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流浪一天  作者: Lotus
第九章
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第九章 七

「私は呂州の孫怜と申す者。この村に居られた殷汪どのとは昔から懇意にしておりまして、何度も此処を訪れておりました」

「殷汪様とな? 嘘ではあるまいな?」

 老婆は聞くなり即座に返し、孫怜に向けた双眸を大きく見開いた。

「殷汪どのがこの咸水に移り住む前、呂州に居られた事はご存知でしょうか? 私はその頃縁あって知り合ったのです」

「……おかしいのう。殷汪様と懇意であった者が真武剣派のお使いかね?」

「我々は真武剣派とは関係ありませぬ。むしろ我らは真武剣派より先んじて徐を捕らえたいと考えて――」

「ホッ、もう既に出遅れておるではないか? 真武剣派の者が此処へ来たのはもう随分前だ。さっさと追いかけるがよいわ」

 老婆は殷汪という名に反応を示しておきながらそれ以上は触れず、とにかくさっさと行けというように腕を顔の前まで持ち上げて払う仕草をして見せた。殷汪は仇を討った英雄である。きっとこの老婆にとってもそうであるに違いないが、急に話をするのが煩わしくなったのか、老婆は向きを変えて歩き出す。そんな急な変わり様が不自然にも思えたが、それを問い質せる雰囲気では無かった。

「……あの」

 

『去ね』

 

 孫怜は後ろを振り返り樊樂らを見る。四人は集まって去ってゆく老婆をただ眺めるしか無い。

「……俺達も、もう行こうぜ」

「あれは、徐とは関係無いんだろうな?」

 胡鉄が山に視線を投げ、他の三人もそちらを見上げると人影は変わらず同じ位置にあったが、皆一斉に見ているのが分かったのかその者は立ち木の後ろに隠れた。

「……あれが死人ねぇ。んな訳ねぇだろ」

「若い男の様な気がするんだが……ま、恐らく徐とは縁もゆかりも無かろう」

 孫怜が言うと、皆一様に頷いた。

 それにしても老婆の行動は不可解である。隠れている男の事を『関わるな』と言いながら、その男も樊樂ら四人も放って立ち去ろうとしている。もし男を捕まえに行こうとしたなら、それでも無視するのか、それともいきなり向きを変え襲い掛かって来るだろうか?

 隠れている男といいあの老婆といい、とにかく謎だらけで一体どういう者達なのか調べたくもあるが、徐は居ないと分かればこの村に用は無い上、余計な事をして老婆の逆鱗に触れでもすれば時間の無駄どころか無事にこの咸水を出られるかどうか。

 樊樂らはあの隠れた男は徐ではないと結論し、村を出る事を決めた。老婆はゆっくりと歩いて行った筈だが、いつの間にか姿が消えている。何処かの民家に入ったのか、そうでないのかは分からなかった。

 

「この村の住人とか言いながら、お前が来た何年か前には居なかったんだろ? たまたま里帰りして来ただけじゃねえか。偉そうな婆さんだぜ」

 樊樂らは再び馬に乗り村の外に向かう。村の全部を見た訳ではなかったが、徐とその仲間が人間だったならこんな所に居たくない筈だと樊樂は言う。

「あの婆さんは物の怪の類だよ。こんな所に居られる事自体おかしい」

「徐が逃げ込むかも知れないって、樊さんが言い出したんじゃないですか」

「ああ。だから今初めて来て認識を改めた訳だ」

 樊樂が孫怜に目を向けると、孫怜は何やら考えている様子だった。

「怜?」

「……確かに今のこの村で暮らすというのは並大抵の事じゃない。ずっと他の街に居て、何故此処に戻ろうと思ったんだろう?」

「さあね。もう先も短くなって、昔住んだ此処を死に場所に決めたとかそんなところじゃないか?」

 樊樂はそう言いながらもう一度村を振り返る。最初に見たのと同じ、荒涼とした風景に人影は無かった。

 

 空の黒雲が時折唸り声を上げ始めている。遠い山の稜線に目を遣ると既に霞んで見え、恐らくそこは激しい雨となっているだろう。四人は時折頭上を見上げては顔を顰め、先を急いだ。

「樊さん」

「ああ」

 樊樂らが来た時と同様に川に沿って草むらを進んでいると、その先からこちらに向かってやって来る者があった。二人居て、どちらも馬に乗っている。劉子旦が樊樂に声を掛けると樊樂は正面を見据えたまま応じ、孫怜と胡鉄もじっとその二人の様子を窺う。まだ顔が見える様な距離ではないが、きっと向こうもこちらの四人を見ているに違いない。

「用があるのは咸水か、俺達か、だよな」

 樊樂が孫怜に顔を寄せるがその目は先を見つめたままである。

「真武剣派の者だろうか……?」

「さぁ?」

 先方は速度を緩める気配は無い。二人並んで真っ直ぐ向かって来る。

「片方、女みたいだな」

 後ろから目を凝らしている胡鉄が言った。二人並んでいるその左側の人物の服装がどうやら女物の様で浅葱色、右側は簡素な白っぽい服装で、男の様に見えた。

 このような場合、妙に気まずい思いを互いにする事になる。何者なのか気になって仕方が無いのだが、かといってじろじろとその顔を窺うのも憚られる。そうこうしている内に互いの身なりを確認出来る程度の距離まで近付いた。

「何だ? あの女……」

「一体何処のお嬢さんなんだかな?」

 右側は確かに女で若い。左は老人であった。老人の方はその身一つで他に何も持たずに馬に乗っているだけといった感じだが、女の方は違った。腰にはちゃんと剣があり、背にも何か得物らしき物を背負っている。しかもその女は顔を背ける事無く大胆にもじっとこちらを見ている様だった。

「どうする? 無視するか?」

 樊樂は孫怜に向かって訊ねる。孫怜は樊樂を見返し、

「俺が話を聞いてみよう。お前はいらん事を言うなよ」

「どういう意味だそれ……」

 

 双方互いに顔がはっきりと見える辺りまで近付いた。女は若い割には泰然として穏やかな表情をこちらに向けており、樊樂はどんな顔をしていれば良いのか分からずそわそわとして視線を彷徨わせる。孫怜が話し掛けようと口を開くと、同時に女が軽く馬の腹を蹴りこちらに向かって進み出て来たので、思わず四人は緊張してしまった。

 


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