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竜の咆哮  作者: 春日 智英
幼少期
27/34

 時を遡ること、およそ半刻前。


 妖精族の村イルフィンより北側の森林地帯で、ライアスは狩りに勤しんでいた。


 木々の隙間を縫い、鼻息を荒げながら突進してくる猪。ライアスは微塵の焦りも見せることなく、側面に回り込んで耳の後ろを剣でひと突きにする。

 切ない断末魔と共に、猪はその場に力無く倒れこんだ。


「見事なお手前」

 剣を引き抜くライアスの後ろから、弓を担いだ妖精族の称賛の声が届く。

 ライアスは剣を一振りして猪の血を振り払い、声の主へと向き合い微笑んだ。


「いやいや、そんな大したものではありませんよ」

「ご謙遜を」

 鳥や虫の鳴き声が、心地良い風と共に木々の隙間を吹き抜けていく。


 ライアスと同行しているのは、イルフィンの入り口で門番をしていた男である。村の食料を調達するというライアスの申し出に対し、同行を買って出たのである。

 ちなみに、今日はこの男の代わりに、違う男が門番を引き受けている。


 狩猟した猪の四肢を、妖精族の男が手際よく縄で結んでいく。

 ライアスはその様子を見ながら、視界の端で何かの影が通り過ぎたことに気づいた。


(獣の(たぐい)……か?)

 ライアスは平静を保ちつつ周囲を見回す。剣を握っている右の手が、自然と強張っていくのをライアスは感じていた。


 左から右へと視線を動かしていき、そして遠目からでも分かる不自然な出で立ちをした人物が歩いている姿を、その双眸が捉える。

 距離があり過ぎるせいもあり、性別はおろか、どの種族であるのかも分からない。しかし、この森林に似つかわぬ姿が、明らかに不審な人物であるとライアスに告げている。


「ライアス殿、いかがされました?」

 妖精族の男がライアスの様子に気づく。

「いや、見慣れぬ出で立ちをした誰かが、この森を歩いているのでな……」


 ライアスの返答に、妖精族の男は不思議そうに首を傾げる。

 妖精族の男もライアスが見ている方向を見るが、その姿は確認できない。どうやらこの僅かの間に、その人物は二人の視界の外へ行ってしまったようである。


「ふむ……見失ってしまったようです。……どのような人物でしたか?」

如何(いかん)せん、遠かったのでな。ただ紫のローブを着ていたとしか分からなかった」

 ライアスは肩を竦めながら再び目を凝らす。しかし、その姿を見つけることは敵わなかった。


「……妙ですね。この近辺には妖精族以外の種族は住んでいません。そして妖精族は皆、緑かそれに近い色の服装をしています」

 腕を組み、手を口元に当てる妖精族の男が、少しずつ目付きを鋭くしていく。


「まだ、不審な者であると決めつけるのは早計だろうな。……だが、念のため、私は跡をつけようと思う」

 ライアスは剣を鞘に収め、妖精族の男に向き合った。


「わかりました。では私は村に戻り、このような人物が村の近くにいることを村長に伝えてきましょう。……ライアス殿、お気をつけて」


 ライアスは頷いてそれに応えると、体を反転させて森の奥へと歩み始めた。


 —— — — —


 およそ十分後。妖精族の村イルフィン、村長イリーナの屋敷。


「——このような人物を、ライアス殿が見かけたとのことです。イリーナ様、何か心当たりはありませんか?」

 ライアスが見たという奇妙な出で立ちの人物について、共に狩猟に出ていた妖精族の男がイリーナに問いかける。


 村の薬師(くすし)に処方された、二日酔いの薬を服用したイリーナは、すっかりいつもの調子を取り戻していた。

「そうですね……。まず間違いなく、この近辺に住む者ではないでしょう。ただ……」

 その問いに対して充分な答えを持ち合わせていないイリーナだった。だが、この近辺にて昨今起きているかもしれないという懸念事項が一つ、その脳裏をよぎる。


「ただ……?」

「まだ確証は無く、情報源も不確かなものなので噂の域を出ないのですが……。最近この辺りで人攫い……いえ、奴隷売買が行われているという噂を耳にしたことがあります」

「なんと! そんな非道がこの近くでおきているとは……!!」


 イリーナの衝撃の告白に妖精族の男は驚愕し、静かな怒りが沸々と沸き始める。

「あくまで噂です。……無駄に村の者を不穏にさせたくありません。なので、この話は心の内に秘めておいてください」

 イリーナは俯かせた顔を上げ、窓から空を見上げた。

 気持ちとは裏腹に、清々しい青空が広がっている。


 しかしイリーナは、これが嵐の前の静けさにしか到底思えないのであった。


 —— — — —


 ライアスは同行していた妖精族の男と別れ、先ほど見かけた怪しい人影を追っていた。


 姿を見たのは一瞬の出来事だったが故に、草木の上を急ぎ足で進んでいく。再びあの姿を見つけることは敵わなかったが、ふと足元を見たライアスは、あることに気づく。


(これは……!)

 ライアス達が村から出てから最初の獲物であるイノシシと出会うまで、地面の辺り一面には雑草の類が生き生きと生い茂っていた。しかし、あの怪しい人影が通ったであろう場所の足下は、踏みならされて力無く横たわる雑草が道となってできていたのである。


 それは、明らかに人が何回も通った跡であるという、物言わぬ証拠だった。


 ライアスは再度気を引き締め、その道の先へと歩いていく。

 そして周囲を警戒しながら進んでいると、大きな口を開けた鍾乳洞が現れた。

 鍾乳洞の入り口手前の少しぬかるんだ地面を見ると、大きい足跡と小さい足跡、そして小さな竜のものと思われる足跡が刻まれている。


(——ハク達が危ない!)

 ライアスは意を決し、その鍾乳洞の中へと走りながら入っていった。

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