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流浪一天  作者: Lotus
第十三章
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第十三章 二十九

 丐幇の手を煩わせる事はさすがに心苦しく感じる傅朱蓮ではあったが、狗不死と彼らの遣り取りを見ているとこの者達なら何でも出来てしまうのではないかと思わせる程の数の力とその熱気に当てられて、つい甘えてしまいたくなる。実際、自分一人ではあの盗人達を捕まえるなど到底出来そうも無く、あの剣を取り戻すには彼らに頼るより他は無いのである。

 傅朱蓮はふと考える。狗不死は丐幇の人間を集めて動かそうとしているがそれは丐幇においては何の問題も無いのだろうか。丐幇の現幇主は休達という武慶で会った人物だが、彼以下、幹部達は前幇主狗不死の言う事は無条件に従うのだろうか。休達という人物は武慶での短い遣り取りを見る限りそうであるかも知れないが、他の幹部も同様とは限らない。

 先程狗不死の許に集まった者達の中にはどうやら幹部と呼べそうな人物は居なさそうである。休達は武慶の真武観で良い身形をしていたが、やはり丐幇でも偉くなっていけばそれなりの身形を許されるということだろう。真武観だから汚い格好では入れない、というのも充分考えられるが――。

 傅朱蓮は思い浮かぶあれこれを振り払う。

(私はまだ一人じゃ何も出来ない子供同然じゃないの! 半人前の癖に丐幇の組織がどうとか恥知らずもいいとこだわ。『子供』らしく大人しく助けてもらえば良いのよ!)

 何の警戒もせず大事な剣を易々と奪われてしまった事に忸怩するを超え、半ば自暴に陥りかかっている傅朱蓮である。

 傅朱蓮と狗不死はまずこの都の西門に着くが、既に待っていた丐幇の者達からは何の情報も得られず続いて南門へと向かう。仲間かも知れないという黒衣の集団を丐幇の者達が時折見かけるというのは、その南門から真っ直ぐ南下する街道である。もしその情報が正しいのならば剣を盗んだ二人はその街道を通って南下する可能性が高い。

「ほんでも、あの街道で何かの拠点になっとる場所なんて知らんなぁ。武慶も超えて更に南側やったら幾らかあるけど、こっち側や言うてたしなぁ」

 狗不死はしきりに首を捻っている。黒衣の集団とやらは拠点を持つのか、それとも江湖の流れ者か。狗不死も知らないのであるから、その集団を知る者はまだかなり少ないと思われた。しかし徒党を組んでいる処を複数回目撃されているのだから確実に存在しているに違いなく、何かの目的があり、そしておそらく中心になる人物が居たりもするのだろう。

 江湖には分からない事が山ほどある。そしてそれだけ危険でもあるという事だ。全てをよく知って上手く渡り歩くのと、運良く危機に出くわさなかったのとでは雲泥の差であるが、己はそのどちらであるのか――傅朱蓮は今になってそれを思い知るところとなった。

 

 傅朱蓮は腰にある、中身を失った黒い鞘を握り締めていた。

(……いい気になって旅をして、何かを得るどころか大事な物を失ってしまうなんて。丐幇の人達を前にこんな恥を晒して、まるっきり馬鹿な、小娘だわ。江湖は危険に満ちているのに、今まで大丈夫だったからって舐めていたのは私……。嗚呼、もう何処かへ隠れて……しまいたい)

 少し離れて狗不死と丐幇の者達が話し込んでいる。

「狗不死さま、如何なされますか? この都をさらい尽くすにもかなりの手間が掛かりますが……」

「休幇主へ伝えますか? 幇主は武慶に寄った後、各地を回ってから此処へ戻られる予定でございますが、かなり先の事。取り急ぎ幇主の耳に入れ、やはりここは幇主から直々に皆に――」

「それは、そこまでしていただく必要はありません!」

 不意に傅朱蓮が声を上げる。

「やっぱり……私なんかの為に……。丐幇の皆さんがそこまで手を煩わせるような……そんな価値は私にはありません」

「どないしたんや。急に弱気やなぁ」

 狗不死はすぐに傅朱蓮の傍に戻り、その顔を覗きこむ様に寄り添いながら話し掛ける。

「いっぺんに色んな事考えすぎてへんか? こんなん勢いでいったらええんや。人間は揃うとるんやしな。他所と違うて丐幇は暇なんや。あいつらにも仕事させたって――」

「狗さん」

 顔を上げて見つめてくる傅朱蓮に、狗不死は困惑した。傅朱蓮の切れ長の双眸には涙が溢れんばかりに浮かんでいたからである。

「私……帰りたい。私……東淵に……」

「朱蓮……」

 狗不死はまじまじと傅朱蓮の顔を見つめ返す。ついさっきまでの、今までの常に強気な傅朱蓮のこの急な変わり様は一体どうしたことか? そっと手を狗不死の胸に置き、小柄な狗不死の肩に額を寄せて身を震わせる傅朱蓮。その背に戸惑いながらも腕を伸ばす狗不死であった。

「朱蓮、どないしてん。そう泣かんと。儂が、傍に居るがな」

 赤子をあやす様な狗不死の腕の中で、傅朱蓮の嗚咽は暫く止む事は無かった。

 

(朱蓮、すまん。すまんなぁ)

 狗不死は傅朱蓮の背を撫でながら、思いを巡らせていた。ようやく、ずっと共に居た自分に対して傅朱蓮は本当の姿を晒したのだ。

 剣と長弓を身に着け、胸を張って江湖を進む傅朱蓮の姿は決して本来のものではなく、虚栄に過ぎない事を狗不死は知っていた。だがそれを全く無駄な、無意味なものとも思っていた訳ではない。若い者なら特に抱き易いある種の自尊心であり、誰もが経験をし、何をおいてもこの江湖で生き抜く術を身に付け成長する為の欠かせない力の源となる。そして傅朱蓮のそれは理想と現実の差に脅かされながらも今まで彼女の心を覆い、守ってきた筈だった。

 この江湖において、それらは幾度と無く打ち砕かれるという事も狗不死は知っている。ましてや本来なら無関係である筈の武林に、洪破天や殷汪といった人物を通して多少なりとも触れて育った傅朱蓮の価値観は、剣などの武術の力に重きを置くようになっている。それは傅朱蓮自身に理想の姿と現実の己の実力の乖離をまざまざと見せつける事にもなるのだ。

 今まさに、傅朱蓮を覆った自尊心が音を立てて崩れ、中から小さな、か弱い少女が姿を現したのである。多分、青釭剣を奪われた事はそのきっかけの一つに過ぎないのだろう。綻びは常に抱えていたのだ。あの二人を追って駆け出した時の傅朱蓮は、もう演技しか出来なかったのかも知れない。

 ただの剣ではないあの青釭を失って涙する傅朱蓮にはもう、何も纏うものが無くなってしまった。家に帰りたい――。そう言って泣く傅朱蓮の方が、東淵の良家に育った若い娘として自然ではないか、と狗不死には思えた、

「朱蓮……いっぺん帰るか。東淵に」

 傅朱蓮が答えたか否か、嗚咽で判らない。

(あんたは頑張ったで。鏢局の事やら殷汪の事やら、自分の事みたいに思い悩んでなぁ。ちょっとは気晴らしもさせたろかいななんておもて付いて来たけど、儂がおってこんな目に遭わせてまうなんてすまんこっちゃ。……堪忍してな)

 

 丐幇の者達は周りで二人を怪訝そう見つめていた。そんな中、一人が進み出て、

「狗不死さま。傅お嬢さんを東淵までお連れ致しましょうか。我らがお供致しますが……」

「いや……ええ。儂が行く。すまんけど剣の方、頼んでええか?」

「勿論でございます。奴らの顔も知っておりますし、必ず捕まえて取り戻してみせましょう」

 傅朱蓮が顔を上げてその者の方を振り返ると、薄汚れたその男は笑顔を見せた。

「我らは武林の徒として当然の事をするまで。賊を知って追わぬのは義侠の道に反します。それでは」

 男は急に真顔になると仰々しく抱拳の礼をし、丐幇の者達に向かって高々と杖を持った拳を上げた。すると辺りは『応』という咆哮に包まれ、やがて何処かへ向かって行進し始めた。

 

「……狗さん」

「ほんならいこか」

 狗不死は傅朱蓮の愛馬、飛雪の首を撫でる。

「次は東淵や。宜しゅう頼むで」

「狗さん、ごめんね」

 またしても傅朱蓮の涙が溢れそうになっている。

 狗不死はその枯れた手を、俯いている傅朱蓮の黒髪の上にそっと置いた。

 

 

 

 

 第十四章へ続く

 


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