第七章 二
「洪さん、どうしました?」
周維の問い掛けに洪は馬首を返して傍に寄った。
「あー、ちょっと俺達と遊んでいきたい連中が居るみたいなんだ。よく知った奴……いや、本当は全然知らないんだが、とにかく何度もうるさく絡んでくる奴らでね。俺と石でちょっと行って来るから此処で待機しててくれないかな。すぐ追っ払うさ」
「数は?」
「四人ほどだな。いや、ほんとに大したことない奴等なんだ。すぐ済むよ」
「四人で私達にちょっかいを出そうというのですか? それは何とも……頼もしい方々ですね」
周維は平然として笑いながら言う。
「本当に大丈夫なのか? そいつらは殺しに来るのか?」
劉建和の反応は真っ当なものだ。旅人を襲う輩の出現にちゃんと不安を抱いている様子がその表情から窺える。
「ああ。しかし問題ない。ちょっと待っててくれ」
洪は再び戻り、待っていた石という男と供に駆け出した。
「おい、来るぞ! 洪だ」
「よ、よし! まずは洪の奴を片付けるんだ!」
「もう一人来る!」
「一人も二人も一緒だ!」
やはり誰が何を言ったのかよく分からない。四人の男は小屋を離れて洪が向かってくるその真正面に飛び出してきた。
「おいお前等! この雨ん中を足止めしようってんなら容赦しねぇからな!」
馬上で洪が声を上げる。洪と石は男達の所まで来て止まったが、腰の剣には触れていない。石は黙って男達に鋭い視線を送っている。
「おい、洪! 今度こそは俺達の本気を見せてやるぞ!」
「ああそれは何回も聞いたよ」
「フン、きっとお前は腰を抜かすぜ! 凄腕を連れて来たんだからな!」
「……お前の本気を見せるんじゃないのかよ。んん? で? どれがそうなんだ? どれも見た顔のようだが……」
洪は他の三人の男を眺めるが、皆同じ格好に同じ汚れ方だ。凄腕の助っ人ならそれらしい面構えに身形の者が居ても良い筈だが、どの顔も皆、こそ泥の類にしか見えない。
「餓鬼じゃないんだからいつまでも泥んこ遊びなんぞしてられん。俺とやりたいならさっさとやろう。で、大人しく帰るんだ。いいな」
洪は馬を降りて男達に平然と近付き、剣を抜いた。
「うわっ」
一人がその姿を見ただけで声を上げる。
「びびってんじゃねぇ! おい! 殺!」
一人が言い、一人が僅かに進み出る。抜き身の剣を持っている。
「殺だって? それが名か? 確かに凄い名だが……」
先程から言っていた凄腕というのは進み出てきた男の事だとは思うが、見た感じでは特に何も感じられない。どう見ても昔からの仲良し四人組の内の一人だ。洪には違いが分からない。ただ、今まで見た事は無い男、というだけだ。
洪は自分の剣を顔の高さまで持ち上げて、映った自分の濡れた顔を気にするかの様に覗き込みながら話し出す。
「いいか。俺達は善良なる旅人で、お前等はそれを襲う盗人だ。本来ならとっくに切り捨てていてもおかしくなかったが、あまりにお前達がみすぼらしいもんだから見逃してやってたんだ。しかし、もうこんな事は終わりにしなければ永遠にお前達に付き合わねばならん。凄腕の助っ人とやら。お前さんは俺を切るつもりでいるんだな? 俺は素直に切られてやる訳にはいかないから、この剣で抵抗する。あんたを、殺す。すぐ終わるさ。本当に凄腕なら、こんな奴らに加担して賊に身を落とさずとも生きる道はあるんだが、此処に居るって事はそれほどの腕じゃないんだろ。それとも、何か訳があるってのかい?」
「……知らない人間を襲うのに……訳なんて……」
「ん?」
どうやら殺という男が呟いた様だった。
「何も無い。勝負だ。勝ったらまだ生きるし、負けたら死ぬ。それだけだ」
「覚悟があるなら、まぁそれでいいんだが……」
洪は剣を下げて構える姿勢を見せる。同時に殺も腰を落として腕を大きく開き、剣を横に寝かせた。
「殺! やっちまえ」
他の三人が口々に声を上げながら後方に下がる。
「おいお前等、一人にやらせようってのか? 囲むくらいしてやったらどうだ?」
洪は顔を顰めて三人を見遣る。しかし皆、洪を睨みつけるだけで動かない。丁度その時、石が馬から降りた。洪はちらっと視線を送って、
「馬を見ててくれ」
「ああ」
それだけのやり取りがあった後、洪と殺は改めて対峙して互いを注視する。
「本当に大丈夫なのか? いくらなんでも……」
洪の遥か後方で様子を窺っている劉建和が周維を見る。
「洪さんが大丈夫と言うなら、それは大丈夫なんですよ。それから、洪さんはもし途中で危険を感じたら手を貸せと言いますよ。意地になって一人で当たるなんて事は絶対にしません」
「俺は何も出来ないが……」
「ハハ、心配要りませんよ。あの石さんも、それから関さんと凌さんもうちの選りすぐりです。この四名でなら都行きに問題は無いという私の判断なのですが、実際退けられなかった障害はありません。ましてや、あのような輩など。道中ひっきりなしに現れますが、あんな無駄な事はせずに真面目に稼ぐ事に頭を捻った方が良い。時間の無駄です」
「……」
薄い笑みを浮かべて眺めている周維を、劉建和はじっと見つめている。
(実際、何の考えも無しに盗賊に身をやつす者など、殆ど居ないぞ。どうやってももう食えない連中が生まれて初めて剣を人に向けるようになるんだ。『それで食えるようにならなくたって良い。生きなくても良いようにいつか誰かが俺を殺してくれる』、そう言った奴も居た。あんたはそんな風に考える奴の事など想像も出来んのだろうな)
「あんたから来てくれた方が良いな。俺は襲われる側だしな」
洪は殺を睨みながら、僅かに口を動かす。洪は笠を被ったままだが殺と他の三人は雨を遮る物を身に着けてはいない。顔を流れる大量の雨が殺の目や口に入り込もうとしていた。
「フン!」
鼻から思い切り息を吐いた様な音がして、殺が踏み込んで来る。横に大きく伸ばしていた剣はそのまま横から薙ぎに来るかと思われたが意外にも素早く向きを変え、洪への突きに転じる。速い。洪も素早く体をかわして同じく剣突を送った。
双方の手許だけを見ていればそれほど大きくは無い動きだったが、地面に溜まった雨が泥を巻き上げて吹き上がる。その光景がすでに激しい応酬が行われている様に見せていた。
(おっ?)
洪はすぐに認識を改める。殺は最初の一手の後再び腕を伸ばし剣先を体の右下へ向けて、じりじりと洪との間合いを計っていた。足を開いて腰を落とし、いかにも隙あらば飛びつこうと考えている蛙にも似た構えは粗野で品が無く武林の名立たる武芸では見られないものだが、本気の命のやり取りに品があるか無いかは果たして意味があるだろうか? 持っているのが鍬か何かだったらきっと真面目な百姓の親父に見えるに違いないこの殺は、全神経を研ぎ澄ませ、洪を、洪の命を狙っていた。
(ふむ……確かにあいつらとは違うな。雲泥の差だ。こいつは……フン、見た目はともかく、紛れも無く武芸者の類だな)