第六章 十七
この武慶の商人であるというその老人は綺麗な身形で裕福そうではあるが、後ろに従えている男数名は見るからに柄の悪そうな風体で、じっとこちらを睨みつけていた。
「白千風を出せ! いや、陸じゃ! 陸を呼んで来い! 関係無いとは言わせんぞ! 秘伝書を見たに決まっておるわ!」
「お待ち下され。秘伝書とは初耳でございますよ。何故、千風が――」
「ではさっさと行って聞いて来るがいい!」
老人は益々いきり立って顔を真っ赤にする。老人に詰め寄られて面食らっているのは真武剣派総帥陸皓の三番目の弟子、杜越原。朴訥な人柄で真武剣派高弟の中では一番癖が無く親しみやすいと評判で、人当たりは良く身形も質素な男である。杜越原はかなり前から住まいをこの武慶から他所に移し、弟子を取って暮らしていた。今回の英雄大会の為、数人の弟子を連れてこの真武観に詰めている。
「秘伝書って何や? そんな凄いモンかいな?」
早速、狗不死が首を突っ込む。
「何じゃおぬしは? 此処の者か?」
老人はじろりと狗不死を睨み付ける。
「あっ、狗不死様……いや、これは……」
杜越原が言葉を濁していると狗不死は老人に向かって笑った。
「ちゃうで。儂は客や。丐幇の狗いうモンや。あんたは?」
「劉じゃ。……此処の人間じゃないなら引っ込んでもらおう」
「爺さん、待てよ。ここは第三者である狗さんとやらにも聞いて貰うべきだな」
急に劉老人の後ろにいた男の中の一人がそう言って進み出た。
「俺は徐だ。俺の名はどうでもいいな。あんた……もしかして丐幇の前幇主の狗さんかい?」
「ああそうや」
「ほう、これはこれは」
徐は狗不死を見てニヤリと笑う。それから劉老人の方に顔を向けた。
「狗前幇主ならあの秘伝書がどれだけ貴重な物か分かってもらえる筈だろ?」
「んん……そうじゃな」
劉老人が狗不死に話しかけようとした時、真武剣派の者であろう数名が駆け寄って来た。先頭は郭斐林で、他は恐らく呼びに言った下男達だろう。
「杜兄さん、何が――」
「ああ、師妹」
「あ、あなた……」
郭斐林は驚きの表情を浮かべた。
「旦那はどうした? 白千風を連れてこんか!」
狗不死に話そうと少し冷静を取り戻しかけていた劉老人は郭斐林を目にして再び声を荒げる。
「師妹、黄龍門の秘伝書とは何だ?知ってるのか?」
杜越原が郭斐林に小声で訊ねる。
「あー、それは……」
「ほーう、秘伝書の事はこちらの師兄には内緒だったのか。では知っているのはあんたと旦那の白に、総帥様くらいか? まさか自分達の師父にも内緒にしてる訳じゃないだろう?」
徐は周りの人間にも聞こえるようにわざと声を大きくして喋っている。
「ほんまにあるんかいな?そんなんあったら儂も見てみたいわ」
狗不死が郭斐林を見て言う。まるで劉老人の味方について、秘伝書を出すように要求している様に見える。
「狗さん!」
後ろでずっと黙っていた傅朱蓮が狗不死の服を引っ張る。狗不死はわざとらしく体をよろけさせながらも郭斐林から目を離さない。しかし郭斐林はそれを無視しながら劉老人に向かって口を開いた。
「劉さん。あの秘伝書はお返し致します。ただ、夕刻まで待って頂けませんか? ご覧の通り今は立て込んでますので総帥も今席を外しております。お借りした秘伝書は総帥の許で厳重に保管しています。夕刻には必ず、必ず私が持ってお伺い致します」
そう言って深々と頭を下げる。少しばかり大仰に見えるその様子に周りの者達は口を噤む。郭斐林は今日必ず返すと言う。劉老人は返せと行ってきたのだ。これ以上言う言葉は簡単には見付からない。
江湖の名士を遍く集めたこの場であの武芸書の事が知れ渡るのは好ましくないのは明らかで、郭斐林は憂慮する。
(もっと慎重にするべきだった)
あの時、自分は劉馳方の取り出した書物を目にして興奮を覚えたが、確かその時は直前に現れた武大の事が気になって他派の秘伝書が自分の手許にあるという事の重大さに気付いていなかった。夫である白千風も同様だったろう。すぐにこの真武観へとそれを持って出て行った。師父、陸皓に見せる為だ。その後は師父の手許にあると聞いていただけで中身の真偽などの事は知らなかった。すぐに結論が出せる程簡単なものではない事は理解している。自分如きの知識では全く読めなかったのだから。
他者の武芸を知る――。武芸の習得を目指す者にとってこれは重要な事である。武林と呼ばれる世界に身を置く者達は常に自ら命を張る覚悟を持つ。永い年月を掛けて演舞を修行しているのでは無く、極論すれば命のやり取りに関する効率的かつ最大限の効果を得る方法を学び、手段を身に付ける。単にそれのみを目的とする訳では無いが、今の江湖は安寧がもたらされているとは言い難く、人の争いが無数に存在する中で剣など各種武器の扱いや体術は、今や一介の庶民ですらある程度の習得の必要を迫られている程だ。より優れた武芸を身に付ける事が生き延びる唯一の術であると考える者も多い。他人と力で争い、勝つ為の能力を得る事だけに夢中になる人間を、誰もが表では蔑み、嫌う素振りを見せながら、内心では「自分よりも優れた技を得るのではないか? 自分を脅かす存在になりはしないか?」と警戒し、対抗しようと模索する。彼我の優劣を見極める為に、相手の修めた武芸はどの様な物であるかを知らねばならない。それは個人のみならず、江湖に名を立てる大小様々な組織に於いても同様である。
武林の武術門派ではどうか? 各門派は永い歴史の中で受け継いできた自らの存在の拠り所となる武芸を持っている。優れた武芸者によって創始され、師から弟子に伝えられながら、時には優れた弟子が現れて技により磨きが掛けられ、更に精妙に、更に奥深く練り上げられていく。それこそが一門の誇りである。皆、「我等の武芸こそ天下第一である」と自負し、信じて研鑽に励むのは当然の事だ。だが、武芸の世界というものは他を凌駕する技を学ぶだけのものではない。
剣を手にするのは何の為か? 全ては「侠」の一字にある。正義を学び培った己の信条によって行動する事こそが武林の侠客である事を証明する。武芸そのものが主なのではないのだ。ただの殺人技でしかない武芸は確かに使う当人を守るものかも知れないが、それは同時に江湖を敵となすも同じ。その者に、その技に対して最初は畏敬の念を抱くが、いずれ恐怖となる。
(その者はいとも簡単に自分を殺せる術を持つ)
そして憎しみへと転じる。