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流浪一天  作者: Lotus
第八章
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第八章 十六

「昨夜の二人は……恐らく……」

「ん? 思い出したのか?」

 夏天佑は椅子にもたれ掛かったまま視線だけを求持星に向けて訊いた。求持星はぽつりと呟く様に言う。

「白珪山に上がった事が?」

「上がる? ……まぁ、おかしくは無いか。俺は『登った』事は無いな。登ってたら此処には居ないんじゃないか?」

 夏天佑は笑って答えたが、求持星の堅い表情は変わらない。

「あんたは、登った事があるのか? あの得体の知れない不気味な山に?」

 夏天佑の問いに求持星は口を開く。だが音が無かった。

「登った」

 掠れた小さい声で言い直す。

「本当か? 白珪山だぞ?」

「ああ」

 夏天佑は沈黙してじっと求持星を見つめた。

 白珪山はこの国で知らない者は居ないという、誰も近寄らない霊域の山――。そしてこの国第一の壮麗さを持つ山である。その頂を目指して山に入った者は一人たりとも戻らない、魔の山とも神の山とも呼ばれている。

「……何があった? それとも何も無かったか?」

「本当に知らないのか? ……殷総監でも知り得ない?」

 夏天佑は首を傾げ、

「何だそれは? 北辰の総監と何の関係がある?」

「白珪山に人を閉じ込めているのは、邪悪で恐ろしい、人だ」

「……ハ、何だって?」

 求持星は眉を寄せて鋭い視線を夏天佑に向けている。対して夏天佑の方は薄く口を開いたまま呆然としている様子である。

「……邪悪で、恐ろしい? 人? 求さん……大丈夫か?」

「前教主と繋がりのあった一派が今もあの山に居るんだ!」

 求持星は語気を強めて夏天佑に向かって怒鳴るように言った。

「それは……初耳だが……本当か? 入った者が帰らないのも、そのせいだと言うのか?」

「近づいた者は全て殺すからだ。絶対に生かして帰さない」

「……無理だろう?」

 白珪山の名で呼ばれるその範囲は広大で、一体どれだけの人員を配置すれば求持星の言う様な事が可能なのか、考えるのも困難である。どこまで山に分け入れば近づいた事になるのだろうか。

「……頂は一つだ」

「まぁ、そうだろうな」

「方崖との今の関係は知らない。だが、劉毅様は度々山に上がっている。昨夜の二人は、その白珪山の者だと思う」

 夏天佑は今度は開け放たれたままの部屋の入り口の方を眺めて黙っている。陽を浴びた明るい緑が中庭で揺れていた。

「まだこの江湖にも面白い話があるんだな」

 そう言って夏天佑はゆっくりと立ち上がる。

「……信じない、か」

 求持星は膝に視線を落とす。確かに信じ難い。白珪山に棲むのが魔物から謎の集団に変わっただけで全く信憑性は増していない。国中の人々が畏敬の念を抱く神秘の山には人間よりもまだ魔物の方が似合っている。実際に見ない限り信じられるものでは無い。

「いや、そうじゃない」

 夏天佑は寝台に座る求持星に背を向け、入り口に向かって立ったまま言った。

「一度に聞いても理解出来そうにないしな。またいずれ聞かせて貰おう」

「……ああ」

「邪魔したな」

 夏天佑は求持星の方には振り返らず、そのまま部屋の外へと歩いて行く。求持星はその後姿を見送りながら、

(既に知っているのか? 聞きたくないのか? 興味が無いのか?)

 と、疑問を繰り返す。

(あの殷汪だ。相当変わってる)

 

 ぼんやりと見ていた夏天佑の体が、部屋を出た所でぴたりと止まる。求持星は目を見開いた。

(何だ?)

 夏天佑は真っ直ぐ中庭の方を向いて立ったままじっとしている。次の瞬間、求持星が体を強張らせて目を細めた。

 風――。夏天佑がこちらに向けている背中から猛烈な風が一気に巻き起こる、そんな感覚を覚えて求持星の胸が早鐘を打つ。

 動けない。いや、今から動いてももう遅い。風は既に求持星にぶつかり、後方へと去っている。求持星は恐る恐る瞼を開き、正面の夏天佑の背中を見た。それはまだじっとしたままそこにある。その体からは刃物の如き鋭い気が放射されている様でありながらもその輪郭がまるで陽炎の様に揺らぎ、夏天佑は力を込めた拳を下げたまま顔を正面に向けていた。

(い、殷汪……)

 夏天佑の顔が僅かに左に向く。後ろからではその目は見えない。しかし、口の端だけが求持星にも僅かに見る事が出来た。

(……笑っている?)

 確かに夏天佑の口元は僅かに笑みを浮かべていた。

 夏天佑の顔はゆっくりとまた正面を向き、そのままこちらに振り返ろうとする。それに合わせるかの様に求持星は思わず背中を仰け反らせた。頭が考えるより先に体の芯から沸き上がる反応――。

 こちらを向いたその顔からは笑みが消えていた。その後改めて求持星に向かってにやっと笑いかける夏天佑。先程の口元だけの笑みとは全く違う、ごく普通の表情だった。

 夏天佑は歩き出し、部屋の前から姿を消した。

(な、何だったんだ? 今のは……)

 求持星は寝台に腰を掛けたまま、先程夏天佑の立っていた場所を呆然と眺めている。そうしていると、暫くしてから不意にふわりと白い色が視界に入って来た。そしてそのまま留まる白。求持星はハッとなって顔を上げた。

(周婉漣!)

 部屋の正面に夏天佑と入れ替わるように立ったのは、周婉漣であった。ずっと部屋の近くに居たのか、偶然、今通り掛かっただけなのかは分からない。

 周婉漣は部屋の中の求持星を見る事無く、俯いた姿勢で通り過ぎて行った。

 


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