの利いた低い声。こちらを舐めている相手にはちょっとばかし脅してやるとすぐに尻尾を振ってくるようになる。経験上、ノエルのような弱い人間にコレは特に効くはずだが。


「なまえ」


 ノエルはまるで脅しが通じなかった。スチュアートの機嫌が悪いことも、スチュアートの手にかかればノエルのような非力な少女は一瞬にして命を剥ぎ取ることが可能なことも、理解しているのかいないのか、意にも介していないようだ。

 ――お前、なんていうんだ。名前。

 それはついさっき、スチュアートがノエルの名前を聞いた質問だ。言葉を多く持たないらしいノエルはスチュアートのまねっこで名前を聞こうとしただけだったのか。


「……スチュアート」


 小さな女の子を相手に凄んだのが居心地悪く感じて、スチュアートはそれ以降黙り込んでしまった。ノエルも口数は多くないようで、黙って車の中から景色を見ていた。

 車は住宅街を抜けると森に入った。だんだんと坂道になり、山を登っていく。切り立った断崖のごとく岩肌が丸見えになっているところも強引に進んでいく。


「スチュアートは、大きいの、どうして?」


 前言撤回。口数は決して多くないが、好奇心は一丁前に立派なものがあるらしい。殺人犯相手に度胸のあることだ。……ノエルのぼんやりとしたようすを見る限りでは、部屋に転がっている死体や足裏にべったりついた血がどんなものか、どういう経緯でそんなことになっているのかということが全くわかっていないらしい。


「男はだいたい大きくなるもんだろ」


 答えつつ、スチュアートは決して己の体格が良い方ではないことを知っている。詳しい数値は公開しづらいので160センチ以上とコメントしておきたい。ノエルは目算で135センチ前後といったところだろうか。


「男……」

「おう。ノエルの父ちゃんと俺は男。ノエルとノエルの母ちゃんは女。男はだいたい女よりでかい。オッケー?」


 この少女には、あるべき常識というものがほとんど頭の中に入っていないのだろう。具体的な例をあげて説明しながら可哀想な子どもとは彼女を指すのではないだろうかと思った。


「ノエルはいつから地下室に住んでたんだ」


 監禁という言葉を出しかけて、寸でのところで引っ込める。難しい言葉は、おそらくノエルにはわからない。知性と教育、どちらに問題があって、この少女はこんなにも知識に乏しいのだろう。


「地下室から出たことない、から……生まれてから、多分ずっと」


 物心がついたころから監禁生活とは、ハードモードにもほどがある。つまり、問題があったのは教育の方ということだろうか。部屋の中で囲われて育てば、どんなに読書量を増やそうが、実物に触れることがなければその質を感じ取ることができない。”太陽”を知らずにどうやって”日光”の暖かさ、明るさを知ることができるというのか。天井からつるされた蛍光灯では、お世辞にも代用品とは言い難い。

 ……道理で不健康な肌色なわけだ。日光に当たったことがないのなら納得だ。ヴァンパイアのようじゃないか。

 うねうねとカーブの多い山道を越えると、今度は下りになる。登りのときと違って木ばかりが見えていた景色の合間に、遠目にではあるがキラキラ光る水面が見えた。

 出発したころは夕陽の差し込む時間だったが、徐々に暗くなっていき、山を抜けたころにはとっぷりと日が暮れていた。山を抜けると田畑になっている。しかし手入れする者を失ってから長いのか、雑草が我が物顔で幅を利かせている。背丈の高い草の群れを分け入りながら進めば、湖に出た。この湖は美しいが毒素が強いだとかで、近寄る物好きはまずいないという場所だ。

 湖のほとりには、小屋が設置されている。こちらも使われなくなってから長いオンボロ仕様だが、軽く手入れをして今回の任務遂行にあたっての隠れ家として有効活用させてもらっている。小屋の裏手に車を停めると、オンボロ小屋から長身の男が顔をだす。


「こら、アート坊。電源切るなよ! 連絡とれないだろうが。何のためにケータイ用意したと思ってんだよ」


 怒っていることをアピールする大股な歩き方でずんずんと歩み寄り、ハロルドが立ちふさがる。車を降りて対応するが、一言謝らないことには小屋で休ませない気だろう。急に電話を切った上にわざと電源を落としていたスチュアートに非があるのだが、小言をいわれるとどうにもその気がなくなってくる。


「あっちゃ。やっぱり連れてきたか」


 助手席のノエルを発見したハロルドは諦め半分、呆れ半分。遠慮なく思い切りスチュアートを睨みつけた。


「お前さ、ターゲットのペットの犬とか猫拾うのとワケが違うのわかってるか? カンナギさんにどう報告すんだよこれ。マレット家の殺しの依頼もどうすんだ」

「依頼は夫妻だけだろ。情報になかったガキまで殺す労力を使う意味がない」

「オレが言ってるのは片付けの話。金目のモン盗むって話が、幼女の誘拐になってんだろうが。警察が探し始めたらメンバーに面倒かけるのがわからないワケないよな」

「マレット夫妻が存在すら隠していたなら、監禁されていたガキが強盗乱入の混乱に乗じて逃亡した線で追うだろう。誘拐とは思われない」

「金品盗んでたらの話だからな、それ! なにも盗んでないのにガラ空きの地下室みてみろ、誘拐するために入ったことになるっての!」

「それはおかしいだろ。存在すら隠していた前提なら、誰も知らない幼女を誘拐しようとするやつがどこにいるんだ。誰も知らないはずだろ? なんたって 誰 も 知 ら な い !」


 大の男が二人して言い争う。周りといえば湖と山ばかりで近隣に住まう住民もいないため、いくら騒ごうが関係はない。その安心感もあってか、二人の語気は天井知らずに強くなっていく。


「スチュアート」


 二人の意識をそらすことで仲裁に入ったのはノエルだ。おそらく本人にその気はないが、ノエルの声に反応して一時的に喧嘩を止めたのだから効果はてきめんだ。

 特にハロルドは穴が開きそうなほどにノエルを見つめている。


「スチュアート。寒い」


 両手で腕をさするノエルの様子は確かに寒そうだ。今日の気候とノエルの服装では寒さを感じることはなさそうだが、なにせ一度も外に出たことのない監禁生活を何年も強いられてきているのだ。外に出た今、体調不良を起こさない保証はない。

 助手席のドアを開けてノエルを降ろしてやる。血がついたまま長時間放置していたため、すでに乾いて生白い足を黒く汚して見せる。ノエルの足が、苔と雑草に覆われた地面に触れた。


「これだからアート坊は」


 ため息をつき、すっと横に来たハロルドがノエルを姫抱きで抱き上げる。スチュアートにべっと舌を出して小屋に連れて行った。


「これだからルディは」


 いそいそと小屋に入っていく背中に、できうるかぎりの皮肉っぽい響きを乗せて言ってやった。

 文句たらたらのハロルドだが、やつの本性は無類の女好きだ。この件についても「安全な依頼達成にノエルの救出を追加するなら、もっと上手いことやれ」ということが言いたかっただけだろう。現に、監禁されていたガキが幼女と知った途端にコレだ。車から小屋までのいくらもない短い距離を裸足のノエルに歩かせまいとわざわざお姫様抱っこで移動させてやっている。この辺りには足を切る心配もなさそうな柔らかい雑草と苔しか生えていないというのに!

 小屋に入ると、ランタンの光が優しく出迎えてくれた。ノエルはブランケットにくるまって暖をとっている。スチュアートの入室を認めたノエルはじっと紫の瞳でみつめてきた。


「ノエル。もう寒くないか?」

「うん。寒くない。ルディが、これ、貸してくれた」

「ふぅん」


 にやにやと歪む口元を隠さずにそのままハロルドを見やれば、まさに恍惚といわんばかりのだらしない表情の彼がいた。視線の先は、ノエル。これではしばらく役に立たないだろう。ハロルドのことは気にせず、本日の夕飯の準備をすることにしよう。小屋の隅に配置しているカセットコンロに鍋が乗っているのでそちらへ移動する。コンロの火をつけて加減を調節する。鍋の中身はシチューだ。今晩のメニューはこれに、ハロルドと昼間に調達してきた大量のパンだ。

 ……大方、ハロルドはノエルの顔の造形の美醜に目が行っているのだろう。屋外の暗さではノエルの顔はわからない。確かにパーツの整い方だとか、ちらりと深淵を覗かせる魅惑的な紫の瞳だとか、あるいは明るい髪色だとか……人々の理想を人間にしたかのような美しさはあるかもしれない。

 しかしスチュアートに言わせれば、子どもらしさがない。病的なまでに白い肌もそうだ。知識のなさも手伝っているのだろうが、初めて見た返り血まみれの人間にホイホイついてくる警戒心のなさもそうだ。嫌に大人しくしているのもそうだ。子どもらしくない。もっと言えば人間らしくない。知識さえつけてやれれば、このなんとも言い表し難い気味の悪さを払拭できるだろうか。

 十分な熱を通して、シチューはふつふつと湯気をくゆらせてきた。空きっ腹の食欲をさらに煽るいい匂い。思考は一時中断して飯の時間だ。大抵の食べ物はできたての温かいときが一番美味い。


「飯にするぞ」


 二人を振り返ったスチュアートは固まった。いつの間にやらハロルドがノエルの前に移動しており、ノエルの左足を持ち上げている。足の甲にそっと舌を――。


「なにやってんだハロルド」

「痛ってぇ!!」


 不衛生と知りながら、それでもスチュアートは持っていたお玉でついハロルドの頭を殴りつけた。正直に申し上げてスチュアートも混乱していたのだ、仕方がない。いたいけな幼子に向かって変態行為を働いたハロルドが悪い。


「女好きなのは知ってたが、まさかお前が幼女をも狙う変態だとは思わなかったぞ……。せめて、行為の意味がわかる年齢になってからだな……」

「違う! 待て、誤解だ!」

「いいか、ノエル。ハロルドのHは変態のHだからな。油断するなよ。されるがままになるのが一番いけない」

「すまん、さっきの状況でそう思うのは分かる! 分かるが! 弁解させてくれ!」

「ハロルドのH、は、変態のH……」

「そうだ」

「どっちも、頭文字が、Hだ……! すごい、スチュアート、頭いい」

「「嘘だろ」」


 幼女の純真無垢ぶりに男二人は己の浅ましさについて一晩反省したそうな。





 翌朝。大量に買い込んであったパンを思い思いに食べた後、今後の指針を決める会議を行った。会議参加メンバーはスチュアートとハロルド。血濡れた服を洗いながらの井戸端会議である。一方、ノエルは水浴びに行っている。


「本当なら、昨晩の間にもう一度マレット家に忍び込んで強盗にみせかける細工をしてくるつもりだったけど、できなかった以上は仕方ない」

「俺たちの心の疚しさが招いた結果だから仕方ないな」

「その話題はやめよう。心が痛くなる」


 閑話休題。


「マレット家への細工はもう止めておいた方がいいだろうな」

「今から行くと逆にリスク上がるっての」

「現場はあのままにして、移動しようと思う」

「現状でできることはないしな。カンナギさんのところで報告だ」

「ただ、オレたちが買い物をした店。事件発覚直後に急にいかなくなると疑問を抱かれる恐れがある」

「だから目立つのヤメロつっただろうが。店主にもバイトくんにもばっちり顔覚えられたじゃねえか! 俺もうあのあたり絶対通らないからな!」


 二人が立ち寄った生鮮食品を扱う店では、売り子のお姉さんにハロルドが言い寄り、亭主の店主に出禁にされた。決して親父ギャグではない。店主が亭主だと知らなかったのだ。その話は近隣の店という店に伝わり、買い物の度に「あら、あの人じゃないかしら」「そうよ。あの人よ」などとひそひそ囁かれる憂き目にあった。


「町では正直、結構な噂になってるからオレとしてももう手を引きたい。今日出発でもいいかなと思うくらいには行きたくない」


 だが、とハロルドは溜める。


「一度、絶対に町に行かなくてはいけない」

「は? 嫌なんだから行かなくてもいいだろ。噂になったのが嫌で顔を出さなくなるなんてよくある話だろ」


 そもそも噂になるような出来事は”よくあること”で片付けられるものではない。


「問題はそこじゃない」


 またハロルドが溜めに入る。なにを溜めているんだ。溜める必要のある事案なのかそれは。キリリと引き締めた真剣な顔を作り上げた。


「ノエルの、着替えが必要だ」

「オーケー俺が悪かった今すぐ買いに行こう」

シチューは三人で美味しくいただきました

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