第八章 二十
「なぜあんたはそこまでする? 他人である劉さんに?」
劉健和に代わって訊ねる求持星。
「それは……私がそうしたいと思うからです。フフ、それが出来れば私は気分が良いでしょうね。劉さんを助け、『良い事をしたな』と感じる為ですよ」
「……」
求持星も劉健和も黙っている。周維の言った事は本心に違いない。ただ、実際に自分の欲する事として口に出す人間を見たのは、二人共初めてであった。求持星が問う。
「……劉さんの為では無い、と?」
「はて? 何故そう思うのですか? 劉さんが徐はもう放っておくと決めたのならば私の出る幕はありません。しかしまだ大事な息子さんも捕らわれたままではないですか。息子さんを助け出す事が劉さんの為にならないなんておかしい」
周維は穏やかな表情のまま求持星を見つめている。求持星は視線を逸らして下を向く。
「……偽善も善の内、か?」
求持星の呟きを耳にした周維はその口元に微笑を浮かべる。
「さて、どうでしょう。夏さんはどう思います?」
急に周維が夏天佑の名を呼んだので求持星と劉健和が顔を上げ、後ろの部屋の入り口を振り返る。そこには太史奉に呼ばれて戻ってきた夏天佑が鍬を杖代わりにもたれかかって立っていた。その後ろには太史奉が居る。
「そうだな……程度の問題だ」
夏天佑は鍬を入り口の横の壁に立て掛け、空いている椅子に向かって歩きながら言う。
「偽物にも使い道はある。真なるものは一切弊害を生まないというのは幻想だ。そもそも人は真か偽かという二つのみに分類して短絡的に処理したがるものだが、それは怠慢というものだ。人には、畜生よりはましな頭が付いているのだからな。……何をするのか知らんが、する事が既に決まってるのに今更善だの何だのと考えるのか? 自分にも善くて人にも善いなら善は二つだ。実に結構な事だと思うが。目的を達するには何が有用で何が害をもたらすか――投げずに根気良く時間を掛けて考えていれば少しは答えに近づくだろう」
「ゆっくり考える時間は無いんですよ。残念ながら。しかし、私は劉さんが望まぬ事をする気は全くありません。絶対に。求さん。それでも駄目ですか?」
「俺は何も……駄目とか思ってる訳じゃない。稟施会の手を借りるしか手は無いんだから……劉さんが決める事だ」
求持星は再び周維から目を逸らし、劉健和の表情を窺った。劉健和は周維を真っ直ぐ見ている。
「情けない話だが正直言って、俺一人だけだったなら何もかも捨てて逃げ出したかった。だが周さんが手を貸してくれると言ってくれたおかげで徐々に、何と言うか……やる気みたいなものが湧いてきたのも確かなんだ。まだはっきりと自分の気持ちが整理出来た訳ではないが……こんな俺でもまだ手を貸してくれるのならこんなに有難い事はないと思ってる」
劉健和の声はまだ力強さを取り戻してはいなかったが、その表情は僅かに明るいものになっていた。
太史奉が進み出て周維の横に立つ。
「稟施会は当主の意向に違わず、劉健和どのに助力致します」
太史奉のあまりにかしこまった物言いに夏天佑は眉を顰め、首を回して後ろに控えている洪破人を見る。しかし洪破人は黙ったまま何も言わなかった。
「劉さん、一体何をする気だ?」
夏天佑の問いに劉健和が答えるより先に周維が口を開いた。
「夏さんにもお手伝い頂きたいのです」
周維は武慶で劉健和と出会ったところから話し始め、徐という男を捕まえる為に夏天佑にも手を貸して欲しいという事を丁寧に話す。夏天佑も、他の者達も一切口を開かずに周維の話を聞いている。周維は自分の知っている今の状況と予測をつぶさに説明したが、その話は劉健和や求持星は既に聞いている内容で稟施会が得た新しい情報というのは含まれていなかった。夏天佑はゆっくりと首を振る。
「それが何故求さんや俺なんだ? わざわざ此処まで来たのにまた中原へ戻れと?」
「特に問題は無い様に思えますがねぇ? 夏さんを追う者は恐らくたった一人だけではありませんか。求さんもです」
「劉毅か?」
「ええ。求さん。他に誰か居ますか?」
「劉毅には色々とお仲間が居るらしいぞ? 求さん、そうなんだろ?」
夏天佑が言い、求持星は夏天佑と視線を合わせた後、周維を見た。
「劉毅様だけではないかも知れない。だが今後は俺を追い続けるとは思えない。昨夜の二人組は倚天剣を手に入れたがっていた。劉毅様はあくまで殷総監を……。俺より夏どのの方が危険になるだろう」
「おいおい、こんな汚い形の若造捕まえて『夏どの』は変だろう? そうだな……天佑でいいぞ。いや、そう呼んでくれ」
まるで話を完全に断ち切る様に夏天佑は笑いながら求持星に言う。自分が狙われるという話よりそっちの方が重要とでも言う様である。周維がすぐに話を戻す。
「求さん。昨夜の二人は劉寨主……いや、今は違いますかね? あぁ、喬高が亡くなったのであればやはり劉毅が再び寨主かな? ……彼の配下では無いと?」
「……かも知れないと思っただけだ。そっちで調べてもらった方が確実だ」
周維の横に立っていた太史奉が周維の傍に体を傾け、
「手配しております」
「ふむ……。どちらにしてもそれなら大丈夫ですね。狙いが皆、夏さんに向いているなら」
「どういう理屈だ?」
椅子にもたれて手足を投げ出す様に座っている夏天佑が目だけを周維に向けている。
「劉毅は、夏さんの居場所を知ったなら、自分で来ますよ。何をするつもりか知りませんが相手が夏さんなら手下になんか当たらせないでしょう。全くの無駄だ。劉毅が来たら夏さんがおもてなしをして、そしてお開き。終わりです。他にも夏さんにお会いしたいという人が居るのなら、劉毅と同様に訪ねて来ますが、来客はそう多く無いでしょう」
「フン。ちゃんと正門から来るなら出迎えもするが、大抵ああいう客はひねくれてるからな。特に劉毅なんてのはな。……面倒な話だ」
「それに劉毅なら、夏さんが何処に居ようがやって来るんじゃないですか?」
「おっと、劉毅が探してるのは殷汪であって俺じゃないからな」
「ええそうですね。全く彼の勘違いは本当に迷惑ですねぇ」
周維は一人満面の笑みを浮かべて楽しそうに話しているが、夏天佑は憮然として溜息をつく。求持星と劉健和は周維と夏天佑、二人の妙な掛け合いを黙って聞いているだけで何が何だか話が良く分からなくなってきつつあった。