第八章 五
周維が剣を夏天佑の目の前に差出し、
「どうぞ」
夏天佑の顔を覗き込むようにして見ている。とにかくその話を止めさせようという訳で、そのままの姿勢で夏天佑が剣を取るのを待っていた。
「懐かしいな」
夏天佑は剣を持つと椅子の背にもたれて剣を持ち上げ、じっと鞘の装飾を眺めている。
「抜いて見ないのですか?」
周維の言葉に、
「これはこの装飾に価値があるんだろう? 此処に飾っておいたらどうだ?」
夏天佑はそう言って卓上に置くとまた椅子にもたれてぼんやりと眺める。
「確かに豪華な造りですし、古代の王が作らせた名剣というだけで高値が付きますが、これの真の価値はそんなものでは無いと思いますねぇ。これを『剣』として使う事の出来る人間に価値がある、と私は思うんですが。あ、劉さんにお見せしても良いですか?」
「ああ」
周維は再び剣を取ると、今度は劉建和に差し出した。劉建和は受け取る前から目を皿にして見入っていた。
「手に取って見て頂いて結構ですよ」
「……」
劉建和が夏天佑にお伺いを立てる様に視線を送ると、夏天佑は体を起こして組んだ腕を卓上に乗せる。ニヤッと笑って頷いた。
劉建和は無言のまま鞘の装飾を見る角度を変えながら値踏みするかの様に考え込む。きっとこれが劉建和の仕事をする顔なのだろう。
「ハハッ、どうして誰も抜かないんです?」
周維は劉建和の動作を暫く眺めてから笑い出した。劉建和は一向に柄を握ろうとはしない。
「いや、ハハ……俺は正直なところ剣はよく分からなくてね」
そう言って周維に返そうとする。
「求さんは……どうです? わざわざ追いかけてこられた訳だから、一度ご覧になっては?」
周維の言葉に、求持星はゆっくりと顔を上げる。隣で劉建和が倚天剣を眺めている間、一度も視線を上げずに俯いていた。
「いや……いい」
掠れた声。視線は倚天剣から逸れている。
「……話させてくれないか。大した話じゃない。だがもう話してすっきりしたいんだ。そして周……漣、さんに『どうするか』決めて貰いたい」
「言っておきます」
殆ど間を置かずに周漣が口を開く。
「無駄な話は要りません。あなたが夏天佑様の敵か否か。それだけで判断します」
口以外は全く動かない。まるで空気の振動を察知して気配を掴む盲目の使い手――。
「俺はどっちでも構わんが」
夏天佑はそう言って求持星を見つめた。
暫く沈黙があって後に、求持星が話し出す。
「今の俺は多分、殷総監の敵でも味方でもない、と思う」
「では、去りなさい」
即座に周漣が言う。すると夏天佑が隣に立っている周漣を見上げた。
「お前は黙れ。そろそろお前が去ったらどうだ?」
無表情で視線を投げる夏天佑は不機嫌そうな声を出す。
周漣の表情は変わらないが一瞬、肩がぴくりと動く。ほんの少し間があり、それから周漣は黙って椅子に腰を下ろした。
「俺は倚天剣を――」
「待てよ。まだよく聞いてなかったが、あんたは九宝寨で、劉毅の手下? 周維、……客なのか?」
求持星の言葉を遮った夏天佑は周維へと視線を移し、
「つまり、俺を探しに来た北辰の者なのだろう? これと、同じ――」
首をまわして周漣を見る。周漣は変わらず前を向きやや俯いたままじっとしていた。
「何故そんな客ばかりなんだろうな?」
「ハハ、私が探してお連れしている訳ではありませんよ? 偶然ですねぇ。ほら、劉さんは北辰教とは無縁の方ですよ」
にこやかな表情で愛想を振りまく周維を夏天佑は頬杖をついて眺めた。
求持星は夏天佑に向けた目に力を込める。
「劉毅様に、『倚天剣を追え』と命じられた。都で見つかり、稟施会が買ったという事も劉毅様から聞いていた」
「うーん、『私』が買ったんですがねぇ」
周維はそう言って肩を竦めるが、誰もその様子は見ていなかった。結局、求持星の話を遮る事は出来ない様だ。
「それと、倚天剣の行く先に、『殷汪』若しくは『夏天佑』という人物が居るかも知れない。その辺りを探っておけという事だった」
「何故、俺の名を劉毅が知っている?」
夏天佑は眉を顰めて求持星を見返した。
「それは聞いていない。どっちにしろ殷総監の捜索だろうと俺は思った。夏天佑という人物は殷総監と何らかの関係を持つ者の筈。劉毅様は『殷汪』か『夏天佑』が居る――と言ったんだ。北辰では、いや、今江湖では殷総監は死んだとされているが、劉毅様はそうは思っていない。劉毅様の考えは当たっていたという訳だな。『夏天佑』が居たんだからな。しかもそれが……あんたが、殷総監だったなんて……」
「あなたは――」
周漣の少し小さくなった声が聞こえる。周漣は声を発して何かの様子を窺うように間を空け、続けた。
「本当に北辰の者ですか? 夏天佑様を殷総監であると知った上でそのような口がきけるとは思えませんが」
確かに北辰教徒で殷汪をあんた呼ばわりする人間は居ない。命が無いからである。一教徒が本人に直接言う機会はまず無いが、何処で誰に言ったとしても相手が北辰の縁者であればまず無事では居られなかった。
周維達の前に姿を現した時、教主陶光を呼び捨てにした周維に対して何の反応を示さなかった事からも求持星が北辰教の者なのかどうか疑わしい。
「何言ってるんだ? 俺は方崖で人を切って逃げたそうだが、すでに俺は反逆者といったところだろう。総監でもなんでもない。お前だって俺を捕まえにわざわざ来たんだろう?」
夏天佑の冷ややかな目が周漣に向けられると、周漣は再び口を噤んで俯いてしまった。