表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
流浪一天  作者: Lotus
第七章
56/256

第七章 十八

「よく覚えてたな」

 孫怜は言いながら樊樂が勧めるのを断り続けたその酒杯を手に取り、空いた茶碗に注ぐ。

「おーい、こっち酒」

「はい、只今」

「やはり昔話には酒だろ。朝だろうと何だろうと、酒だ」

 樊樂は新たに酒を追加で注文すると、僅かに残っていた自分の杯を干した。

「樊さん、ちゃんと加減して下さいよ?」

 劉子旦が眉を顰めて言うのを樊樂はそれをさっと手を振って軽くあしらう。

「まったくお前ら揃いも揃っておかしな奴ばかりだったな。嬋はおっかねぇし、俺はあの夏が苦手だった。何考えてんのかよく分からん奴だったしな」

「……そうだな」

「あいつらも今は何処に居るか判らないのか?」

「ついこの間、武さんがこの街に来た」

 孫怜は酒に少しずつ口を付けながらゆっくりと話す。

「ほう。昔から老けてたからな。もう爺さんになってたか?」

「いや、今は歳相応だろう。武さんは俺より十程大きいから、もう五十になってるな」

「今、何処に居るって?」

「樊、驚くぞ。武さんは清稜派の木傀風道長と一緒に居たんだ。向こうに住んでるらしい」

 樊樂は驚いて暫し表情が硬直した。口を開けて詰め込んだ飯がこぼれそうになる。

「木道長だって? 怜、お前会ったのか?」

「まさか。武さんだけが家に来たんだ。いや、武さんだけじゃなかったな。なんと、嫁を貰ったそうでな。しかもつい最近らしい。嫁も見た。若くはなさそうだったが中々の人物の様だったな」

「お前、人の嫁を評するのに『中々の人物』っておかしいだろ」

「そうか? とにかく武さんが何故、清稜なんかに住む気になったのか分からなかったんだが、そういう事だったんだな。納得した」

「あの、木道長が来られたというのは、真武剣派の英雄大会に行かれたんでしょうね」

 劉子旦が言うと孫怜は大きく頷いた。あまり酒に強くはないらしく、酔っているという程ではないが、普段の孫怜とは少しばかり様子に変化が見られる。

「その帰りだった様だな。なんでも、木道長が先を急ぐらしくてあまり時間は無かったんだが、まあ、色々と話したよ」

「武のおっさん、まさか清稜派に弟子入りしたとかじゃないよな?」

「違うそうだ」

「ふーん。おっさんは清稜か……。他の奴等は不明か?」

「嬋と天佑(てんゆう)は行方知れずだな。少風は分かってる。東淵(とうえん)だ」

「馬公な。あいつが一番相手してて面白かったな。滅多にしゃべらねえけど。ハハハ」

「樊さん。もう酒は止めときなって」

 樊樂が愉快そうに声を上げて笑うと、横の胡鉄が腕を引っ張った。日焼けした顔では赤いのか青いのかその顔色は窺えないが、樊樂が色白であったなら恐らく酒で赤くなっているに違いなかった。

「分かってるって。これで仕舞いだ」

 樊樂は先程この宿の者が運んできた銚子を掴み、胡鉄の眼前で振って見せる。まだ半分も減っていないそれをまた元に戻すと再び孫怜の方に向き直った。胡鉄と劉子旦は顔を見合わせて口を曲げる。まだこの小さな酒席は暫く続きそうである。まだ早朝であるという事を樊樂は覚えているのだろうか。

「東淵とはまたえらく遠くまで行ったもんだな」

「最初は天佑と一緒に此処を出て行ったんだがな。今は東淵の金持ちの家で用心棒として雇われているそうだ」

「……あいつ確か、剣、出来なかったよな?」

「フフ、そうだったな」

「その金持ち、何を思って雇ったんだろうな、ハハ」 

「さあな。天佑と一緒に居たなら多分、天佑の方を雇うだろうな。東淵に行った時にはもう一緒じゃなかったんだろう」

「あのう、その天佑って人は、夏天佑というお名前ですか?」

 樊樂と孫怜の会話の隙を見計らって劉子旦が口を挟んだ。

「ん? 知ってるのか? 知ってる訳が無いか。俺がこっちに居た二十年程前にそいつも居たんだからな」

「樊さん、今、周の旦那の所に居る客人、確か『夏天佑』という名だったかと……」

「んん?」

「……城南に?」

 劉子旦は樊樂と孫怜二人揃って自分の方に身を乗り出してきたので慌てて体を引いた。

「樊さんも見たでしょう? 確かあの人、夏天佑――」

「何言ってんだ。全然違う」

 樊樂は劉子旦に体を向け改めて椅子に座り直し、

「いいか、今、怜と話してるのは俺らと歳も同じくらいで昔よくつるんでた奴だ。顔くらいは覚えてる。旦那の処に居る奴は結構若いぞ? 旦那よりも下なんじゃないか?」

「……まぁ、そうですね。私達くらいか、もう少し若いか……。珍しい名でもないし、関係無いのかな」

 劉子旦はあっさりと納得する。周維が屋敷に迎え入れた夏という男は大きく見積もっても三十代前半くらいに見え、とても樊樂や孫怜と共に二十年前この呂州で過ごしていたとは思えない。

「……若い夏天佑、か」

 孫怜が呟くと、樊樂はまた体ごと向きを変えて孫怜を見る。

「別に似てもいねぇし、別人だ」

「そうか」

「もう皆揃う事は無い……か?」

「どうだろうな。嬋と天佑の行方は微塵も手掛かりが無い。フッ、本気で探そうとした事も無かったがな」

「馬公が東淵か……。遊びに行きたくてもそんな暇はねえなぁ。金も要るしな」

 樊樂は椅子の背に体を預けて天井を眺めながら溜息をついた。

 この国の人間が東淵に行くといえば大抵、夏の暑さを避けて物見遊山に赴き湖に船でも浮かべて楽しむ為である。わざわざ遠く東にある東淵まで行くからにはとても普段は出来ない遊興三昧といきたいところであるが、一介の庶民風情では如何せん東淵にたどり着く頃には路銀も尽く――といった具合で、特に東淵から遠い場所に住む者にとっては『一生に一度くらいは』と考える程、縁遠い街であった。

「仮にその徐という男が景北港(けいほくこう)に行ったと判ったらどうするつもりだ? 金も日数もかなりのものだ。断念するのか?」

 孫怜は樊樂だけでなく胡鉄や劉子旦にも顔を向ける。樊樂はまた『何とかなる』くらいの事しか言わないに違いない。殆ど脇士の様な存在である二人が『何とかする』のだろうと考えていた。樊樂の言動がいつもいい加減なのは昔から理解している。そして何故か稟施会の仕事はうまくやっている。常に脇に控えている胡鉄、劉子旦が樊樂に度々苦言を呈するのを孫怜も目にするが、かといって二人の不満が高まってきている様な気配も無かった。要するに、樊樂は『うまくやっている』のである。

 胡鉄と劉子旦は黙って樊樂を見ている。

「都に行けば金はいくらでも都合出来る。しかし時間が掛かり過ぎるからなぁ……旦那に確認を取ったほうが良いだろうな。それも時間掛かるけどな。旦那はもう城南に着いた頃だ」

 樊樂は腕を組んで少し考えた後、

「返事待つより徐を追った方が早いな。旦那はとりあえず俺に任せるって言ってたし、とにかく居るのが何処だろうと追っかけてとっ捕まえるさ」

「都の稟施会の者も使えるのか? 徐を見つけたとして俺達四人でそいつらを相手にするのか?」

「なぁに、心配はいらん。ただのごろつき連中だ。お前一人でもどうって事無いだろ」

「俺か。お前じゃなくて、俺か」

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ