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流浪一天  作者: Lotus
第七章
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第七章 十五

 もう、『孫の幇会』は存在していない。仕事を依頼する事は無理になった。樊樂はその事と孫怜の話が頭の中でごちゃ混ぜになって暫く黙っていた。

「すぐに、支度を致します」

 不意に女の声が聞こえ、皆、ハッとなって声のした方へ顔を向ける。孫怜だけがゆっくりと振り向いた。いつから近くに居たのか分からないが、呉琳が奥に歩いて行く後姿が見えた。

「支度?」

 樊樂は孫怜と顔を見合わせたが、孫怜は呉琳の言葉にあまり反応を示さなかった様だ。ゆっくりと後ろを向き、呉琳の背中に声を掛ける。

「琳、もう休め。今日はもう何処にも行かないぞ」

 しかし呉琳は聞こえていないのかそのまま奥に消えた。

「俺達が、仕事を持ってきたと思ったのでは?」

 胡鉄が言うと、孫怜は姿勢を戻し樊樂を見る。

「うちはもう何も出来ないんだ。すまんが……」

「……」

 樊樂は腕を組んで考え込んでいる。今回、周維に命じられた仕事は何も必ず幇会の人間を全て駆り出さなければならない訳では無い。誰を使うかという具体的な指示も無い。無論、人手は多い方が良いに決まっているのだが、全ては自分に任されている。孫怜一人だけでも手を貸して貰いたいと考えていた。

 しかし、それでは呉琳は一人になる。特に今の呉琳を一人にしてこの街を離れる事など孫怜がする筈が無かった。

 

「ごっ、呉琳さん?」

 不意に劉子旦が少し慌てたような声を出した。また皆一斉に顔を挙げ、家の奥に目を遣る。呉琳が、戻ってくる。その手には剣。右腕にも、左腕にも、剣が抱えられていた。

「琳? 何だその剣は? それにその数は――」

「怜さん。もっと持ってきますから、お待ちになって」

 ここで初めて呉琳は笑顔を見せる。先程とは殆ど別人で、樊樂らにも微笑んで見せていた。それはどこか、自分の存在を顕示するかの様にも感じられる。気――。そう、まるで突如として呉琳の細くなった体に充実した気が満ち、そして溢れ出したのである。

「もっと? おい、こんなにどうしたんだ?」

「私にお任せになって」

 呉琳は踵を返してまた奥へと消える。孫怜が追おうとしたが樊樂の声が聞こえて、その場に留まった。

「話した事あったよな。昔、俺がここの通りで呉琳に会って、そん時、彼女はお前のその腰の剣を抱えてた」

「……ああ、聞いたな」

「呉琳はきっと、あの時と同じなんじゃないか?」

 孫怜は樊樂から聞いた事のある、昔の呉琳の姿を思い起こした。

 

 樊樂が稟施会の人間として城南で暮らし始めて間もない頃、初めての仕事で中原に戻った折、この呂州を訪れた。孫怜に協力を依頼する為で、その時が後の『孫の幇会』の最初の仕事となった。樊樂は孫怜に話をした後、久しぶりの呂州の大通りをぶらついていると、呉琳がどこかへ向かって歩いているのを見つける。呉琳は一振りの宝剣を抱えていた。この時その剣は布で丁寧に包んであり、呉琳から聞くまでは気付かなかった。

 呉琳は派手な装いを嫌い、いつも淡い色目の着物を身に付ける。顔立ちもいわゆる美人では無かったが目を細めてよく笑い、いつも明るい表情でいるその姿が愛らしく、この時は孫怜と祝儀を挙げてから間もない頃で樊樂はこの初々しい若妻を眺める度に「怜の奴……」と密かに嫉妬心を抱いたものであった。 

「これは、怜さんの剣。怜さんにはこれが無ければ。だって、怜さん程の剣の達人は他に居ないんですよ? 私は慕容(ぼよう)さんの様に武芸で怜さんを助ける事は出来ないけれど、これは私がとても有名な職人さんに頼んで造って頂いた剣なんです。怜さんがこれを使えばきっと、怜さんの名は天下に轟く筈です」

「……呉琳、お前の旦那は確かに、まあ多少出来るが、それ程でもないぞ?」

 樊樂は呉琳の様な娘を娶って上機嫌になっている孫怜を思い浮かべながら口をへの字に曲げる。

「フフ、これから分かるんですよ。怜さんの凄さがあなたにも」

 そんな事を恥らう事無く堂々と言ってのけるのも新婚のゆえか、呉琳はそう言って笑った。

 剣とは恐ろしいものだが、孫怜はそれと完全に一体となる術を持つ。体の一部となり気が腕から剣へと通い、同じ精神が宿る。孫怜そのものとなった剣はもはや恐ろしい物では無い。それは愛する孫怜なのだから。孫怜は無敵となりその義侠の道を阻む者は居なくなる。自分は『孫大侠(だいきょう)』の妻。夫を江湖一の男に――。

 孫怜の下に集まって来た者達は『呉琳さんが幇主でも良い』とよく冗談を言った。孫の幇会の者達にあれこれと世話を焼いてよく働く呉琳は、一番歳が若いにも関わらずまるで母親の様に慕われた。孫怜を、孫怜の幇会を江湖一に、という呉琳の言葉は本気だったのである。

 樊樂は随分後になってから呉琳とそんな話をした事を孫怜に言った。孫怜は最初苦笑いを浮かべて聞いていたが、その内に真剣な表情になりじっと黙って話を聞いていた。

 

「これといってめぼしい剣はありませんね。しかし、こんなに集めて、安くは無いでしょう」

 孫怜は回想から覚め、卓上に並べられた数本の剣をぼんやりと眺める。劉子旦が一本一本を手に取って鑑定するかの如く顔を近づけていた。

 一体何処にこんな物を置いていたのか、見当も付かない。

(安物だとしても金はどうした? しかもまだあるのか?)

 孫怜はそう思いながら呉琳の向かった奥に目を遣った。すると、丁度再び呉琳が姿を現した。今度も剣を抱えているが、その中に幾つか長物まである様だ。

「琳……お前」

「これだけあれば、怜さんに敵う人なんて居やしないもの」

「琳!」

 孫怜は呉琳の両肩を掴む。

「待って、そこに置くから」

 呉琳の両脇に挟まれている剣がずれて落ちかける。孫怜は肩から手を離してそれらを抜き取った。

 卓上に新たに加わった得物を含めて数えると十四本。刀や短槍まで混じっている。

「さあ、樊さん。次は何処へ行くのかしら? 急ぐ? すぐ皆に知らせるわ」

 呉琳は間違いなく、三年前の様に、いや、もっと昔の孫の幇会が最も精力に満ち溢れていた頃の様に樊樂に話し掛けている。増えた皺は消えたりはしないが、当初のやつれた表情は微塵も無く、怯えるように隠れてしまった呉琳は既に居ない。一体いつの、何がきっかけとなって変化したのか、一同は狐につままれた様な表情で呆気に取られていた。

「今度の仕事は、人探しなんだが……あー、大勢で動くのは具合が悪いんだ。だから、怜だけ手を貸して貰えれば充分なんだ」

 樊樂は呉琳に向かって努めて昔と同様に振る舞い、伝える。しかし今、呉琳は恐らく現在の孫怜と幇会の状況など全く頭には無いだろう。

「無理だ」

 孫怜は樊樂を見据えて口調に力を込めた。

「頼む。もう、そっとしておいて欲しい。稟施会には随分世話になったが、もうしまいにしてくれ」

「怜……」

 樊樂は何も言えない。孫怜がそう言うのは今の状況では至極当然の事なのだ。胡鉄と劉子旦も黙って項垂れ、この辛く、重い空気に耐えていた。

 


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