第七章 十
「あのなぁ……」
洪破人は呆気に取られて言葉を失ってしまう。この男達はつい先程見知った訳では無く、何年か前から洪破人の前に姿を現し始めた。此処は城南からは程遠く、洪破人も年中旅をしている訳では無いのでそう頻繁にではないのだが、この辺りに来れば必ず現れた。
男達は勘違いしていた。調子に乗っているという洪破人の言葉は当たっているのだ。洪破人はいつも追い払うだけで済ませていたのだが、本来、とうの昔に返り討ちにあって殺されていてもおかしくはなかったのである。彼等は荷を奪おうとする盗賊なのだから当然だ。しかし洪破人はずっとそうはしなかった。彼等はあまりにも――全てに於いてお粗末過ぎた。
未だに無事生きているという事は恐らく、少なからず悪事を働いて空腹を満たしていたに違いない。しかし、彼等はいつも痩せこけていて、いつも同じ襤褸を纏い、本当に上手くやってるのかと思えてしまう程、その姿は哀れを誘う。盗賊に同情など断じてしないと洪破人も最初の内は考えていた。が、しかし仕留める事もしない。だから、この男達は何度も何度も現れる。
彼等が殺戮を繰り返す本物の悪党であったなら、洪破人も容赦などしない。しかし、今目の前にいる男達は泥水の中に頭を埋めるようにして土下座までしてしまう様な男達なのだ。
「困りましたねぇ」
周維が誰にともなく溜息と共に言った。
「うちは一応、人を選びますからねぇ。誰でもという訳にはいかないんですよ」
「……」
洪破人は黙って聞くだけで何も言わない。
「頼みます……頼みます……」
男達は顔を上げる事無くひたすら繰り返す。もはやあの威勢はすっかり消え去り、形振り構わず『助けてくれ』と懇願する。もう、こんな生活は嫌だ――そう、泣いて訴える様に。
「こんな人々を、方々で見かけたよ……」
周維の隣に居た劉建和は、男達を見つめながら呟いた。
「俺もいつこうなるか……不安を抱えているんだ。今でもな。あんたの処は安泰だろうからそんな気持ちになる事も無いだろうが、生きる為に形振り構っていられないという人々を見る度に、俺もそう考えるだろうと納得した。同情したとかじゃない。『同じ』になるんだよ。……そんな人々が国中に溢れてる。救おうと思ってもとても救いきれるものでもない。辛い事だが……」
周維は男達から劉建和へと視線を移す。
「フフ、私とて血も涙も無い男ではありませんよ? うちに『使ってくれ』と言って来る者は少なからずいますが、泥に顔を埋めて土下座までする者は初めてです。こんな雨に恵まれて、この人達は幸運ですねぇ」
洪破人が周維を振り返り、
「旦那……連れて行くのか?」
「足手纏いになりますよ。更に馬を買うのも勿体無い」
周維は男達の願いを聞き入れるかの様な事を言ったかと思えば、すぐに否定する様な事も言う。劉建和が眉を顰めると、周維は男達の直前に馬を進めた。
「我々はあなた達の旅の用意をする余裕はありません。本当に私の許へ来たいと言うのならば、ひと月以内に、城南まで来て下さい。そうすれば、あなた達の願いを聞き入れましょう。ただし、あなた方三人だけです。他の人間も連れてきたら、この話は無かった事にします。いいですか?」
「お……」
男達は一斉に顔を上げる。三人共顔の汚れ具合まで同じである。そしてまた揃って頭を下げる。
「必ず! 必ず行きます! 有難うございます! 有難うございます!」
男達はまた繰り返す。きっとこの姿が、本当の彼等の姿であろう。
いつまで経っても慣れない剣を捨て、ようやく人らしい真っ当な生活を取り戻す幸運を、思いがけず手に入れたのである。
周維達は再び進み始めるが、ひれ伏す男達の傍に洪破人と求持星が留まっていた。
「……おい、もう良いだろ。立てよ」
洪破人が声を掛けると、「へへ……」と照れた様な顔をして男達が立ち上がる。泥を拭う事もせず、全く気にならない様だ。顔も濡れている。目を赤くしているのも三人とも同じだった。
「名は?」
「俺は、許で、こいつは仲。こっちは克」
いつも最初に喋るのは許という男で、三人の中では一応この許が中心となっているらしい。泥だらけで見分けが付き難くなっているが、少し背が高く髭の濃いのが仲、一見、気が弱そうで小柄なのが克。洪破人は今になってようやく名を知った事に可笑しな感覚を覚えた。
「俺も今、知った」
求持星はそう言って微かに笑う。
「俺達だってお前が本当に『殺』だなんて信じてなかったさ」
許はそう言ってまた「へへ」と笑った。
「お前ら、城南は遠いぞ? ひと月あれば行けるとは思うが、ひと月あれば餓死だって出来る。いいか、うちに来る以上、悪事を働く事は許さない。この長旅をどうやって遂げるつもりだ?」
洪破人は少し厳しい口調で許に向かって言う。すると男達はすぐに俯いてしまった。
気侭な旅というものは、その資金がふんだんにあって初めて出来るものだ。長期間移動し続ければ宿代だけでもかなりの額になる。それ以前に腹に何か入れなければその内動けなくなってしまう。
ひと月以内に城南に来れば面倒をみるという周維の言葉は随分優しいものに聞こえるが、実際はそう簡単ではない。のんびり行けばひと月では足りない程の距離があるが、それなりに急げばそこは問題は無さそうだ。この三人にはそれ以前の問題――そのひと月近くを食い繋ぐことが出来るのか――が困難なのだ。そんな蓄えがある様には到底見えない。
「……無理だろうが」
洪破人は三人に目を遣るが誰とも視線が合わない。顔から泥水を滴らせながら俯く男達を眺めながら溜息をつく。
「これを……やるよ」
求持星が許の顔の前に腕を伸ばした。小さな袋を持っている。
「たいして入ってないが、これで何とか行けるだろう。宿は諦めるんだな」
そう言って求持星はもう一方の手で許の腕を掴み、袋を持たせた。
「い、良いのか?」
「ああ、持って行け」
そのまま男達の間を抜け、求持星は先を行く周維らを追って歩いて行く。三人の男は呆然とその後姿を見送っていた。
「……おい、無駄にするなよ。酒に変えたりしたら終わりだぞ。それから、馬は買うな。道中も金が掛かるからな。ひたすら歩いて行け。城南の街に着いたらすぐに周の旦那の屋敷に来い。誰に聞いてもすぐ分かる。子供でも知ってるからな。……城南に無事に辿り着けるかはお前等の運次第だ。じゃあな」
これで何とかするだろうと、洪破人もそれだけ言い残して行ってしまう。
許、仲、克の三人は何も言えないままじっと洪破人と求持星を眺めていたが、随分後になってから急に歓声を上げ、またぬかるみに膝を突っ込んで男同士抱き合っていた。
「太っ腹だな」
求持星に追いついた洪破人が声を掛ける。求持星はじっと前を向いたままで、
「何故あいつらだったんだろうな……」
「ん?」
「縁ってのは本当におかしなもんだ」
そう、独り言ちた。