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流浪一天  作者: Lotus
第七章
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第七章 十六

 呉琳がスッと腕を伸ばし卓上の剣を一振り手に取った。他の四人は声こそ出さなかったものの、僅かではあるが場に緊張が走る。呉琳はそれをどうするのか。

「怜さん。……駄目よ。もう随分久しぶりの仕事なのよ? やらなければ」

 手に取った剣を眺めながら呟く。

「琳?」

「『孫怜』が何をやるのか、江湖は注目しているわ。さあ、これを持って。怜さんじゃなければこの世の悪は払えない。怜さんと、この剣でなければ!」

 呉琳は剣を孫怜の胸に押し付けた。

 昔の呉琳に戻ったのかと孫怜は思っていたが、どうやらそうでは無いらしい。樊樂は今まで一度も『この世の悪を滅する仕事』など持って来た事などは無い。悪人を懲らしめると言えば稟施会を狙う小悪党に灸を据えた事があるが、その程度であった。

「琳。俺が行けばお前は一人だ。もう此処には随分前から誰も来てないだろう?」

 孫怜の声は随分と柔らかく、まるで幼い愛娘に接するかの様である。しかし呉琳は孫怜を睨み返す。

「私の事なんか気にしてどうするの! 私なんか捨て置けばいいの。この先、私は『孫大侠』の足枷になる。だから私は消えるわ。私は、もう消える」

 次の呉琳の動きはことのほか速かった。新たに卓上の剣の柄を掴んだかと思えば、勢い良くそれを引き抜く。腕を剣と平行に真一文字に振ると卓上に鞘のみを残してその刃が姿を現した。

 呉琳にこんな芸当が出来るのかと一同驚愕する程その挙動は速く、そして美しく決まっていた。だが皆黙って眺めてはいない。呉琳の動きが速ければ速いほど、孫怜や樊樂らの警戒と反応の度合いも増す。呉琳の後方からその腕を掴み剣を素早く奪い取ったのは樊樂だった。

「お前が消えたら、さすがの怜も……孫大侠も仕事の手が鈍るってもんだ。呉琳、お前が無事に待っていられるなら何も問題は無いんだ。今度の仕事はなかなかでかい話でな。時間が掛かるかも知れない」

 呉琳は一切の動作を止め、樊樂の言葉に耳を傾けている。「消える」と言った呉琳は放っておけば抜いた剣で自らを傷付けようとしたに違いないが、それにしては全く取り乱してもいないどころか、すでに自分のしようとしていた事を忘れてしまったかの様に静止していた。

「琳、お前が、必要だ」

 孫怜は呉琳を引き寄せて抱きしめる。呉琳は感情を高ぶらせている様子も無く、ただじっと孫怜の胸に頬を寄せて宙を見つめていた。

 

 胡鉄が口を開く。

「樊さん。お二人に城南に来て貰ったらどうですかね?」

「……」

「多分、何も問題は無いでしょうね。うちとしても助かるんじゃないですか?」

 劉子旦もそれに同意する。

「まあ、そうだな」

「樊、待ってくれ」

 孫怜は呉琳を抱いたままで顔を樊樂に向けた。

「樊、今日のところは……。明日、俺が行く。宿を教えてくれ」

 一先ず呉琳を落ち着かせなけばならなかった。孫怜の腕の中でじっとしている呉琳はもう充分落ち着いている様にも見えるが、先程の様に突然変化してしまう事も考えられる。おそらく不用意な言葉が耳に入る事は好ましくないだろうと、心の病には全く明るくない樊樂にもそう思えた。

「そうだな。俺達が此処に来るのは……具合悪いか」

 樊樂は自分達が泊まる宿の名を告げ、それから呉琳に言う。

「これだけ剣があれば助かる。明日、怜一人で持って来るのも大変だから、一先ず預からせて貰うよ。呉琳、恩に着る」

 この家には他にも刃物の類はあるに違いないが、とりあえず呉琳が出してきた剣だけでも遠ざけておこうと考えた。呉琳は何も言わず、それを拒む事は無かった。

  

 宿に戻ってから樊樂らはどうも落ち着かなかった。孫怜が宿に来る事になっているが無事に呉琳を落ち着かせて、自分達が来る前と同じ様に出掛けられるのか分からない。呉琳が自刃して果てたなどと言って飛び込んで来やしないか? 万が一そんな事にでもなれば、それは自分達のせいなのだろうか?

 そんな事は決してあってはならない。呉琳も大切な、古い友人なのだ。

 

 翌日、陽が昇って間もない頃に孫怜は宿に姿を現した。こんな朝早くに来ると思っていなかった樊樂は少し慌てたが、宿の入り口で待っている孫怜の姿を見てホッと胸を撫で下ろす。孫怜は無精髭を綺麗に剃り、髪も整えられていて昨日とは随分印象が違う。腰には昔呉琳が用意した宝剣。その宝剣を樊樂が近くで見たのは呉琳が『作らせた』と言っていた時から随分後になってからだった。正直、樊樂は剣について造詣が深い訳でもなく『良さそうな剣』としか感じなかったのだが、ちょっとは詳しいらしい劉子旦が随分と褒めちぎっていたので、まあそうなんだろう、くらいに思っていた。昨日も孫怜はそれを腰に帯びていた。しかし、今の方が数段優れた剣の様に思えてくる。呉琳が剣と同様に用意していた物だろうか、濃い青の真新しい袍に、その腰の宝剣が映える。

「派手だとは思わないか」

 胡鉄と劉子旦も出てきて三人で出迎えると、孫怜はそんな事を言って胸の辺りを撫でた。

「地味な方ですよ。いかにも呉琳さんの好みらしい」

 胡鉄が言い、樊樂と劉子旦は笑う。紺に近いその袍には飾りも一切無い。大通りに目を遣ればもっと派手な格好の者は幾らでも居た。

「部屋へ行こう」

 孫怜は樊樂の後に続いて三人の泊まっている部屋へと向かった。

 

「樊。城南について聞きたい。俺と呉琳、二人の居場所はあるだろうか?」

 孫怜は開口一番に尋ねる。昨日僅かに出た『城南へ』という話の事だろうが、確かにそれを考えるのが今の状況では最善に思われた。

「ああ。俺達も昨夜話してたんだが、城南に二人を迎えるのは大歓迎だよ。特に今はな」

「周の旦那はどう思うだろうな? 『今』というのは?」

「旦那がお前を拒む理由なんてねえよ。実は、うちに居た蘇と風がもう居なくてな。蘇は何処に行ったか分からねえし、風は死んだ」

「死んだ? 風という者の事は覚えてるが……」

「殺された」

「樊さん!」

 劉子旦が樊樂の表現に抗議の声を上げる。

「蘇さんと風さんは、我々を裏切って、さらに旦那の屋敷で狼藉を働いたんです。だからこれを成敗した、という事です」

「成敗ってお前……」

 樊樂が劉子旦に顔を向ける。

「そういう事ですよ。違いますか?」

「まあ、形は、な」

「それで、風は『殺された』のか。誰に? 誰にそれが出来た? 洪か?」

 孫怜はどうもはっきりとしない樊樂らのやり取りを見ながら訊いた。稟施会の風という男が中々腕の立つ者であるという事を孫怜は記憶している。

「あー、俺達がだ。情けない限りだが奴は手強かったしな」

 樊樂はそう言って肩を竦めた。周維の屋敷に居る若い女が風を一剣で仕留めた話をする気配は無い。劉子旦が続ける。

「風さんの腕は周の旦那は勿論、俺達全員が認めていました。しかしもう居ない。うちには痛手ですよ。でももし孫さんが来てくれたら……孫さんと風さん、比べるまでも無い。風さんには悪いけど、孫さんの方が数倍腕が立ってうちにとってもこれほど得する事は――」

 


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