第八章 六
「しかしそうなると、求さんの行動は変ですねぇ。あなたは倚天を追うという命令に反して道中で手に入れる事にした訳ですから、行った先に殷総監が居るかどうか分からなくなる。劉毅の命令はどうなったんです?」
周維は言いながら微笑を浮かべた顔を求持星に向けた。
「ほう」
夏天佑が求持星と周維を交互に見比べる様に視線を動かした。単に道中で知り合って少なくとも表向きは仲良く旅をしてきたという訳でも無いらしいと想像する。
「俺は今は……もう九宝寨の配下とは違う。劉毅様の後、喬高様が寨主となられた事は知ってるか?」
「喬高? ……あれが九宝寨の寨主に? 劉毅はまだ引退する歳でもなかろうに」
「きっとあんたを探す事に夢中で、他の事は煩わしくなってきたんだろう。正式に寨主になる以前からうちの殆どは喬高様が仕切るようになっていた。俺は喬高様の配下だった」
「喬高か……。周漣、知っていたか?」
夏天佑は周漣に顔を向ける。先程までは傍目には随分冷たくあしらう様な接し方を周漣に対して行っていた夏天佑だったが、今度は唇を緩めてそっと見つめるような優しい顔を見せた。
「喬高を寨主にという話は聞いていました。最近では私達七人は何もする事がありませんから殷総監が出奔した時、方崖に召集されたのは久しぶりの事でした。でも……あの時喬高は方崖に来ていません。劉毅は、突然の事で喬高は九宝寨の方で手が離せないから自分が命を伝えて当たらせる、と言い、張新はそれを了承したのです」
周漣は顔だけを夏天佑に向け、答える声は少しばかり明るさを取り戻している。
喬高という人物は九宝寨寨主劉毅の部下であったが劉毅の弟分の様なもので、特別な存在であった。周漣が言った様に北辰の七星が召集される時は喬高もその命に含まれる。彼は劉毅と同じ、北辰七星の一人なのである。
「では、喬高様が……、死んだ事は?」
「何?」
「どういうことですか?」
求持星の呟きに、夏天佑と周漣は即座に反応して聞き返した。二人には相当意外な事だったらしく、求持星を見る目に力が籠もっている。
「喬高様は殺された。俺は……まだ生かされているだけだ」
「誰にだ?」
「……多分、劉毅様だと思う」
「周漣、劉毅に喬高が殺せるか?」
夏天佑が周漣に尋ねる。
「それは……出来ない事はないと思います。本人が直接手を下さずとも方法はあるでしょうし、仮に直接二人が対峙してもやはり劉毅の方が上手です。でも……何故に?」
歓声に似た笑い声が再び響く。葛林夫婦とその周辺は何やら大いに盛り上がっている様で、こちらの話は全く耳に入ってはいない。ただ洪破人だけが体をこちらに向けて聞き逃すまいとしていた。
「皆さん、その話はまた後でじっくりしませんか。劉さん、すみませんねぇ」
周維が酒壷を取り上げて劉健和の杯に酒を注ぐ。流石にもう話が理解出来るのは求持星と夏天佑、周漣の三人しか居ない。
「ああ、いや、大事な話の様だし、俺の事は気にせず……」
「武慶の酒は少しは旨くなったかい?」
夏天佑は求持星の話など全く聞かなかったかの様に笑みを浮かべて劉健和に向き直った。
「あー、いや、どうもあそこの連中はただあれを造り続けるだけでして……あれ以上良くしようという気はさらさら無いらしく……」
劉健和の話し方がぎこちない。かなり若く見える太乙北辰教の元総監にどんな口をきけば良いのか判断しかねている様で、明らかに戸惑っていた。
「劉さん。俺は夏天佑という若造だ。何も遠慮はいらないさ。歳も、あんたより大きく見えるかい?」
「いや……ハハ」
劉健和は噂なら良く知っていた。殷汪は若返る秘術を習得している――。
「あんたはどうしてこんな処まで? やはり商売か?」
「それについては、夏さん。後で是非聞いて頂きたい話があるんですよ」
周維の言葉に、
「後で、か? お前は何でも勿体ぶるんだな。じゃあ今は何を話せばいいんだ?」
夏天佑は『分からない』といった風に首を振り、目の前の杯を掴んだ。
「まぁまぁ。ほら皆さんまだ食事が進んでいませんよ。さぁ、求さんも。飲みましょう」
周維は酒壷を差し出して求持星が杯を手に取るのを待つ。求持星は周維をじっと見てから、
「……貰おう」
そう言ってようやく杯に手を伸ばした。
その後は皆、主に周維の土産話を肴に酒を飲んだ。都で倚天剣を手に入れるまでの話や武慶で見た真武観の話である。劉健和も自らの商売の事や武慶について、夏天佑に聞かれるがまま答えていたが、自分の息子と秘伝書の話は周維が改めて話すという事の様なのでこの場ではあえて話さなかった。話すのは三人のみで、周漣と求持星の二人が口を開く事は全く無かった。
広間でのささやかな酒宴がお開きとなり、劉健和と求持星はそれぞれ用意された部屋へと案内され、他の者もそれぞれ戻っていった。
「ああ、洪さん。お疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい」
広間を出たところで洪破人が居るのを見つけた周維は、そう声を掛けた。
「旦那、……周漣さんの事、知ってて此処へ? 流石に驚いちまったよ。まさか本当に北辰の……」
「ハハ、流石に自分を知る求さんが目の前に居たのでは隠せませんしねぇ。周漣さんも諦めたんでしょうね。まぁ、此処ではその事を隠そうが明かそうがあまり関係無いでしょう。夏さんだって自分が殷汪である事を否定はしなかった。ま、彼なら仮にいくら追っ手が来ようが気にしないでしょうがね」
「やっぱり、殷総監を探す命を受けて? しかし夏さんに対して特に何かする訳でもなし……。もし周漣さんが方崖にこのまま報告しなかったら、周漣さんも夏さんと同じ……いや、違うな。夏さんは一応死んだ事になってるし、それを疑ってるのは七星の劉毅とやらだけなんだろ? けど周漣さんは北辰教から追われる事になるんだろうな」
洪破人は力無く俯く。
「洪さん。周漣さんが心配なんですね?」
「ん? あー、いや、俺が心配してどうかなる話じゃねぇよな。ハハ……」
「そうでしょうか?」
薄く笑う洪破人を、周維は真顔で見ながら言った。