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流浪一天  作者: Lotus
第八章
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第八章 一

 数年前まで人の手が入っていなかった荒野が徐々に切り開かれて、耕された黒い大地が遠く南に見える山の麓にまで続いている。

 この国の最南端。山を越えればそこは異国の地である。かつてこの城南(じょうなん)の地がこの国に併呑された際、朝廷はちっぽけな集落とそれを取り囲む広大な荒地であったこの土地の開発に力を注いだ。

 しかし新たな国境の街となる城南に砦が設けられる事は無く、朝廷はこの城南の地を他国との緩衝とした。これは異例の事であるが、城南はその名の如く永く国境であった以前の城壁の南、つまり外にあり、しかも当時はこの土地を手に入れる事による益は殆ど無いと考えられており国境の城壁を移す計画も無く、当初は軍を駐留させてはいたがそれに掛かる費用を抑える為にその大部分を撤退させ、城南の街づくりの計画を変更する事となったのである。

 交易の地。城壁の無い交流の地。そう位置付けて街を内外に開放する。これを聞いた人々は皆、「そこは『我が国の領土』なのか?」と首をかしげた。しかし朝廷は方針を変える事無く、僅かな軍と一つの組織を配置して街づくりを推し進める。その組織というのが稟施会(りんしかい)であった。

 稟施会という組織はこの時に作られた訳ではなく、かつては中原(ちゅうげん)に本拠を置いていた交易商の団体であったのだが、朝廷の命により城南に移された。しかしこれは表向きの事で、城南の地に於いて主たる交易と城南の統治に関わる権限を広く与えるという条件付きの誘致であった。この事を知る僅かな者達の間では、「朝廷は城南をまともに治める気など無いのだ」と噂されている。少しの軍と商売人に任せて土地を守れる筈も無い、という訳である。

 ではいずれ攻め取られるか? といえばそれも考え難い。何しろ今まで誰も手を付けなかった土地なのだ。しかも未だ街として完成していない(ひな)びた集落となればそこを奪い合って戦を起こすなど、まさに不毛である。

 一方、「中々うまく考えたな」と唸る者達も居る。稟施会が城南を新たな拠点と定めて以降、急激に集落は拡大し、あっという間に交易の為の街が作り上げられたのである。土地の開発は勿論の事、異国との取引の仕組み等も稟施会が全てを作り上げて運用を開始した。絶大な権利と国の入り口となる土地まで与えられたのだから稟施会の様に力があって貪欲な者達にとっては絶好の商機であった。朝廷は殆ど動いていない。稟施会が朝廷の庇護の下で活動を行っているという名目さえ保たれていればそれで良かった。

 稟施会は『窓口』ではなく国交の場そのものとなり、城南のほぼ全てを取り仕切る。軍と中央から派遣されている城南の長官は目付け役に回っているが、しかしそれすらも表向きの事であって、中原から遠く離れた辺境の地に赴任させられる者は大抵中央への忠誠心も薄れるというもので、まさしく傀儡(かいらい)である。

「交易を牛耳っている組織」

 と、城南を訪れた事も無かった武慶の商人、劉建和(りゅうけんわ)の言は当を得ていたが、牛耳っているのは交易だけではなかった。

 

 稟施会が荒れた土地を開墾して農業に力を入れ始めたのはごく最近である。他国との交易の為の準備は随分早くに整いそれに伴って街は拡大したが、周辺の広大な荒地の用途は長く決まっておらず、数年前、稟施会はようやくその荒れた土地に手を付け始めた。その主たる動機は、各種作物の新たな取引手法の開発である。 

 農業ほど人々の生活に密着し最も重要な産業は無い。有史以来、知恵と技が新たに生まれ、人々を生かし続ける。城南の残った土地をこの国で最高の農地とする計画を稟施会が公表すると、それが可能かどうかはともかくとして人々は諸手を上げて賛同した。広大な土地を開墾するとなれば人手が要る。商いに必要な知識を持たない者でも仕事にありつけるのだ。

 稟施会は城南で人夫を集めるだけでなく、国中から農業に関する経験と技能を持った人材を集めた。ひとえに農業といってもあらゆる分野があり、何よりそれぞれに関する豊かな経験が重要となる。

 稟施会がやることである。利を最大限に引き出す努力を惜しむ事は無かった。

 市街から西の丘陵地帯には未だ手の届いていない林が広がっていた。林といっても殆どの木が枯れ、或いはすでに朽ち倒れて人の背に届こうかという茂みに埋もれている様な場所である。その周辺は開墾が進んでおり、ようやくその林に取り掛かれそうなところまで来ていた。しかしこうした場所は何箇所も在り此処だけに人を集中させて作業出来る訳ではない。まるで敵と対峙しながらをじわりじわりと陣を前進させていく様な、根気と忍耐力を必要とする作業だった。

 

(おう)さん、こんな早よ切り上げてええんか? こんな明るい内に帰ったらかみさんに『さぼったんか?』言われるちゃあうか」

「丁度区切りだでなぁ。明日から中行くで今夜はゆっくり休んどきにゃあな」

 西の林へと続く道の傍らで鍬を担いだ中年の男が喋っているが、遠くからは相手の姿は見えない。道より随分低い位置にある用水路の中に老人が居て鍬や鋤といった道具を洗っていた。

「久しぶりに明るい内に酒が飲めるわ。ありゃあええ気分だで」

「ハハ、お前赤い顔して帰ったら益々かみさんに疑われるで。飲みすぎたら明日大変だで程々にせえよ」

「ああ。そうする。じゃ、王さんお先」

「ああ」

 もう随分陽は傾いているのだが十分に明るい。普段は暗くなってから仕事を終えるのだろう。家に帰るのか、それとも街の酒場へ向かうのか分からないが、鼻歌まじりで帰っていく男の足取りは軽かった。

 王老人は黙々と道具を洗い続ける。綺麗になった物から上げていき、各種道具がまるで展示品の様に道に並んでいく。最後に鎌が一番端に加えられ、王老人はようやく用水路から這い上がった。

 道で腰を伸ばしながら王老人が眩しそうに目を細め、そして微笑んだ。一人の女が赤い陽を浴びて長い髪をたなびかせながら静かに歩いて来る。女は音も無く王老人に近づくと首を小さく傾けて会釈した。長い睫は伏せられ、まるで目を閉じている様にも見える。若いがおそらく三十は過ぎているであろう落ち着いた雰囲気の年恰好、腰の前で両の手を組みその場でじっとしたままの女はまるで人形の様で、全く変化しない表情に初めて会う者は奇妙な女と訝しむだろう。この女だけが周りとは別の、時の中に佇んでいる。

「もう、周の旦那は帰ってきなったか?」

 初めて会う訳ではない王老人はそう親しげに女に声を掛けた。

「どうでしょうか。まだ私はお屋敷に戻っておりませんので」

 極めて小さく動いた唇から丸い玉の様な声が放り投げられ、王老人に届けられる。王老人はうんうんと大きく頷いた。

「まあまた寄らせてもらうわぁ。」

 女は黙って小首を傾げ、僅かに口の両端を引く。きっと、微笑んだに違いなかった。

 


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