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流浪一天  作者: Lotus
第七章
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第七章 十三

 異国の物品が入る場所は限られており、陸の東端に位置しているこの国では南は城南、あとは都から遥か西方、延々と砂漠の続く先にある起離(きり)とこの国の人間が呼ぶ場所の二箇所だけである。東は何処までも広がる海、北にはとても人が越えられるとは思えない山脈が連なっている。

 そのたった二箇所だけしかないというのは、かなり以前の為政者がそう定めてそれが今も続いているからで、実際にそれが厳密に守られているかどうかは疑わしいのだが大まかな物流は大体そういう事になっていた。

 起離という場所を訪れた事のある人間は殆ど居ない。この国の最西端であると現王朝は主張しており、周辺諸国もそれを承認しているが、本当に朝廷の支配が及んでいるかと問えばその答えはとても心許ない。果てしなく感じられる程の大きな砂の海を数ヶ月費やして進み、無事辿り着けるかどうか自体が賭けとなるその場所にこの国の庶民はまず用は無く、その場所に行ったことのある者といえば西方の国々への使節と、交易を生業とする商人だけである。

 城南の先にある南の国々と起離を越えた西方の国々とでは大きく文化も歴史も異なっていて、もたらされる産物も当然異なっている。環龍客桟に居た娘を狂わせている麻薬を含む『阿芙蓉』は、西方の国から僅かずつではあるがこの国に入って来ていた。その希少さと砂漠を越えるという非常に困難な経路によってその価格は跳ね上がる。何故、あの環龍客桟などという薄汚い小さな宿にそれがあるのか、誰もが首を傾げるところであろう。

 

 樊樂らが武慶に滞在したのは丸二日程だけだった。徐について知る為にあちこち歩き廻りもしたがどうもやり難い。『真武剣派でない者がそれを尋ねて廻る』という事を不審に感じる者が意外にも少なくなかった。真武剣派に属していないにもかかわらず、まるで自分も真武剣派だと思い込んでいる様な住人達。全てがそうでは無いのだが下手を打てば即座に真武剣派の屋敷に突き出されかねないと樊樂らは感じた。訊いて廻るだけで真武剣派に引っ立てられるなど理不尽この上ない事で理解し難いのだが、何故かそんな空気がこの街にはある。

 次に向かったのは呂州で武慶から北西に八百里程度。緑恒へ向かうのとほぼ同じ距離であり、急ぎ気味に馬で進む樊樂達は武慶を出て六日で呂州に入った。距離的には武慶よりも僅かに都に近い場所であったが、直接都へ向かう街道が無かった為に街の発展の度合いは武慶に比べれば劣る。しかし歴史の古い街であり肥沃な土地に恵まれて農業の規模と質が非常に良く、他に目立った産業は無いが豊かな街――そう、この国の人々からは認識されていた。

「しかし……この呂州ですらここ数年の不作で疲弊してきています。王さんはいつも此処で学んだ時の事を話しますが、まるで田に黄金がなびいている様で、それがどこまでも続いている風に見えたそうです」

「確かに、昔は景気が良かったよな。殆どが百姓だったってのに、他の何処よりも金持ちも多かったしな。豪農って奴か? ……俺もまだこの辺は良く覚えてるが、変わっちまったな……」

 呂州に入り郊外に広がる広大な農地を貫く細い道を樊樂らは馬で縦に並んで進んでいる。時期的に空いている稲作用の水田を除いて荒地に見える場所がかなり多く見受けられる。そんな中にちゃんと緑が規則正しく並ぶ畑が点在していた。

「あいつら、まだ此処に居るんだろうな?」

「孫さん達ですか? ……どうでしょうか」

「あいつの処に世話になる訳にはいかねぇから、最初に宿に行こう」

 樊樂らは広大な田畑の向こうに見える市街地へと向かった。

  

 古い建物が通りに面して立ち並ぶ呂州の中心部は樊樂の記憶とほぼ同じで、変わっていない様に見える。樊樂はこの近郊の小さな村の出身である。樊樂がこの呂州をよく訪れていたのは二十歳前後の頃で、もう二十年は経っていた。とは言っても二十年間全く来ていなかった訳では無く、縁あって城南の周維と出会い稟施会で仕事を貰うようになった後も都やその周辺まで来る機会が度々あり、この呂州にも足を運んでいた。今回訪れたのは三年振りくらいだろうか。胡鉄や劉子旦も殆ど樊樂と行動を共にするので同様であった。

 今から向かう先の孫という人物は、稟施会とは少なからず繋がりがあった。樊樂ら稟施会の者が『孫の幇会』と呼ぶ孫を中心とした呂州に住む者達で作った幇会があり、かつては稟施会からの様々な仕事の依頼を引き受けていた。ヒョウ局のような単なる荷の護送から情報収集、実際に品物を探し出して手に入れるというようなものまで多岐に渡り、必ず稟施会の期待に応えて信頼されていた。しかし近年、稟施会の仕事の依頼は途絶えている。特に何か孫の幇会が問題を起こしたとかいう訳でもなく、単に仕事が無くなっていったのである。ちなみに、『孫の幇会』にはこれといった名前が無い。ゆえに、『孫の幇会』である。孫は名を(れい)といい、樊樂が若い頃から親しくしていた人物だった。

 

 宿を確保し、そこを出た樊樂らは迷う事無く中央の通りから細い路地に折れ、真っ直ぐ孫怜の家へと向かう。鶏の一団が闊歩するその間をすり抜け、一軒の古い屋敷に着く。朽ちかけた小さな門をくぐると、一人の中年の女と目が合った。その女は樊樂らを見るなり「アッ」と小さく声を上げ、家の中へ小走りで逃げるように行ってしまった。

「今の、奥さん……でしたね?」

 胡鉄が言うと、樊樂は頷いた。

「別人みたいだったな。だが、間違いない」

 孫怜の妻、呉琳(ごりん)である事は確かだった。前に会ったのは三年前。たった三年の間に誰であるか疑ってしまう程、顔はやつれ随分と老けて見えた。

 呉琳が孫怜を呼びに行ったのかどうかは分からない。樊樂らは家の中へと進んだ。

「失礼する」

 短くそう言って中に入る。人の気配は無い。先に入っていた呉琳の姿も見当たらず、三人は家の中を見回した。

「樊樂だ。怜、居ないのか? 呉琳、俺だ。怪しい者じゃない」

 樊樂が屋敷に響き渡る声で言うが、全く反応が無かった。聞こえるのは外に居る鶏の声だけである。

「居ない様だな。呉琳が出てきてくれればいいんだが……」

「呉琳さん、何かあったんですかね? あの変わり様は病の類か……」

「彼女は怯えている様に見えました。とりあえず今は表で孫さんが戻るのを待ったほうが良いと思います。孫さんが今もこの街に居るなら、彼女を放っておく訳が無いでしょうし遅くならない内に戻られるでしょう。もし戻られないのなら……彼女を保護するべきでしょうね。もしそうなら、彼女はずっと一人という事に……」

 劉子旦が真剣な表情で樊樂に言う。樊樂はもう一度家の中をサッと見回してから、

「そうだな。一先ず出よう」

 そう言って外に出る。そのまま三人は再び小さな門をくぐった。

 外といっても門のすぐ近くにたむろしている訳にはいかない。もし呉琳が自分達に怯えているのなら、顔を出して様子を窺うくらいはするだろう。そこでまた樊樂らと目を合わせる様な事にでもなればその場で卒倒してしまいかねない。孫怜の家には表の通りからこの路地に入るしか道は無い。樊樂らは大通りまで出て待つことにした。

 

 すでに夕刻となり、徐々に辺りが西日で赤く染まっていく。この呂州も武慶と同じく好天が続いていたらしく、雪などが降った痕跡は一切無い。武慶で雪は珍しいが此処は普通に降る地域である。ただ、もう春は近く、雪は終わったのだろう。

 呂州の大通りは、都や武慶とは違い、商店以外の普通の民家も多く並んでいる。巨大な屋敷に住む家族が朝早くから野良着に着替え、鍬や鎌などの農具を担いで出て行くという、他ではまず見られない光景が、この街にはあった。

 


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