第六章 二十九
一見、ただの民家に見えるその居酒屋に入ると、主人の薩と周維が話をしていた。
「お? 遅かったじゃないか。どうにかなっちまったんじゃないかって思ったぞ?」
薩が笑いながら迎える。横に居る周維も笑みを浮かべて和やかな雰囲気だった。
「どうにかって何だ? 俺まで襲われたとか?」
劉建和も同じ卓に着く。
「劉さん、どうしますか? 明日の朝でも構いませんよ? ま、今からでも……まぁ泊まる所はなんとかなるでしょう」
「俺は何処でも寝られる性分でな。屋根が無くたって構わないが、あんたらの都合に任せるよ。俺は付いて行くだけさ」
「ハハ、私達も同じですよ。それから、劉さんは大事な客人としてお迎えするんです。我々は商売に関してのその活動範囲はせいぜい都までですから、この国の東部や北部の商いに関するお話もお聞きして、勉強させて頂きたいのです」
「まさか……。俺みたいな小商いに、何も言える事なんて無いさ。それより、『商売に関して』以外の活動にも興味があるんだが、聞いたらやばい事になるのかな?」
劉建和が真面目な表情で言うと、周維は頬を緩ませ笑い出した。
「いやいや、大したものは何も無いですよ。まぁ、何でも商売にしてしまうという事はあるでしょうが、特別、他におかしな事をしている訳ではありませんよ。遠く城南の地で稟施会という名だけがこちらに噂で流れて、色々とあらぬ事を想像されているだけです」
劉建和は周維と初めてこの薩の店で会ったが、その時城南の商人と聞いて稟施会の事をすぐに思い浮かべた。ただ噂を耳にしていたというだけでその名をはっきりと覚えては居なかったのだが、周維が昨夜、『稟施会の者だ』と言い、やっと名を思い出したのだ。周維は最初は稟施会とは関係は無いというような口振りであったというのに今になってそれを告げたという事は、出来れば隠そうと思っていたに違いない。こちらでは良くない噂になってしまっているという周維の話を信じれば、そういう態度になるという事は理解出来る。
昨夜、周維は突然、『城南を見てみませんか?』と切り出した。劉建碩が殺害されたあの屋敷に一人で籠もっているのは良くないという事と、徐の行方の手掛かりが得られるかも知れないという話だった。徐は秘伝書をすぐにどうにか出来るという訳ではないだろうし南に向かう可能性は充分にある。稟施会に居れば国中のあらゆる話が聞けるので一緒にどうかという訳だ。それで、自分は稟施会の者だからと劉建和に明かしたのだった。
劉建和は笑っている周維にあわせて笑みを浮かべていたが、『商売はせいぜい城南と都辺りまで』と言いながら情報は国中から集められるという周維の言葉がどういう事なのか気になっていた。しかしそれは単なる興味に過ぎず、自分も周維に付いて行くというのはもう決めた事である。連れて行って貰えるなら自分の目で確かめられるかもしれないし、城南行きを迷ってなどいなかった。
「また行っちまうのか。俺としてはこの店の売り上げが激減で困るんだがなぁ」
薩はそう言って頭の後ろを掻いている。
「たった一人客が減るだけで危うくなるのか? 別の道を勧めるな」
「ヘッ、今更何も出来ねぇよ。かといってこの武慶を離れる勇気も無いしな。何とか食い繋ぐよ」
「俺はもう帰って来ない訳じゃない。今まで通り、戻ったら此処で一杯貰う。何とか続けて貰いたいね」
「ああ」
劉建和と薩は静かに言葉を交わす。どちらも武慶の住人で古い付き合いらしい。
「旅慣れてるお前に俺が言える事なんて無いんだが――」
「ちょっと行って来るだけだぞ? 大袈裟だよ」
劉建和は笑って薩の肩に手を置き、立ち上がる。
「では、もう出ますか? もう準備は済ませました。あまり遅くならないほうが良いでしょう」
周維も立ち上がり、同時に洪と三人の男達が部屋から出てきた。此処に来た時と同じ、重そうな荷を全員が背負っている。
「では、行きましょう。それでは薩どの、大変お世話になりました。是非また近くに来た時には寄らせて頂きます」
「ああ、劉を頼んだぜ」
「子供みたいに言うな」
「馳方だよ」
まだ何も手掛かりは無い。ここ数日の間にあらゆる事を考え尽くした。暫くはただ、南へ向かって進む事だけを考えようと劉建和は思った。
流浪一天 第七章へ続く