第十四章 十
「十五人ものお身内が命を落としたというのに、随分と落ち着いておられるご様子」
郭斐林の冷やかな声に梁游国は血相を変え、いきり立った。
「黙れ! 無能な真武剣めらが!」
「殺されてしまった方たちと私ども真武剣派は何の関係もありませんが?」
郭斐林の口調はいささかも熱を帯びる様子は無く、これも修養の賜物か、平然と梁游国を見返していた。陸豊が手を挙げて二人の応酬を遮り、
「斐林、とにかく聞こうではないか。梁どの、続きを」
梁游国は今一度郭斐林を睨め付けて後、更に背を向ける様に居直ると陸豊に向かい話し出す。
「襲って来た奴らはこの辺りの者ではない。秘伝書を追って他所から来たのだろう。全身黒の衣服で揃えていて、得物を両手に持っていた。三人ともだ」
「両手に?」
「ああ。ただおかしな事にそれらは対にはなっておらず、長剣と湾刀、あるいは短剣の様な組み合わせだ。適当に持ってきたのか何なのか、とにかく奇妙な奴らだった。この辺に対の武器を携えるような面倒臭い者は居らぬ」
「腕の方は……やはり相当出来ると?」
「うちに居るのは荒っぽい連中ばかりだが……まあ切った張ったを生業にしている訳ではないのでな。はっきり言うと……判らぬ」
「秘伝書を持っていたという者達は?」
背後からの郭斐林の問いに眉を顰めた梁游国だったが、
「あんな奴らは真っ先に始末された。ハ、儂らにとっ捕まるくらいだからな」
そんな自虐交じりの冗談を言って乾いた笑い声を響かせた。
「では、秘伝書は再び行方知れず、なのですね?」
「いや、戻って来る」
「戻って来る?」
「そうだ。奴らはまだ遠くまで行っておらん。再び奪い返す」
「犠牲者が新たに増えるだけでは?」
「今度は奴らが、命を落とす事になろう」
「どういう理屈か存じませんが、大層な自信ですこと」
郭斐林の相変わらず棘のある言いっぷりに、謎の笑みを返す梁游国、
「真武剣派は秘伝書が欲しいのだな? だったら此処で待つが良い。必ず戻って来るのだ。今追っている者達が帰って来たら、秘伝書を下さいと頼んでみるのだな」
陸豊には話すというような事を言っておきながらその後は説明らしき説明もせず、ただ、所用があると告げた梁游国が出て行った後、陸豊と郭斐林らは別の部屋に案内された。
確かに未だ表に死体が転がっている今、梁游国が暇な筈も無いのだが、所用、などと言うのも妙でその態度もどこか不自然さを感じさせる。此処で待っていれば秘伝書が戻ったならば知らせるという事だったのだが、郭斐林のみならず一同得心が行かず落ち着かない。
「あれはどういう意味なのでしょう? あの者の言う事はおかしくありませんか? それに……此処の者達は妙に落ち着いているようにも見えます。仲間が殺されているというのに。まだ死体を動かしてもいなかったという事は、襲われたのはつい今しがたなのでは? それにしてはこの屋敷は静か過ぎます」
郭斐林の言葉に頷きながら、陸豊は腕組みをして考え込んでいた。
「本当に秘伝書を奪い返せるのかしら。私達が追ったほうが遥かにましな気がするわ」
三人で十五人を殺したという賊からどうやって再び秘伝書を奪い返すつもりなのか。やられたのは皆、全く武芸の心得の無い者達ばかりで、追わせたのは手練揃いだとでもいうのか。その手練とやらは賊が侵入して来た時には何をしていたというのだろうか。
「今追っているのは恐らく此処の者ではなく、稟施会……だろう。秘伝書がこの屋敷にあるのを掴んでいて、来た筈だ」
「大師兄、その稟施会の者達は何人居たか判りますか?」
陸豊が大師兄と呼ぶなと言ったのを郭斐林は綺麗さっぱり失念したらしく言い直す気配も無く、この時は陸豊も改めてそれをいう事は無かった。
「稟施会と名乗ったのは一人だった。劉どのとその稟施会の者以外に二人、手伝う者がいる」
「稟施会ではない者が?」
「……そう、らしい」
確かに言いにくい事かもしれない、と先日の事を思い返しながら楊迅はじっと二人の遣り取りを聞いていた。この真武剣派の郭斐林は北辰教の前総監殷汪も秘伝書を追いかけている事はまだ知らない様だが、知ればこの事は少なくとも今此処に居る郭斐林には重大事であろう。互いに奪い合うことになれば再び真武剣派と北辰――既に殷汪は北辰教ではないが――の火種となりそうである。
それに陸豊は殷汪との関係をあまり知られたくないのではないか。かつての兄弟子が今では敵方と認識されている者と繋がっていると思われるのはきっと辛いことには違いない。
(あの人の自信はそれか。追いかけたのはあの殷汪という人だから必ず奪い返すと思い込んでるんだ。でも、どんなに強くたって見つけられなかったらどうしようもないのに。襲ってきた時、既に此処に来ていたんだろうか?)
「稟施会など、この辺りでは殆ど知られていないと思っていたけれど……こちらにも勢力を伸ばしてきているのかしら」
「支店があるようだな。だがこの先には無い、とも言っておった。先というのはこれより北、ということだろう。千河幇と北辰の力が強くなるからな」
「大師兄のお知り合いも共に行動されているのですね? その……武芸の心得もある方ですか?」
「ん……まあ、な」
「そうですか……」
陸豊の知人で武芸が出来るとなればこれは相当なものだと郭斐林は勝手に思い込んでしまう。多く居るであろう友人の中には剣など触れた事の無い者が居てもおかしくないが、賊を追うのに荒事が苦手でこれに同行する訳が無い。
「とりあえずは待ってみるしかなかろう。それとも自分達で追ってみるか?」
「大師兄はどう思われますか? あの梁という者も、その配下もどういうものか未だよく解りません」
「確かにそうだが、あの梁は儂が千河幇の范幇主の許に居る事をよく知っておるようだし、今のところは秘伝書と直接の関係も無い。我らをどうこうしようなど思ってはいまい」
「私達は、違いますね」
郭斐林は苦笑を滲ませながら背後に控える弟子を見遣った。
「私達は言わば秘伝書を狙う第三の賊、とでも考えているのではないかしら」
弟子の一人、孔秦が此処へ来て初めて口を開く。
「師娘、一旦出て、ひとまず宿を探しますか? 何も解らぬのにあの梁どのの言うがまま此処へ留まるのは……」
郭斐林は少し間を置いてから、意を決したように顔を上げ、
「……賊が出て行くのを見てそれを追ったのなら、仮にそれらを始末出来たとして戻るのは意外に早いかも知れないわ。あの梁に用は無い。あるのは秘伝書のみ」
「……劉どのの事を忘れるな」
陸豊の、短く、しかし鋭い言葉に、郭斐林はハッとなって己の言に恥じ入り、俯いた。
特に見るべきものも見当たらないこの古い屋敷で何もする事が無く、ただ、陸豊と郭斐林は昔話に耽り、若い弟子達が他愛の無い世間話をするうちに陽は傾いていく。斜めに差し込む赤味がかった陽光が辺りに舞う埃にさえも恵みをもたらす様に等しく細かな光の粒に変えていった。部屋の外は異様に静かで、屋敷の者は賊に怯えて言葉を失ってしまったのかと思えるほど静まり返っている。
部屋の扉の前に、小さな人影が映る。中に居る全員が一斉に顔を向けると何者であるかを見極めんとばかりに注視した。
「郭さま」
小さな、老いた女の声がする。
「郭さま。広間へお越しくださいませ。案内いたしますゆえ」
扉の影は動かない。郭斐林は立ち上がり、「わかりました」と応じると、
「郭さま。お一人で参られますよう」
小さな影は僅かに頭を下げた様に見えた。