鏡を見ろ馬鹿め!
例えば今日僕が死ぬとする。
育ててくれた人達や世間様には何も残らない、どころか僕の残骸は邪魔になるだけで、それまでの負債は支払われることはなく、つまりは損だ。僕が今死んでも損しかない。葬式だってあるだろうし遺品の片付けなんて誰がするのだろう。せめて稼いでから死ねよと思うはずだ。
世間的に見てもそうだ。僕が比較的に夢や希望ある若者である限りは、少子化に悩むこの頃でもある訳だし、損になる。のでょうか?よく分かりませんが。
そんなに人望がある人間でもないのは自負しているが、周りに迷惑ばかりかけている害虫のような人間でもない。多分。
だから今僕が死んで超ラッキー宝くじ買っちゃお♪なんて思う人もそこまでいないんじゃなかろうか。そう信じたい。
なぜ僕がこんなことを書き出したかと言えば、こんなことを考え出したのはつい最近のことではないな、ということについ最近気付いたからだ。
発端は手相、である。
手の皺で運気や人によっては婚期を占うあれ。
いつ放送されたものかは定かではないが、僕はそれをテレビで見た。
遅くとも僕が小学五年生だった時期より前には流れたテレビ番組に取り上げられていた覚えがある。
親指と人差し指のあいだから手首にかけて手のひらにある皺を人は生命線と呼ぶ。
その名の通り長ければ長いほど寿命は長く、カーブが大きければ大きいほど充実した人生を送れるのだそうだ。
僕の手のひらの生命線と呼ばれる皺は、高度にして親指の付け根の真ん中あたり、曲線に至ってはまだバスケットボールの方が立派である。
始点は勢いよく飛び出したものの、「もうちょっと頑張れよおお」と言ってしまうくらいに慎ましやかな曲線だ。悪く言ってお粗末だ。
世の中の人はこれほど手相に先を見てしまうほど執着してはいないだろう。
僕もそう思う。
仕事に成功して大富豪になった人の元にインタビューしに行ったアナウンサーが興奮してひけらかす金運線の話、も、そもそもその大富豪は一体どこのどいつなんだ、と今なら突っ込みながら見れたはずだ。
しかし小学生時代の僕はジブリに影響されて五階建ての建物の三階に位置する自宅のベランダから掃除用のホウキにまたがって飛び降りようとするくらいにピュアだった。
というかバカだった。
(この話は母から伝聞した実話だがまだ小学生低学年のことだと誤解ホイホイしておく)
本当に根拠の無いネタだが頭も常識もすっからかんな当時の僕は信じたのだ。
僕は20歳くらいで死ぬ!!(笑)
もちろん今では八信ニ疑くらいにしか信用していない。2割の方では信じている人間はそこらへんにごろごろいるだろう。
でも幼少期のこのことが今につながって『今日あたり死ぬかもなー。何も残してないなー』なんて1週間に1回は思ってる人間はそうそういないんじゃないかな。
思う人はいるかも知れないけど、生命線の長さがそうさせてるっていう人がいるならば、ぜひ顔を見てみたいものだ。
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