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流浪一天  作者: Lotus
第八章
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第八章 二十三

「その話を聞く度なるほどと思うのですが、やはり夏さんの師であるその御先輩は相当変わった方だったのだなと思ってしまいますねぇ」

「だろうな。知っている者は少ないが、皆そう思っていることだろう」

 夏天佑は一度腰を上げ、横を向いて座り直すと、椅子の背を脇に抱える様な格好でもたれかかった。昔を思い出そうとしているのか、額に手を当て視線を宙にさまよわせる。

「夏さんと陸総帥にとって洪淑華の秘伝が特別な意味を持つという事は、陸豊(りくほう)どのも同様ですね?」

「無論」

「陸豊どのの居場所が判りました」

 夏天佑はすぐに顔を周維に向ける。

「意外な場所でした」

「教えてくれるのか?」

 周維はフフ、と息を漏らして微笑んだ。周維の会話は誰に対しても『気を持たせる』事がその基本形となっているらしい。短気な者ならすぐに怒り出しかねない。が、夏天佑は慣れているのか、それとも耐えているのか、待っている。

「何処かの秘境で隠遁……などと想像してたりもしたのですが、なんと、緑恒です」

「緑恒? 確かか?」

「ええ。(はん)幇主の許に身を寄せておいでです。これもまた面白くなってきましたよ? 范幇主は真武剣の英雄大会に御臨席でしたから。この先どうなさるかは分かりませんねぇ」

千河幇(せんがほう)が真武剣に……」

 夏天佑の呟きの後、また静かな時が流れる。

 太乙北辰教に属すると考えられていた緑恒千河幇が真武剣派に近付きつつあるという事から武林の勢力図は大きく塗り変えられる事になると見て間違いない。近年は一見穏やかな空気が流れているかに見える武林であるが、皆、剣を捨てて融和の道に進み始めているという訳では決して無く、逆に最初に動き出すのは北辰か真武剣派か、と互いに警戒し合っている。

 太乙北辰教はいつでも即座に動く事が可能である。それに追従するであろう大小様々な勢力が存在するがそれらの準備を待つまでもなく北辰単体で十分な人的規模を持ち、教主に忠誠を誓う信者達の士気は高い。一方、対する真武剣派は単独で北辰に当たる能力は無く、かつて武林制覇を狙った北辰教主陶峯に抵抗する為に真武剣派と協調した各派が再び陸皓の許に結集せねばならない。様々な不利が重なる真武剣派に出来る事といえば更に自分達に味方し北辰に対抗する勢力を増やす事意外に無く、そんな中で緑恒千河幇が真武剣派に付いたのならばその勢力は倍化したと言っても過言では無い。かつての武林の騒乱を覚えている者は良く知っている。緑恒千河幇はいざとなれば商いを営む者達のただの互助団体などではなくなるのだ。この江湖に於いて丐幇、太乙北辰教に次ぐ第三勢力である事は間違いなく、一度事が起こればその表情は一変すると武林の誰もが信じて疑わない。

 

「真武剣がうまくやった、と見るべきでしょうねぇ」

「陸豊の破門はその為だったと?」

「いえ、それは違う様ですよ? 陸豊どのが真武剣を出たのは随分昔の事ですし、何より、陸豊どのが陸総帥と袂を分かつ事になるというのは夏さんには良く理解出来る事なのではないですか?」

「……」

「千河幇が揺れるきっかけとなった出来事は、陸豊どのとは関係が無さそうですが」

「鏢局の件だろう?」

「ええ。些細な事件の様にも思えますが、謎が多くて色んな想像が勝手に膨らんでいってしまったのでしょうねぇ。ま、今更どんな真実であろうとも范幇主が武慶を訪れたという事でもう後には引けないでしょう。北辰が放っておかない。林玉賦が范幇主を見ていますからねぇ」

「見ている? 林が?」

「あれ? まだ言ってませんでしたかねぇ? 林玉賦が真武観までわざわざやって来ましてね。総帥にご挨拶にね。そこに范幇主も居られた」

「大人しく帰ったか?」

「ええ、まぁ。大人しい……彼女にしては大人しいほうだったんですかねぇ」

 周維がフフ、と声を漏らす。

「おい。北辰は千河幇に対して動き出したんじゃないのか?」

 夏天佑は周維から横に立っている太史奉に視線を移して訊いた。

「具体的な目的は先程ご報告致した通り、何も分かっておりません。ただ、本当に小規模――ほんの数人ずつで行動している様で、未だ物見といった段階でしょうか。何を探るのかも不明ですが」

 夏天佑は頷いて再び周維を見る。

「とにかく出て行って調べる方が早いという訳だな。で? 何故稟施会を使う? 本当に劉さんを助ける為だけか? 秘伝書の方もお前達にしたら大した物でも無いだろう? 北辰やら真武剣派の間に割り込む様な事になればいらん災いを被る事になる。そこまでして何を得る?」

「まぁまぁ、その辺はなんというか、我々の商売にも色んなものがありましてね。勿論、ご協力戴く皆さんにも悪いようには致しません。そんな事をすればただでさえ芳しくない稟施会の評判が……ねぇ?」

 周維が太史奉を見上げながら言うと、太史奉は真面目な顔でただ頷くだけであった。

 夏天佑は長い溜息をつくと再び席を立ち上がった。

「もういいか?」

「ええ。そういう事で宜しくお願い致します」

「急に出ると言われても困るからな」

「ええ。分かっていますよ」

 周維は笑みを絶やさず夏天佑が出て行くのを見送った。


「夏どのにはこれほどあっさりお引き受け戴けるとは正直思っておりませんでした」

「そうですか? 私には至極当然に思えますけどねぇ。これが他の秘伝書だったら全く興味を示さなかったでしょう。彼が最も注目する武芸、いや、彼にとって見るべき武芸は昔から洪淑華に繋がるものしか有り得ない。んー、まぁこれもちょっと違うんですけどね。とにかく、まずは予定通り進んだ、と」

「しかしこの先はどうなるか全く予測出来ませぬが?」

「それで良いんですよ。此処でのんびりしたいという夏さんには申し訳ないですが、彼には常に武林を刺激して貰わないと。特別何かしなくてもいい。彼はただ居るだけでこの武林を引っ掻き回せる唯一の人物なのですからね。フフ、『夏』という架空の名はすぐに引き剥がされてしまうでしょうねぇ。彼は紛れも無く正真正銘の殷汪であると、陸皓、陸豊兄弟が証明してくれます。あの二人だけは騙せる筈がありません。北辰と真武剣が彼をどう扱うか、そして彼は一体どうしようとするのか。これは見ものですよ? 是非一緒に行ってこの目で見たいものですが……」

「それは諦めて戴きましょう。このままでは稟施会の商いに支障をきたします故」

「太史さんは大袈裟だなぁ。ま、すぐにどうこうなるとも思っていませんから、暫くは言う事を聞きますよ」

「結構ですな」

 


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