第七章 六
周維は言葉を続ける。
「その辺りは出来れば内緒にしておきたいのですが。樊さん、紹介しておきましょう。こちらは劉建和どの。武慶から我々と共に来られたんですよ。国中を商いで渡り歩いておられる同業の方です」
「渡り歩くなど……食い扶持を求めて流離っていると言った方が当たってる」
劉建和はそう言ってから樊を見る。
「劉さん、この三人は洪さんや石さんと同じ、稟施会で主に各種警護の役についてもらっています。樊樂、胡鉄、劉子胆です」
樊樂は背も大きいが横にも大きい。褐色の肌に常に大きく見開かれている目は用心棒と言われて納得しやすい容貌だが、他の二人は割と普通の男達である。樊樂らは揃って劉建和に体を向けて礼をする。その少しばかり仰々しい礼に劉建和は慌てて拱手し礼を返した。
周維は輪から少し外れて座った求にも目を向けた。
「求さん、あなたもほら、こちらに加わってください。さぁさぁ」
周維が言うと洪が少し体を後ろへやって求が入れる隙間を作る。
「遠慮するなよ。最初は変な感じだったが、何だかよく分からんが俺は楽しくなってきたぜ。ほら求さんよ、あんたの話も聞きたいしな」
洪が笑いかけると、求はじっと見返してから、フッと鼻を鳴らして頬を緩めた。
「求さんは中々鮮烈なご登場でしたからねぇ。皆ちゃんと覚えましたよ。私達の事も存じておられる訳だから、これからは友人となりましょう」
周維は何とも突拍子も無い提案をするが、異論を唱える者は居ない。状況を殆ど知らない樊樂らは洪や石の反応を窺って、特に問題が無いらしいという事を把握した。
「あんたの、名は?」
輪には加わったもののじっと床ばかり見つめていた求持星が、隣の洪に訊ねた。
「ん? おれは洪だ。洪……破人という。嫌な名だろ?」
それを聞いた求持星はハッとなって顔を上げ、洪破人と名乗る男の顔を凝視した。他の者達にもこのやり取りは聞こえているが、『何でもない』といった表情で二人の方を眺めている。
「洪、破人?」
「ああ。そうか、あんた北辰がどうのって言ってたが、あっちの方から来たのか?」
「……そうだ」
「なるほど。じゃあ、俺の名に引っかかる処があるって訳だな。しかし、何も無い。あんたが今思い浮かべた人物は、無関係だ」
「……」
求持星が沈黙したところで、周維がフフッと意味ありげな笑いをこぼす。が、次に顔を向けたのは樊樂の方だった。
「樊さん。聞きましょうか? 城南はどうなりましたか?」
周維の物言いは大袈裟で、冗談のつもりだろう。本当に城南がどうにかなってしまったのなら樊樂らが大人しくしている筈が無い。樊樂が改まって周維に体を向ける。
「旦那、ついに蘇の奴がやりやがった」
「……蘇さんが? 何を?」
「万乗閣で暴れてな……。それから、旦那の屋敷にも押し入って荒らした。何人か怪我してる。で、その後逃げたんだ」
「おい、本当か? で、お前達は蘇を追って来たのか? 奴は一人だったのか? どうして止められなかったんだ?」
洪破人が立て続けに質問を樊樂に浴びせる。
「すまない」
樊樂がそう言って周維に対して頭を下げると、胡鉄と劉子旦の二人もそれに倣う。
「ふむ、蘇さん一人なら城南を出る前にすぐ捕まえられそうなものですが、やはり同調した者も居たんですね?」
周維の表情に変化は無く、落ち着き払っている。
「風と項も一緒に居たそうだ」
「居たそうだって……樊、お前は見てないのかよ」
「旦那の屋敷に行ったってのを聞いて急いで駆けつけたんだが、もう遅かった」
樊樂は大きな体を何とか縮めようとしているかの様に俯き、沈痛な面持ちだ。
「お前らは? 鉄、子旦、お前らも同じか?」
洪破人が強い口調で問い質すと、
「すみません……蘇さんが荒れてるとは聞いていたんですが、まさかあそこまでやるとは……」
「全く、何をやって――」
「まぁまぁ、洪さん」
周維が扇子をひらひらと振りながら言い、洪破人は浮かせていた腰を再び下ろした。いつの間に周維は扇子を取り出したのか知らないが、時折扇いでいる。外は冷たい雨で冷え切っているが、この廟の中は人の熱気が充満し始めていた。
「被害は?」
「最初は色々持ち出そうとしたらしいが、万乗閣にある金には手が付けられないからな。あとは……旦那の屋敷を滅茶苦茶にしてやってから逃げようと蘇は言っていたらしい。項は捕まえたんでな。奴がそう言ってたんだ」
劉建和と求持星だけは全く話が分からない。蘇とかいう者が暴れて逃げた、らしい。蘇というのは稟施会に居た者だろうか? 樊樂は『ついに蘇が――』と言ったので、前から何やらしでかしそうな人物であったに違いない。周維の様子を見ている限りでは大した事では無い様なのだが、周維を無視すればやはりただ事では無い話を樊樂はしている。とりあえず劉建和も求持星も黙って話を聞いていた。
「うちに押し入りましたか……大丈夫だったんですかねぇ? 夏さんはどうしました?」
周維はそう言ってちらっと洪破人を見る。洪破人はただ変わらない表情で目を合わせただけだった。樊樂が僅かに首を捻ってから、
「夏? ああ、旦那のとこの客人だな? あの人は大丈夫だったそうだ。昼間は居ないらしいからな」
「居ない?」
周維と洪破人の声が重なる。
「ああ。周漣さんの話では、王さんを手伝って――今、西の郊外で開墾やってるだろ? あそこの仕事を手伝ったり、新しい田の準備に行ったりしてるらしい。あの人、元は農民だってな。王さんも驚いてたってよ」
「ハハ、なら大丈夫だったんですね。夏さんも、蘇さんも、ねぇ」
周維はそう言ってまた、フフ、と意味ありげな笑みを浮かべた。
「驚くといえば、旦那。蘇は逃げたんだが、風が死んだ。旦那の屋敷で暴れた時、周漣さんも居たんだが……」
「そうだ! 周漣さんに怪我は無かったんだな!? 風は……死んだ?」
洪破人が再び身を乗り出す。
「洪、お前本当に分かりやすい奴だな。とにかくそれより、驚くぞ?」
「……何だ?」
「周漣さんがあの美しくかつ愛らしい顔をして言うには、だ」
「樊! 余計な事は言わんでいい!」
「蘇と風と項の三人がやって来て荒らし始めて、風の奴が周漣さんに剣を突きつけて脅したらしい。『一緒に来い』ってな」
「フン。周漣さんが大人しく従うものか」
「その通り! で、彼女は、どうしたと思う? 『怖くなったので、風さんを刺してしまいました』とさ」