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流浪一天  作者: Lotus
第八章
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第八章 十七

 その後は暫く周婉漣の姿を見る事は無かった。殷汪を追ってこの城南まではるばるやって来て、一体、今此処で何をしているのか見当もつかない。

(まさか殷汪が此処に居付いているから自分も此処で暮らす……? そんな女じゃない筈だ)

 そんな女かどうかなど分かる筈が無いのだが、漠然とそう考える。同じ北辰教の人間であったと言うだけで今まで接点があった訳でもなく、声を聞いたのも昨夜が初めてである。求持星の中の『周婉漣像』は北辰のかつての仲間や江湖の噂で出来ている。

(俺が九宝寨の……北辰の人間だったから警戒しているのか? もしそうなら本気で殷汪にこのままついていく……? フッ、確かに俺に対しては『七星周婉漣』だが、あの殷汪の前では、ただの女になってしまうらしいな。俺はもう北辰を捨てた。何とか警戒を解いて貰いたいものだ……)

 

 求持星は時折部屋を出てはみるものの、何をすれば良いのか本気で悩んでいた。前日この街に着いたばかりである。寝て過ごしても良いのではないかとも思うが、部屋にいてもどうも落ち着かない。夏天佑は鍬を担いで何処かへ土を掘り返しに行っているらしい。確かに、何もせずにこの屋敷にじっとしているよりは遥かにましに思える。

「えー、求さん、でしたなぁ?」

 部屋の前の回廊から中庭を眺めていた求持星に声を掛けたのは通り掛かった葛林であった。

「よう休みなったか?」

「……まぁ」

「この街に何か用で来なったぁな?」

「いや」

「旦那様は何だかんだゆうてうみゃあぐやあに人を連れて来なるでなぁあ。あんたもご苦労さんだ」

 葛林の言葉は訛りがひどく、あまり長く話されると意味が分からなくなる。九宝寨にも様々な土地の者が居て色んな方言を耳にしてきたが、この葛林の喋る言葉は初めて聞くものだった。

 求持星は苦笑いを浮かべて相槌の様にも見える曖昧な反応を返し、

「あの周漣という方も、周維どのが?」

「ほうだぁ。どっかで出会ったゆうて。最初、嫁にするんか思ったっちゃ。こんな処まで来るくらいだで? 普通けぇへんわやあ。女の人が」

「周維どのはまだ独り身かな?」

「ほうだっちゃ。はよ嫁さんもらわんと」

 葛林は眉間に皺をよせて首を振った。この老人は周維の父親かそれ以上の歳で、こんな話をしていると本当に父親の様に見える。

「夏天佑どのの知り合いだった――」

「それでだぁな。こんなとこまで来たんは。旦那様から聞いただろうで。夏さんが居るゆうて。あれは相当想っとるんだろうでぇ。見とって分かるもんに」

「ほう?」

「夏さんはまだ若いで鈍いだぁな。男はあほだでなぁあ、気付けへんだっちゃ。まぁ儂らぁくらい長いこと女を見てきとるもんはちょっと見ただけで分かるで?」

「ハハ……それは凄い」

「周漣さんみたいな別嬪に惚れられるなんて羨ましいわ。それに武芸まで出来るわやぁ。昨日の変な奴ら周漣さんがやっつけただってなぁあ? ほんま凄いわ」

 葛林の舌の動きは益々加速していく様だ。求持星は相槌を打ちながら、

(確かに凄いさ。その本性を、女を見る目の肥えたあんたでも気付かない様に隠してるんだからな……)

 そう心の中で呟いて葛林から中庭へ視線を戻した。

「あーそうだ。一緒に来なった劉さんは、なんだ、旦那様と出て行きなったで。あんたも街見て来なったらええわ。中原から来なっただったら結構面白いちゃあうか」

 求持星が頷いて見せると、葛林は笑って顔を皺だらけにしながらこの場を去って行った。

(……秘伝書、と、息子か。どうやら此処には訳ありの者ばかりが集まるようだな……。集めている?)

 求持星は暫く中庭の緑を眺めてから立ち上がり、部屋に戻った。

 

「求さん? よろしいですか?」

 午後になって部屋の寝台でまどろんでいた求持星は声のした方へゆっくり顔を向けた。

(今度は……周維か)

 求持星は体を起こして寝台に座り、声に応じた。

「お休みのところ申し訳ありません」

「この先ずっと休んでいる訳にもいくまい? ただ飯を喰らって寝るだけの客を抱えてあんたに得は何も無い。何か、仕事でもくれるのか?」

 周維は何か思惑があって求持星をこの城南まで連れて来た筈で、稟施会の金持ちなら尚更金にならない事などしないに違いない。

「んーそうですねぇ。仕事、と言えば仕事ですね。求さんが宜しければ手を貸して頂きたいのです」

 周維はいつもの扇子を手にいつもの微笑を湛えた表情で言った。求持星は周維の持つ扇子が開かれるのを見た事が無い。扇子として使う事は殆ど無いようだが相当気に入っている物なのか、大抵、手に持っている。

 求持星は目の前の瀟洒な身形で佇む青年を改めて観察した。だが特別変わった処は何も無い。ずっと同じ、一風変わった男のままであった。

「俺は土いじりは出来ないぞ? 全く経験が無い」

「ハハ、勘違いしないで下さいよ? 夏さんが西の開墾に行っているのは、彼の趣味の様なものです。誰も命じてはいません。夏さんに命令なんて……誰に出来るでしょうか? フフ……」

 周維は怪しい微笑を浮かべて求持星を見ている。求持星は周維が気付かない程度の小さな溜息をついた。

(この男はいちいち回りくどいな。言いたい事をそのままはっきり言う事は無いのか? ……あまり人に好かれる男では無さそうだ)

「取り急ぎ私が取り掛からねばならないのは、劉さんの件です。戻ったばかりですがゆっくりはしていられません」

「本当に、あの劉の息子がまだ生きていると思ってるのか?」

 此処に来る道中、劉健和は『覚悟は出来ている』と言っていた。既に息子が殺されている可能性は高い。まず間違いないと言っても良い程に――。

 周維はどう思っているのか? 稟施会を使って探すのだろうが、本気で息子を助けるつもりでは無いだろうと求持星は想像している。稟施会の狙う的は秘伝書の方だろう。息子を助けるなどと言うのは表向きの事であって、そしてそれはごく普通の態度である。噂に聞こえる稟施会は『情』は取り扱わない。

「死を確認した人にとっては、その人は死人です。しかし確認していない者には、そうじゃない。『死んだ』と聞いたとしても、それだけでは完全に死んでないのです。劉さんも私も、まだ息子さんを見てもいない。だから彼は今、生きています」

 周維はそう言って求持星を見つめる。求持星は視線を床に落として黙っていた。

 


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