第八章 十
「やはり! 九宝寨の者では無いな! これほどの動きが出来る者なら俺が知らん筈が無い!」
「お前も評判通りという訳だな! 求持星!」
(評判? ……そんなものあるか)
「まさかここまで動けるとはな! お前を殺すのは惜しいがしかし劉毅様の命だ。逆らえん」
評判とやらのとおり腕は認めるが、しかし殺す、と言う短剣の賊はにやりと求持星を見た。
(劉毅様には逆らえない――そんな筈は無い。確かに後悔するほど辛く危険な目に合わされるかも知れない。だが、だから逆らいたくないだけで出来ない訳じゃない。俺は受け入れる。後悔だってきっとするだろう。たとえ最後は肉を切り刻まれ骨を粉砕されつくしても、構うものか。苦しくなったら、『苦しい』と地を這い、痛かったら泣いて叫ぶさ。今、最も重要なのは、俺の望みは無事で居られるとかそんな事じゃない。過去の俺と決別する事だ)
求持星は短剣をかわしながらも落ち着いた声を出す。
「劉毅様が九宝寨を総動員して俺を追わせたとしても、どうでもいい。俺如きにそこまでする事は無いがな。それにお前達の仲間が加わったとて大差無い。どこの者か知らんが大方この倚天剣を横取りしたいのだろう? 本当に劉毅様に献上するか?」
短剣の賊は暫く黙ったまま相変わらず跳躍を続け、答えを考えている様にも見えたが、結局それについては何も言わなかった。
「お前の武芸は何処の物だ? 短剣二本使うのは、物まねか?」
「フン! 何とでも言え」
賊は急に跳躍の方向を変え、短剣を掴んだ両腕を大きく旋回させながら求持星に襲い掛かる。だがやはり届かない。求持星が後方へ退く方が速かった。
「俺は腕にも、この足にも自信があったんだが、この広い江湖には更に上を行く者が、フッ、ただの金持ちに雇われて用心棒をやっていたりする。お前の短剣も今此処にある倚天剣も、多分意味が無い程、桁違いの技を持つ者がな」
「ほう、そいつはどこだ? そんな者は見当たらないが」
「此処じゃない」
「だろうな。ここの用心棒にそんな技は無さそうだしな。お前、あの二人を助けに行ったほうがいいんじゃないか? そろそろ限界が近そうだぞ?」
短剣の賊のいう二人とは洪破人と石。求持星も時折様子を窺うが刀の賊の動きには余裕まで感じられた。
「夏さん」
周維が再び体を夏天佑に向け、いつに無く真面目な表情を作って言った。
「どうか手を貸して頂けませんか?」
夏天佑は膝の上に立てた腕で頬杖を付いたまま、立っている周維を見上げた。
「何に?」
「まずは……」
「まずは?」
「あの二人の男、うん、多分男で合ってるでしょう。あれを退けるには洪さん達だけでは難しそうです。加勢して頂ければ……」
「……よくここの用心棒は今まであんたに付いてきて無事で居られたな。あの賊がもっと腕が立つ奴らだったらもう終わってる。まあ、まだあいつらは終わらないと思うがな」
「ハハ……いや、今は夏さんも周漣さんもいらっしゃる訳ですから、気が大きくなって油断しましたかね。反省致します」
そんな話を周維がしている間にも求持星は足を止めず、洪破人らも必死に防戦して耐えていた。
「ま、食わせて貰ってる訳だし、嫌とは言わん」
夏天佑はそう言って石段から腰を上げた。すると周漣が夏天佑の正面に立ち、
「私が参ります」
「……あの求さんにやらせたのはお前だろう? 何と言ってあそこに行く?」
「もう少し出来るのかと思っておりましたが――」
「姿を眺めるだけで分かるのか。当たれば凄いが出鱈目だった訳だ。もっとその眼力を磨くんだな。というより、最初からお前が行けば良かったな。あいつらを見つけたのはお前が最初なんだろう?」
「それは……求持星が何者かを知る為に――」
「……死んだら死んだで、どうでも良かったか? フン。どけ」
夏天佑が周漣の肩を押しのけ、周漣は足をもつれさせてよろめいた。それを見た夏天佑は顔を顰めて睨んだがすぐに顔を戻す。数歩歩いてから周維に振り返った。
「生かして返すのか?」
「……いや、あの者達のお仲間が何処の、どれほどの者達か分かりませんが、生かして返せばすぐにまた来るでしょう。しかも、次はこんな丁寧なご挨拶ではないでしょうね」
「殺したことがばれても同じだがな」
「どちらがの可能性が高いか、という話ですよ。最悪はそうですが、二人だけでやって来たのなら時間は稼げますし、それなりのおもてなしの支度もしておけるというものです」
周維が話す言葉は普段と変わらない軽口であるが、表情は真剣そのものである。
夏天佑は再び歩き出した。
洪破人と石はどうやらかなり疲れてきたらしく、殆ど攻めの手は出ていない。対して衰えを見せない賊の刀は派手に風を切る音を立てながら二人をじりじりと後退させていた。
「洪、代わろう」
夏天佑は洪破人の背後から声をかけた。刀の音が消える。
「お前は、倚天剣の持ち主とかいう者だな? あの名剣を所有するからにはさぞ腕が立つ事だろう。クク」
刀の賊は顔を覆った黒い布の下からくぐもった声を出して笑う。その隙に夏天佑の横まで下がった洪破人と石はどちらも上体を前に傾け肩で息をしていた。
「……夏さん、すまねぇ」
「周維は生かして返すのはまずいと言ってる。何故皆でやらない?」
周りには用心棒が八名、周りを取り囲んでいる。全員で当たればかなり状況は好転しそうにも思える。
「……もう少し持ちこたえてとにかく……逃がさない様にすれば他にも……うちの会のが駆けつける筈だ。それからの方が捕らえやすいと思ったんだが……俺がこんな腕だからな……」
ほんの一瞬だけ洪破人が笑ったが、荒い呼吸を抑えるのに精一杯であった。
「おい、お前」
刀の賊が言う。
「あっちで飛び回ってる倚天剣、あれはお前の物だろう? では、もしお前が負けたら差し出すという事にしないか? 求持星や他の者達が傷付く必要など無いのだ。今、お前が持っていけと言ってくれたら、お前も危ない目には会わない」