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流浪一天  作者: Lotus
第八章
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第八章 二十九

「体壊さにゃあええがなぁ」

「ま、皆さんその辺の加減は良く分かってますよ。劉さんも方々で商いをされている方ですから旅には慣れている」

「でも、息子さんがなぁ。それ思ったら並大抵だにゃあで?」

「ほんまだぁ」

 洪破人らを見送り、葛林と李施は話しながら屋敷の中へ戻って行き、周漣だけがその場に一人佇んだままだった。

 周維がその傍に歩み寄る。

「周漣さん?」

 周漣は答えず、さっと目頭を押さえて表情を見られまいと顔を背けた。

「夏さんとは話せましたか?」

「……あなたに何をさせられるか分からないから、注意しろと」

「ハハ……うーん、変な誤解をお持ちの様ですねぇ。夏さんは。で? それだけですか? 暫く会えなくなるというのに?」

「何の事です? あの方は私など……。いつもの様に方崖に戻れと仰るだけです」

 顔を背けたまま小さい声で呟く。

「周漣さん」

 周維は扇子を取り出し顔の前に持ち上げると思案顔を浮かべ、

「私の予感なんですがねぇ。夏さん……殷総監はいずれ方崖に戻られるのではないかと思うのです」

 周漣はようやく顔を上げる。その双眸が赤味を帯び、潤んだままだった。周維は続ける。

「たとえ死んだと思われていてもやはり本物は本物なのです。今戻れば北辰は大騒ぎするするでしょうねぇ。しかし、方崖の態度は決まっています。たかだか数人を切って飛び出したとはいえ、教主に次ぐ身分を与えられていた殷総監です。即座に討つべき反逆者……。何もしないで再び方崖に上げれば教徒達は混乱するだけだ。ま、それ以前に張新どのが殷総監の復権を許さないでしょう。ようやく念願かなって殷総監のあったその座に昇った訳ですからね。やはり副教主ですか? 殷総監を副教主にという話はまさに今の為。もう副教主という肩書きが復活してもおかしくありませんね。あまりいい顔をしない長老衆はもう抑えてある」

 周漣は眉を顰めて周維の表情を凝視する。

「あなたは……北辰に興味があるのですか? どうしてそんな事まで知って……?」

 周漣は今まで周維を稟施会の若き当主とは知っていながらも羽振りの良い一介の商人風情としか考えていなかった。どれだけ稟施会が有名になろうと、武林とは縁の無い人間。たまたま夏天佑と知り合ったと本人が言っていたのだ。武林の噂は絶えず江湖の話題の一つであり、稟施会の様なあらゆるものを商機と捉える大規模な商会ならば市井の庶民などよりも多くの事を知っていてもおかしくはない。今周維の話した事は恐らく今も江湖のどこかで話されているであろう内容だった。しかし周漣には周維が『耳にした噂話』として話した訳ではない様な、何故かそんな気がした。そしてその話は全てがその通りであった。

「興味ですか? 勿論ありますよ。東の果ての謎の組織が今どうなっているとか、話を聞くだけでわくわくしますよ。更に夏さんに出会い、そしてあなたまで来られた。これほど楽しい事はありません。それはもう仕事を忘れて太史さんにお説教くらう程に」

 周維は訝しむ様子の周漣の表情も全く意に介さず子供の様に目を輝かせながら笑っていた。

「しかしですね……」

 そんな周維が急に真顔に戻る。周漣を見つめ返し、

「夏さんが聞かせてくれる北辰の話は、どうも『元総監』のする話ではないようです」

 周漣は黙って続きを待っている。

「今も、総監のままなのかも知れません。気持ちはね。北辰の現状をあまり良く思っておられない様です。いずれ張新を遠ざけて再び方崖へと……こんな話、北辰の大幹部であるあなたに話しても良かったのかな? フフ」

 北辰七星を北辰教の幹部と言う者はまず居ない。どちらかと言うと教主の私兵という印象の方が強く、それにしても今の周漣に大幹部などと言うのは皮肉にしか聞こえない。この辺境にただ一人、流離(さすら)う女――。周漣は周維の笑顔を無視していた。

「その根拠は? 夏天佑様は戻るとは仰っていないのでしょう?」

 教主の補佐役となっている張新を良く思っていないからと言うだけでは話にならない。今更どうでも良いのではないか? 殷汪は元々北辰教に興味を持っていなかった筈なのだ。

「根拠と呼べるものは何もありませんよ」

 視線を宙に泳がせ、考える仕草を見せながら、

「ただ……人というのは、いや、人だけじゃありませんね。明らかになった点においてのみ判断を下す、という訳ではない。あらゆる事柄をもって推し量り我らは何らかの判断をしています。これという確たるものは私は持っていませんが、そうですねぇ。例えば……」

 周維は目を細めて周漣に微笑みかける。

「夏さんは何故、あなたに『何処かに行ってしまえ』とは言わないんでしょう?」

「えっ?」

「なぜ『方崖へ』としか言わないんです? その前に、あなたが嫌いなだけだったら「消えろ」くらいな事は夏さんでも言いそうですよ。ああ見えて結構乱暴な気性もお持ちの様だ。滅多に見られませんがねぇ。……方崖に何かあるんですかね?」

「私が……方崖で何を……? 何をすれば……?」

 周漣は額に手を遣り小さく呟く。

「……もし夏さんが北辰に戻るとしたら、あなたが方崖に居た方が良いとは思われませんか? 今は何もしなくても良いのかも知れない。内部に味方となる者が居る事で随分違ってきますよ? ま、その時にあなたが夏さんを見限って敵だと思ってなければ、ですが」

 

 嫌な男だ――周漣は面には出さないが目の前の男を嫌悪する。何故、北辰に縁の無いこの男はそんな処まで首を突っ込んできてこの私に向かって教示するかの様に話すのか。夏天佑様が言うならともかくお前は関係ないだろうと、自身の中にある『別な自分の様な何か』が周維に対し苛立ち始めていた。

 周維の屋敷で働くとは、周維に仕える事である。半年近く周維は城南を留守にしていたが、周漣はそのようにして過ごしてきた。自分は周漣であると名乗りながら。そして夏天佑の傍に居たいと願い、そうしてきた。だが、周維が都から帰ってくるなり状況が変わる事となる。夏天佑以外に自分をはっきりと周婉漣と呼ぶ人間、求持星が現れた事によって周漣の意識は一気に現実に引き戻された。北辰を忘れる事が出来ない――。

(『周漣』で居る事は無理なのだろうか? 北辰の周婉漣で無くなる事は許されないのだろうか? 夏天佑様がそう望む? 私は……いつまで陶峯様の呪縛に苦しまねばならないのか……)

 

「周漣さん? 大丈夫ですか?」

 片手で顔の半分を覆い、じっと目を閉じている周漣を覗き込むようにして周維は訊ねた。

「中に入りましょう。部屋で休んで下さい。今日は……というか暫く仕事らしい仕事も無いでしょうしね」

「方崖へ――」

「はい?」

 周漣はゆっくりと顔を挙げて背筋を伸ばし、いつも伏し目がちであった大きな瞳を真っ直ぐに周維に向けた。外見は変わらない。しかし今まで内に潜んでいたものがその瞳を通して溢れ出てくる。

「景北港へ、戻ります」

 周漣の低く力の籠もった、短いその言葉を聞いて笑みを消した周維は、少し間を置いて後、頷いた。

「それが、良いでしょう」

 

 

 

 

 

  第九章へつづく

 


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